状況が裂いた部屋

旅行と読書と生活

ベトナム旅行記②

 

◯2日目

朝はのんびり起き、近くの店でまたフォーを食べる。さっぱりした味なのでさらっと食べられるし、何回食べても飽きない。一応こっちの主食なんだから飽きるわけないか。昨日より暑い気がするのでTシャツとタイで買ったステテコみたいなパンツという格好で出かける。

 

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でかいスーパーマーケットに入ってみた。日本とそう変わらない。インスタントフォーの売り場が20メートルくらいあった。フルーツと野菜の種類が豊富。サッポロビールが強い。

 

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日本製品は日本語標記のまま普通に売られていたりする。ちぐはぐな感じが絶妙な雰囲気を醸し出している。ボトルのラベル、Vaporwaveを感じる...。

 

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コン市場で香辛料やら果物を物色し、アボカドジュースを飲んでみる。その場で氷とミキサーにかけ、煉乳を混ぜたものが出てきた。美味しいけど濃厚すぎて飽きた。親切なおばさんにお金を細かく両替してもらう。

 

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バスでホイアンへ。砂埃にまみれた黄色いバスが目印。運賃は2万ドンと聞いていたので用意して身構えていると、バスが郊外に出た頃車掌のおばさんが3万ドンだ、と伝えてくる。2万ドンって地球の歩き方に書いてあったぞ!2万でしょ⁉︎と日本語で言ってみるが当然伝わらず、早く払えという感じなので渋々3万払う。見回すと、周りの人も3万払っており値上がりしたのか、と納得しておくことにした、が、帰りは何故か2万ドンで乗れた。なんだったんだ…

 

ちなみにベトナムの貨幣はインフレの進み過ぎで、単位がおかしくなってる。そしてめちゃめちゃ物価が安い。円への換算は「0を二つ取り、半分にする」が基本。つまり30,000ドン=約150円である。150円で30キロバスに乗って移動できるんだから大したものだ。1万ドンくらいのぼったくりなら許してしまう。

 

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バス停からタクシーに乗り、降りたらすぐ「日本橋」があった。世界遺産の一部である。ライトアップのタイミングには合わなかったが見れてよかった。通行するにはお金を取られるようだ。2万ドン札の絵にもなっている。あとベトナムの煙草は割と美味しい。

 

そしていよいよ旅行のメインである、夜のホイアンへ 

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ホイアンは美しい街だった。世界遺産の旧市街地を含め、街全体がお祭り騒ぎのような賑わいだった。毎日こんな熱気の中にいたら疲れちゃうよ、と心配になるくらい。人と光で溢れている。どこを歩いてもランタンの灯りでいっぱい。路上で謎の演劇をやっているのを見た。独特の雰囲気があってよかった。

 

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露店でマンゴーを買って食べたり、様々なビールを飲んだりした。333(「バーバーバー」)やサイゴンビールはさっぱりした薄い味。現地の料理に合うが日本のビールに慣れてると少し物足りない。ビア・ハノイは美味しかった。けど結局ハイネケン大好き人間なので後半はそればかり飲んでた。

 

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街を歩いていると、おみやげ物屋や宝くじ屋、観光船の斡旋屋からひっきりなしに声を掛けられる。写真は行商人のおばさんたちを撮ろうとしたら「買って!」と襲いかかってきた瞬間。笑える。

 

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夜中まで歩き回り、2泊目はホイアンのホテルに泊まった。街の中心部にあり、なかなかにいい宿だった。観光船に乗せてくれたり、無料のマッサージを受けられたりとサービスがすごい。マルクスは今年まで生きていたのか…

 

 

◯3日目

 

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翌朝は観光船に乗り1時間くらいのクルーズへ。ぬるいコーラを飲みながら川辺の風景を見るのは風情があって良い。リゾートの開発が進んでいた。

 

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バイン・ミーという現地のサンドイッチが美味しかった。具だくさんで食べ応えがある。フランスパンなのはやはりフランス植民地時代の影響なんだろうか。ベトナムコーヒーは練乳たっぷりでかなり甘い。有名なジャコウネココーヒーがあった。実際は猫ではなくイタチのフンらしい。またバスに揺られてダナンに戻り、おみやげを見るなど。店によっては普通に日本語が話せる店員さんがいる。やはり日本からの観光客は多いらしい。洋風なメニューのあるご飯屋では、真っ赤に日焼けした欧米人たちが嬉しそうにでかいピザを頬張っている。お前らどこの国に来ても絶対ピザ食べるんだな...

