状況が裂いた部屋

旅行と読書と生活

Oasis「Digsy's Dinner」


oasis digsy's dinner español subtitulos

 

What a life it would be

一体どんな人生になるんだろう?

 

If you could come to mine for tea

紅茶でも飲みに来ないか

 

I'll pick you up at half past three

3時半に迎えに行くよ

 

We'll have lasagne

ラザニアでも食べよう

 

I'll treat you like a Queen

君を女王様みたいに扱うよ

 

I'll give you strawberries and cream

ストロベリー味のクリームもあげるよ

 

Then your friends will all go green

君の友達も芝生に来るならさ

 

For my lasagne

ラザニアを食いに

 

These could be the best days of our lives

これって人生でも最高に楽しい日々なんじゃないか?

 

But I don't think we've been living very wise Oh no, no

でも俺たちって賢いようには見えないよな

やりたいことが見つからない

   大学3年生になった春先、少し真面目に将来のことを考えた時期があった。就活を翌年に控え、この先何を目指そうか、どんな人生にしようかと悩みながら毎日悶々と生きていた。大学生活は相変わらずぬるく楽しかったが、だんだんと終わりが見えてきて寂しさを感じ始めた頃だ。周りを見渡せば教師になると言って一心不乱に教員採用試験の勉強をする連中やどうしても入りたい業界があると言ってインターンシップに応募する連中がいた。いま冷静に振り返れば、そうやって真面目に行動していた奴は全体の2割くらいしかいなかったように思える。しかしあの時期そういう人間は嫌でも目に入るし、「みんな頑張ってるのに自分ときたら…」と焦らされた。

 
    結局僕は6月頃から公務員試験の対策講座というものを受け始め、翌年の8月になんとか地元の役所から内定が出て就職し今に至る。なぜ公務員になる道を選んだのか、というと多分理由はこの2つだ。
 
・仕事として特にやりたいことが見つからなかったので、福利厚生がしっかりしていて市民のためという大義名分のある職に就いておけばやりがいがありそうだから
 
・趣味に人生の主軸を置き、時間とお金を注ぎ込みたいので、休みがとりやすく出世も年功序列で給料もそこそこ安定してる職に就いておきたいから
 
    我ながら世の中舐め切っててひどいな...こんな人間が公務員やってんのかよ、最悪だな…と思う。高い志など一切なくただ公務員制度の旨みに乗りたいだけであるというのが本音である。22で大学を出たら働かなくてはならない、という風潮に取り敢えず乗っておかないと、収入がないと食っていけないし、自立しなきゃだし奨学金の返済もあるし...出来れば働きたくないのにこんな後ろ向きな理由での就活だった。もちろんこんな状態なのでモチベーションは限りなく低く、面接ではこんな人間だとばれないようにうまいこと演技して嘘八百を並べ立てて合格した。
 過程はどうあれ現在公務員として仕事をして4ヶ月目、今一番実感しているのは働き出してからの時間の流れるスピードが速すぎることだ。「実感している」って言い方は間違いかもしれない。気が付いたら夏になっており、とっくに季節が変わったことについていけてない自分がいる。一日中職場でデスクワークしていると、本当に一瞬で時間が過ぎる。先月後半から週の半分は出張するような日々が始まり、ようやく運転中の車窓の風景で夏だと気づかされたところだ。
 なぜこんなに時間に取り残されているのかというと、5月後半~7月頭にかけてのひどい忙しさで精神をやられていたということもあるけれど(今振り返ると鬱病の症状にあてはまることが多すぎて恐ろしい)、仕事帰りのバスの中や休日の散歩中など仕事以外でずっと、いろいろと考え事をしていたせいかもしれない。考え事の中身とは、この先何を目指そうか、どんな人生にしようかということで、つまり大学3年生の頃の悩みに戻ってきてしまった。
 