 

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またスーパーに入って商品を眺めていると、隣にあった飲食店が気になった。 遠目から見ると回転すし屋に見えるんだけれど、覗くと流れているのは肉や野菜などの具材である。食べている人をみると、テーブルにある穴に鍋を置き、具材を茹でて食べている。すき焼きというか、しゃぶしゃぶみたいな食べ方だった。面白い。セルフすき焼き屋。映画「ロスト・イン・トランスレーション」ですき焼き屋に入った2人が最悪だったね、自分で料理する店なんて、みたいな会話をするシーンがあったが、やっぱりアメリカ人からしたらこういう鍋をするという概念はないんだろうか。

あとアオザイは最高。

 

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健全なマッサージを受けた。大喜びスパってなんだろう。腰と背中の60分コース。ツボをガンガン刺激されて泣き叫びながら赦しを請う感じのハードなやつを期待してたんだけど普通に気持ちよかった。

 

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 時々ホー・チ・ミンの写真が飾られているのを目にする。やはり建国の父はいつまでも尊敬されているらしい。ベトナム国内でも一部では評価が分かれている、とも聞いたけど。台湾でいう孫文、インドのガンディー的な立ち位置なんだろう多分。

あとたまに見かけたパチモン商品が面白かった。NIKEのパクリで「NIKA」と書かれた靴下や、auとそっくりな携帯ショップのロゴをよく見ると「α」だったり。

 

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 ダナン空港からハノイを経由し、日本へ帰国。ダナンを出発する直前にひどい雷雨の影響で飛行機が少しだけ遅れてヒヤッとした。観光中はずっと快晴だったのはラッキーであった。やはり食べ物が美味しい国は行くだけで楽しい。途中で乗ったバイタクシーでぼったくられたのも含めていい思い出。ホイアンの夜は本当に素晴らしかった。異国情緒を十分味わえて良い旅行になった。

 

 

ベトナム旅行記①

 

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 GWを利用してベトナムへ旅行に行った。日程は2018年5月3日〜7日。とは言っても3日の深夜に羽田を発ち、7日の早朝に成田へ帰ってきたので現地で過ごしたのは実質3日間。5月4日から6日の3日間の記録。

 


◯1日目

1:25羽田発。機内は8割くらい席が埋まっていた。座席のモニターで映画が観れたので旧作の方のブレードランナーを見た。少し前に「2049」を見たせいもありもう一度旧作を見たかったので良かった。何度見ても面白い。結局冒頭の屋台のシーンでデッカードが「4つくれ」と注文してる食べ物はなんなんだろう。

 

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現地時刻5時過ぎにタンソンニャット空港に到着。ベトナム南部にある都市ホーチミンの空港。時差で2時間巻き戻っている。一度ターミナルから出ると、朝なのにもう暑い。30℃近くあった。日本の夏より湿気が多く、体にまとわりつく蒸し暑さ。大体昨年行ったタイと同じ空気。

空港を散策してベトナム航空の国内便に乗り換え、中部の都市ダナンへ。ベトナム航空の乗務員さんの制服は機体と同じ青色のアオザイだった。最高。1時間半ほどかけてダナン空港へ到着。快晴であった。

 

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今回はこのダナンという街が拠点。ベトナムには世界遺産が8つあり、そのうち「フエの建造物群」「ミーソン聖域」「古都ホイアン」の3つはダナンから日帰りで行ける距離にある。南北統一鉄道に乗りフエに行く案、ミーソン遺跡と五行山を見て回る案などを考えたけれど、直前で面倒くさくなり結局「食い倒れの旅でよくない?」という安易な考えにより観光地はホイアンしか行かなかった。日程的にこれで正解だった気がする。フエ行きたかったけど。

 

空港で少しだけベトナム通貨のドンに両替し、タクシーで市街地へ。運転手のおじさんは少し英語が出来たけれど、こちらが全然話せないため会話にならない。なんとか目的地を伝えて走り出したものの、ひっきりなしに早口のベトナム語でなんか言ってくる。全然わかんないよ〜と困っていたらおじさんが携帯を取り出し、なにやらアプリを立ち上げる。そしてこちらに渡すので見ると「ベトナムに来たは初めてですか?」と日本語が表示されている。非常にありがたい。通訳アプリを使って色々と会話した。親切なおじさんはあの建物は博物館、あの船みたいな建物は実は船じゃなくてレストランだ、などと通り過ぎる風景を解説してくれた。80キロ以上出して飛ばしながら携帯を使うのでハラハラしつつ楽しくお喋りした。

 

市街地に着き、とりあえず街をうろつく。バイクが多い。でかい交差点ではおびただしい数のバイクが行き交っていて活気がすごい。しばらく街を歩き、目に付いた食堂に入ってフォーを食べた。びっくりするくらい美味しい。

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フォーにも何種類かあり、「フォー・ガー」は鶏肉が、「フォー・ボー」は牛肉が載っている。麺が入った器とは別に野菜がどっさり乗った皿が一緒に出される。この野菜を麺の皿に移し、ライムを絞ったり辛味を入れたりして好みの味にして食べる。

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旅行を通じて4食くらいフォーを食べたが、最初に入った店が一番美味しかった。店ごとに麺の太さや味付けに差があって面白い。

 

近くにあった「ハン市場」へ入ってみた。

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雑多な感じが東南アジア感あって良い。かなり広く、2階建てのフロア前面におびただしい品物が置いてある。1階が食べ物、2階が金物や衣類、おみやげものなど。旅先のテンションでサングラスを買おうとしたら明らかにぼったくりな額をふっかけられたので買わず。気軽に「How much?」と聞くとこいつ相場を知らないな、と足元を見られる。店の人たちもしたたかである。

 

街を歩くとベトナムにはサラリーマンはいないのか?と思えるほど個人商店が多く、コーヒーショップ、食堂、バイク修理屋、コンビニなど小さな間口の店がぎっしりと並んでいる。観光客と一目でわかる我々のような人間が近づくと景気良く声をかけてくる。しかし、遠目から観察していると店の前の椅子に座り携帯を見ながら煙草を吸ったり、コーヒー屋では店主と思われる人が客とボードゲームに興じたりしている。後で調べたら「像将(シャンチー)」というゲームらしい。気ままにのんびり生活している感じが羨ましい。商売っ気があるのか無いのかよくわからない。


この後も街を歩き、日本語ができるスタッフがいる、という旅行案内所を探したが見当たらない。近くの警備員さんや目に付いたホテルのロビーの人に尋ねるが、みんな全然バラバラな建物を教えてくれる。結局あきらめ、コーヒーショップに入って休んでからホテルに向かう。

 

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ホテルに着き、ドアノブを掴んだ瞬間破壊したが気にしない。窓からわずかに東シナ海が見える。

 

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スターウォーズのエピソードⅠをやっていたので当然観る。幼少アナキン可愛い。このレースの実況役の二つ頭のキャラ好き。

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コンセントは変換器がなくても使える。スーパーで適当に買った謎のデザートが美味しかった。上は甘いヨーグルト、下はあずきかと思ったら黒米らしい。路上でもたまに売っていた。

 

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夕暮れのビーチを散歩した。この時間でも観光客が溢れている。なかなかに美しかった。

 

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夜のダナン。活気がすごい。ネオンがいちいち派手で見ていて飽きない。

ハン川のナイトクルーズ船に乗るつもりだったけれど、乗り場が分からず結局断念。アイスクリームを食べながら川辺をうろついて涼んだ。セグウェイに乗って遊ぶ若者、ラジカセから音楽を流して踊るグループ、写真に夢中なカップルなどみんな思い思いに遊んでいていい雰囲気だった。

ホテルに戻り、翌日乗るホイアン行きのバスを調べてぐっすり寝た。

 