 やりたいことが見つからない。先に挙げたように自分は趣味に生きようと思って楽な仕事に就いたはずなのに、仕事は全然楽じゃないし、自分の趣味ってなんだっけ....そもそも何のために生きてるのかわからなくなってきた...という面倒くさいモードに入ってしまった。
    何のために生きるのか、なんて哲学的な話はこんなところで考えて気軽に答えなんて出る訳がなく、むしろ出たら困る話で、考えるだけ無駄とは言わないがいま考えるべきはそういうことではない。つまるところ自分は「生きがい」がほしいんだと思う。

一番古い記憶

 人にあまり家族の話をしたくない。気恥ずかしさからくる部分と、その気恥かしさを感じてしまうことに対し少し負い目を感じている部分があるからな気がする。普通の親なのに。そもそも今から書こうとしているような自分の身の上話みたいなものを人に話すことが恥ずかしい。相当な自意識過剰だと自分でも思う。

 

 違う話題になるが、僕の一番古い記憶は首都高のインターチェンジを車で走っている場面だ。おそらく横浜ベイブリッジのあたりで、下道から高速にのるためにぐるぐると導入の道路を登って高速に合流する地点。つい先日東京へ出張したときにわざわざレンタカーを借りてひとりで首都高を運転し、ベイブリッジまで行って確かめた。我ながら何やってんだと思う。楽しかったけど。

 僕は新潟の生まれだが、父親の仕事の都合で0歳から4歳まで東京都港区三田で暮らしていた。慶応大学からほど近い場所にある、ボロくて狭い社宅。幼稚園児だった当時の記憶はほんの少しで、ぼんやりした近所の風景や好きだったトミカとかカセットテープで聞いていた子供向けの音楽、父親と一回だけ三輪車に乗る練習をしたことくらいだ。徒歩15分くらいで増上寺があり、その隣の東京タワーは父親とよく登った(らしい)。近くにNECのビルがそびえたっており、父親の勤める会社は取引先であったために(もちろん父の会社が下請け)、社宅の部屋に「バザールでござーる」とかいうサルのグッズがたくさんあった。あとNTT?かなにかの古いロゴが怖くて、見るたびにギャン泣きしていた。いま考えると可笑しいけど、小さい頃無性に怖かった物って誰にでもあると思う。自分の場合NTTのロゴと深夜にテレビ放送が終わると映るカラーバーの画面だった。

 大学3年の夏休み、特にこれといって目的もなく東京へ遊びに行ったことがある。朝の勝どきを散歩して築地で海鮮丼を食べ、とりあえずゆりかもめでお台場へいってふらふらした。そこで急にレインボーブリッジを歩いて渡ることを思いついた。昔母親が「あんたが2歳くらいの頃、社宅からベビーカーを押してレインボーブリッジを歩いて渡った」と言ったのを思い出したからだ。結局徒歩で20分くらいかけて渡ったのだった。眺めは良かったが当たり前に車の走行音がうるさかった。

 橋を降りると、目の前の風景に急になんだか既視感を覚えた。自分はこの場所を何度か歩いたんだな、と直感的にわかって、昔住んでいた港区三田といえばこのあたりだと気づいて急に社宅を探したくなった。仕事中の母親にラインで昔の住所を聞き、地図アプリを見ながら場所へと向かった。途中の道はどれも記憶にあるようなないような微妙な感じだったが、社宅のある通りはなぜか地図に頼らずに近くまで来たとき「ここだ」と分かった。10年前に父の会社から所有は移った、と聞いていたので建物自体残っているかわからなかったが、奇跡的に廃墟となって残っていた。

 

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 見つけた瞬間は残っていたのか!と興奮したが、しばらく眺めているうちにいろいろ考えてしまってつらくなった。その後おセンチな気持ちで博物館を回ったり友達に会ったりして次の日アパートではなく実家へ帰った。母親と社宅はそのまま残っていた、そっか、という会話をした。

 