『スターウォーズ 最後のジェダイ』を観た

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面白かった…。2Dの字幕版を2回、4DXの字幕版を1回観た。ようやく書いてもいい気がしてきたので文章を書く。

 

「ローグワン」が傑作と評され、一方で「フォースの覚醒」がいまひとつ評価されていない感じに納得してなかったけど(実は自分も「フォースの覚醒」は初見でイマイチ…となってたけど2回目で良いじゃん…となった)、本作は古参のファンも満足いく作品だったと思う。

エピソードⅦに文句をつけていた人間は、おおよそ次の3点が気に食わないのかなと思う。①主人公が女性で、相手役もよくわからん黒人(しかも元ストームトルーパーの中身)②ハン・ソロが死に、ルークが全然登場しない③ダークサイド勢が小物(カイロ・レン君が雑魚)。①については、ついて来れてないだけだ。流石にスカイウォーカー家の話を新3部作でやる訳がなく(見たい気持ちも分からなくはないが)、新たな長編の始まりとして女性を主人公に据えたのは大胆で鮮やかだなと思う。レイとフィン、血筋も前段となるエピソードも持たない「名もなき人」たちが銀河の片隅から壮大な物語を始める。新3部作は「普通の人」が英雄になれる。それを思い切った配役と設定で示し、「Ⅷ」でもローズというただのレジスタンスの整備士のひとりに過ぎない人物の活躍を描いたことに現れている。②は、このインタビューレイアの死、ルークの帰還──『スター・ウォーズ:最後のジェダイ』制作秘話 | WIRED.jpを読むとマーク・ハミルもちょっと文句を言ってて面白い。最後には認めてるんだけど。「覚醒」撮影時にせっかく身体仕上げたのに登場がラストシーンだけだった、というエピソードも最高。③に関しては、レン君の人間くさい面がさらに掘り下げられたせいかレン君結構好きになった。ルークへの復讐心とダースベイダーへの憧れ、力への欲求からくるダークサイドへの帰属と、両親への捨てきれない想い、ライトサイドへの心の揺らぎ。最高指導者にはボロカスに言われ、「君の名は。」みたいな繋がりが生まれたレイにはライトサイドへの帰属を説得されそうになる。メンタルは相変わらず不安定である。そしてもちろん相談できる仲間もいない。クソ雑魚ハックス将軍は各方面からナメられてて笑える。そして本当に、スノークとは結局何だったのか…。

やや「Ⅶ」の話題に傾いてしまったが、最後のジェダイ公開前に誰もが考えた事といえば「最後のジェダイ」は具体的に誰を指すのか?という疑問だろう。作中のクライマックス、それはルーク自身の台詞で語られる。カイロ・レンと対峙したルークの発した「最後のジェダイは私ではない」という台詞、そして「また会おう」(「See you around,kid」)と言い遺して消える最期…。本当にかっこよくて痺れた。一方、レイは無数の岩をフォースで持ち上げ、レジスタンスを逃がして活路をつくる。新旧・師弟のジェダイが終わり、また始まる世代交代の瞬間だ。

ルークについては、個人的にはその前段の「素晴らしい!その言葉の全てが間違っている!」という強烈な台詞も含めて大好きなシーンとなった。今作で印象的だったのが長い隠遁生活の影響か、ルークおじいちゃんがすっかり茶目っ気たっぷり、というか捻くれじいさんになっていたところ。オビワンやヨーダ然り、ジェダイのさだめなのだろうか…と笑った。レイをおちょくり、カイロ・レンをおちょくり、やりたい放題である。レイの修行のシーンで、瞑想したレイの「あなたからはなにも感じられなかった」との言葉から、もうフォースの力を完全に閉ざしてしまったと思いきや、あのクライマックスの戦闘シーンである。クワイ=ガン・ジン(とオビ=ワン)vsダースモール、ヨーダvsドゥークー伯爵、そしてオビ=ワンvs闇堕ちアナキンのような、名シーンと呼ばれるセーバーでの戦いに匹敵する、痺れる格好良さだった…。今回に限っては、言ってしまえばルークは実体はない(霊体)のでレンの攻撃を避けてるだけなんだけど、口先とオーラだけでなんかもう圧勝してしまった感じがある。