「働きたくなさ」の研究

 働きたくない。日曜の夜がとても憂鬱だ。

 これでもマシになったもので、一番精神的に追い込まれていた6月上旬は毎日が地獄だった。思い出したくもないし、嫌なことはすぐ忘れる都合のいい頭なので既にその時期の記憶は半分ない。ひどく遅い時間まで残業し、ボロボロになって帰宅してすぐベッドに倒れて眠った気がししないまま朝出勤する。最悪の精神状態だけど疲れきっているために気分転換をする気も起きず、ストレスを溜め込んだまま仕事へ向かい、効率が落ちてるためまた残業する。常に仕事をしてる為に頭も仕事の事で一杯で、その他を考える時間も余裕もない。無意識のうちに溜め息とか呻き声とか出るので家族からも嫌がられ家にも居場所が無くなる…酷い負のサイクルの中でひたすら楽になりたい、いっそ死にたい、とかブツブツ呟きながらひたすら仕事をしていた。
 
  あの地獄の時期は何とか抜けたが、今でも仕事に対してのモチベーションは上がらない。デスクに着けばなんだかんだ言ってちゃんと働いてるけど。どうしてこうも働きたくないのか。原因を知っておけば対処のしようもあるのでは?と思いこのテーマについて考える。
 

1.要因が他人にある場合

 これはどうしようもないと思う。自分自身の問題であればいくらでも改善してうまいこと仕事も回るようにできるが、外からの問題はどうにもできない。

 例えば、僕は朝出社するとまず、その日中にやるべきタスクをメモに書き出してから仕事を始めるようにする。やることが分かっていれば時間配分も考えられるし、何もなければ定時に帰れることもある。それが理想だし普通はこうなるはずだ。

 しかし現実はそうはいかず、めちゃめちゃに残業するのだった。残らない日なんて週に1日、「ノー残業デー」と銘打ってあるので残業代がつけられないし、残ってはいけない風潮があるため7時くらいには帰らされる日だけだ。帰れてんじゃん、と思われるが次の木曜日その分業務が上積みされるだけだし、終わらない仕事をデスクに積んだまま帰るのはひどく辛いし重い気分で退勤し次の日も最悪の気分で始まるのだった。

 なぜ朝作る予定表通りに仕事ができないのか。それはひっきりなしに寄せられる照会のせいなのだった。一応自分が今いる部署は本社的な立ち位置なので、地域、つまり出張所的なところから常に問い合わせがくる。基本電話なのでその場で一言で解決できることもあれば、調べる必要があるために法律書を読み要綱を読み、回答を作ってから丁寧に答えないといけないこともある。メールでの問い合わせは大抵が長文で来るし、要領の得ないひどい文章の場合もある。出張から帰り、一仕事終えた気になってメールチェックをすると、そんな無慈悲な長文が何通も着信しているのだった。そんな面倒な仕事も業務のうちなので、ため息をついて回答するのだが、もちろんその間自分の仕事は進まない。一日に3時間この照会に煩わされるとすると、その分できなかった自分の仕事の3時間は残業することになるのだ。予定に照会対応の時間も入れろよ、って話だがいつ来るともわからない照会のために時間を作るのもあれあので、まあそれでも予定表は4時ぐらいに自分の仕事を終わらせられるよう組むべきなんだろうとは思う。うちの課でこういった照会対応ができるのが自分の係りの4人だけ(他の人はみんな「技術屋」と呼ばれる技術職)、しかも大抵誰かは出張しているのでデスクにいる人間が答える、という余裕がない体制はどうかと思うが、改善の提案なんて一番下っ端の自分ができるわけもない。長い物には巻かれる、がモットーである僕はさっさと部署を異動して照会をして本庁の人間を困らせてやる立場になる日を夢見て、あと2年耐えなければならないのだった。

 

 2.自分自身の問題

 でもなんだかんだこれに尽きるのだと思う。僕は圧倒的に仕事が遅い。ひとつの作業も何度も見直さないと気が済まない。丁寧にやってる、と言えば聞こえはいいが普通にミスはしてるので単に仕事が出来ないだけだ。まあ1年目なんてそんなもんだよ、俺なんて新人の頃は〜と優しい先輩たちはフォローしてくれるが、なんかミスの次元が違う気がしてならない。一応守秘義務とかあるしなにより説明が面倒なので業務の細かい内容は書かないけど、呆れられる前に人並みになりたいな、と思う。1年目、という免罪符はもうすぐ使えなくなる筈だし。チェックシートを作ったりミスを書き出して改善点考えたり、まあ当然といえば当然の事を地道にやって人並みを目指すしかないのだ。とても暗いな。

 

私の好きな90年代

 


The Smashing Pumpkins - Today

 

〝最果てにて〟 中村一義 - YouTube

 

 

 

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生きた心地

   一週間の東京出張を終えて、新潟へ帰る上越新幹線の自由席でこの文章を書いている。

 
 
 
   楽しかった学生生活から一変、地獄のような忙しさの社会人生活で心が弱り、溜め息と独り言が止まらなくなる見るからに酷い状態(無意識なあたりがヤバい)に陥り、危うく根を上げる寸前まで追い込まれていたのが先週までのことだ。今回の出張があって本当に良かった。出張といっても東京の高尾でひたすらのんびりした研修を受けていただけ。夜は18時からずっと自由時間だったので読書したり、同世代の研修生(全国の各県から1人ずつ来ていた)と八王子へ適当に飲みに繰り出したりして楽しんだ。他県で同じ業務をやっている人たちは皆さん定時で帰っているらしい、信じられないことに。人が足りているのか、はたまた恐ろしく仕事が出来るかのどちらかだと思う。私残業なんでまだ経験してないですよ〜なんてのたまっている新卒の人々、つくづく羨ましいけどそれが普通のはずだしそうなりたい。とにかくこの研修中は久々にじっくり本を読んだり考え事をしたりする時間が取れて、良い休暇になった。
 
   その考え事の中身についてを以下に書くつもりだったけど、ここまで書いておいてあまりモチベーションが無いために面倒になってしまった。仕事、創作、生活、なんにせよ物事へのモチベーション、本当に難しい問題だ。やりたいことはたくさんあるのに、その1割も消化出来ていない自分に最近は常に苛立っている。やりたいことや好きなこと、楽しみなことは忘れないようにiPhoneのメモや手帳にリストに書き残しているんだけれど、膨大なリストは殆どが手付かずで残されている。大学3年の頃から書きなぐり続け、増える一方なやりたいことの積み残し。楽しみが尽きないのは良いことだが、それに押し潰されそうな今の状況は若干の、いやかなりの地獄だ。かといって隙間の時間を見つけて脅迫観念にとらわれるかのごとく必死でリストを消化するのも違うよな、と思う。
    職場の先輩に聞いた話では、昨年度隣の課の若手が「もち職人」になりたくて仕事を辞めた人がいたらしい。もち職人、ってどんな仕事なのか、もち米を生産するところからなのかただ餅つきが上手い人になりたいのかよくわからないし、とりあえず「もち職人」という響きなんかいいな…と思い時々思い出して笑う。他に、小説家になりたくて仕事を辞めた人もいたと聞く。やっぱりどうしても自分がやりたいことに専念したい、と仕事と折り合いを付けられないと判断して辞めていった先人がいるらしい。自分のやりたいことは趣味のレベルなのでこの人たちと並べるのは憚られるが、それでもいざという時は辞められる、と知っているだけで気は楽になるものだ。
     しかし「もち職人」めっちゃ面白いな… 部長に退職届出す時も「もち職人を目指す為に」とか書いたのかな… そこは一身上の都合なのかな。ちょっと会ってみたい。余裕がほしい。

人間の駱駝

   慣れとは怖いもので、退勤が21時を過ぎるのも特になんとも思わなくなってしまった。流石にお腹すいたな、くらい。家に辿り着くのが22時過ぎ、夕飯を食べ風呂に入るともう23時で少し本を読もうと思って手に取るともう気絶して朝6時15分の目覚ましが鳴る。さっき食べたばかりのような気がするご飯を食べ、バスに乗り出勤する、そんな繰り返しで感情が失われていく感じがすごい。
 
   仕事が中心、どころか他に何もしていない。自分の為に使える時間は常に1時間も無い。こんな感じで毎日やり過ごしていればそりゃすぐに歳を取ってしまうよなと思う。なにかしなきゃ、このままなんとなく生きて年を重ねるだけではいけない、なにかしなければ、という焦りがある。でもこんな余裕のない毎日にそんな暇は無いし、お金も無いし…などとぬるっと過ごしてるうちにその焦りも消えて、結局なんの面白味もない人間に成り下がるんだろうなと半ば諦めの感もある。なにかきっかけがあれば… いや、多分もう手遅れなのかもしれない。去年の就職活動を通じて一番身に染みて学んだのは自分に期待するのは疲れるということだ。早くこの毎日から抜け出したい。
 
 
 
  「人間の駱駝」はフォークソングの曲名だ。宮本輝の小説「青が散る」の中でガリバーと呼ばれるゴツい外見の男が歌う、「生きていたいだけの人間の駱駝」と繰り返すもの悲しい雰囲気の曲である。小説の方は大学一年の頃読んでから気に入ってしまい何度も読んだが、80年代にテレビドラマ化されており、大塚ガリバーなる登場人物が歌う「人間の駱駝」が挿入歌として使われているとは知らなかった(というかこの曲が実在することも後から知った)。しかも調べると作詞は宮本輝秋元康、作曲は長渕剛とある。自分無知過ぎるなと思う。聞いてみるとまあそうなるよね…って程度の感想。時代感と長渕剛っぽさを感じる。wikiみると大塚ガリバーはこの後消息不明と書いてある。大丈夫なのか。
 
青が散る」のよいところは登場人物たちの行動があまり報われずに、ひたすら悶々とする描写が多いところだと思う。突き抜けない青春小説。なにかひとつ劇的な事件が起こるわけでもなく(主人公はそれなりに騒動に巻き込まれて危険な目にも会うが)、情熱を注いだテニスではインカレに出場するがその過程はサラッと描かれてるだけだし、ヒロインとの恋愛は結局成就せず、最後に主人公は「この4年間は自分にとって、けったいな時代だったなあ」と言い残して卒業する。
 
一番心に残っているエピソードは老人のテニスプレイヤーの話だ。テニス部に後から入部してきたいけ好かない男に誘われ、主人公の椎名は近所のテニスクラブに通うある老人のプレーを見学しに行く。その人物は界隈では有名な人物で、独学でテニスを学び30年かけて上下左右にボールに回転をかけるスタイルを編み出していた。その姿は「まるで亡霊をひたすら切り捨てる古武士のよう」と例えられる。テニス部員の裕子(小説のサブヒロイン。一番好きなキャラクターなのにドラマに登場しないらしい)は彼を「悲しい」と形容する。
   結局主人公の燎平はヒロインの夏子と結ばれず、大学生活の全てを捧げたテニスで夢だったインカレには出場するものの、優勝候補に1ゲームも取れずに負ける。精神病の安斎は突然自殺する。救いがない物語のようにも思えるけれど、語られるエピソードのひとつひとつが終わるたびに燎平が心の中でひとりで呟く想いが、ふとした時に思い出される。何故かこころに残る自分にとって大切な小説だ。
   
    ここ最近読み返したわけでもないのに、寂しく、暗く、つらいこの小説のことと、「人間の駱駝」というフレーズが頭から離れずに文章に書いた。