 

やはりルークのことに重点を置いた文章になってしまうんだけど、本作では他にもレイアのフォースによる宇宙遊泳、ホルド提督によるハイパースペースジャンプの特攻など見所はたくさんあった。

また、レイの両親は何者だったのか、本当に飲み代のために娘を売るような人間だったのならあのフォースの力はどこから来ているのか。ラストのフォースを使ったように見えた少年は誰なのか。まだ明かされていない謎は多く、Ⅸ以降やスピンオフにも期待が高まる。

 

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最後に。旧3部作の頃の写真だけど、もうほとんどの人物が物語を去ってしまったのは寂しい。ハン・ソロはⅦで、ルークはⅧで死を迎え、キャリー・フィッシャーは亡くなってしまった。ルークは先代たちのように霊体となって現れるだろうし、レイアもローグワンの時のようにモーションキャプチャーを使って登場するかもしれない。でも生の演技はもう見れない。旧スターウォーズを象徴する人物たちが退場していき、相変わらずレジスタンス軍は壊滅的なやられっぷりである。「新たなる希望」であるところのレイたちの活躍と胸のすくような展開に期待したい。40年以上に渡り続くこのサーガだけれど、本作のルークの言葉を借りれば、この戦いはまだ始まったばかりなので。

 

 

2018.2.4 追記

どうやら「エピソードⅨ」にキャリー・フィッシャーは登場しないらしい…

(参照:https://rocketnews24.com/2017/01/30/855297/)

割と悲しい。レイア姫役だけではなくⅧには脚本としても参加してたようで、ホルドとレイアが「フォースと共にあらんことを」の台詞を被って言ってしまい笑い合うシーンも彼女の発案らしい。好きなシーンのひとつだ。新作の撮影は2018年1月から始まっているらしい。楽しみにしたい

一番強度の高いメディア

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先日、映画「ブレードランナー2049」を観た。本当に美しい映画だった。大作のSF映画に期待されてそうな派手さはないけれど、圧倒的な映像美と「自分は何者なのか」という哲学的な問いを追求するストーリー、終始漂う物悲しい雰囲気、ラストの主人公の選択、どれも素晴らしかった。

この映画の舞台となっている2049年では、過去の「大停電」と呼ばれる出来事により電子化されたあらゆる情報が失われており、残っているそれ以前の記録はごく僅か、という設定である。この「大停電」については渡辺信一郎監督の短編アニメ「ブレードランナー ブラックアウト2022」を観ると事件の概要が分かる。簡単に説明すると一部のレプリカントが「核ミサイルの電磁パルスであらゆる電子機器を破壊」し、「同時に磁気システムを使用するセンターのバックアップは6発の爆発により消去される」ことによりデータを吹っ飛ばしたらしい。要するにテロで物理的に全部破壊した。

「自分は何者なのか」。人間なのか、レプリカントなのか。誰から生まれ、この記憶は誰のものなのか。主人公には断片的な記憶しかない。ブレードランナーとしての任務として、過去の記録を調査しにウォレス社を訪れるが、大停電を経て生き残った記録はほとんどない(本などの紙媒体は残っている)。食料の供給からレプリカントという労働力まで、全てをウォレス社が支配するディストピア。記録が失われているために参照できる記録がない状況で、身寄りも無く、自分の過去を尋ねる相手もいない主人公は、わずかな手がかりを辿って記憶の真相に迫っていく。

「2022」の中で、レプリカントの有志はデータを破壊することで製造番号などの記録を抹消し、人間とレプリカントの境界を壊した(外見では2者の違いはわからない)。実際に「2049」でハリソン・フォード演じるデッカードは人間かレプリカントか最後まで分からない(リドリー・スコットがインタビューで「レプリカントだ」と普通に話してたけど…) 。大停電はある程度成功したということだ。高度に発達し、あらゆるメディアが電子化された社会でそのデータが失われた、そんな設定で作られるディストピア。SFだけど、それなりに起こり得そうでリアリティを感じてしまう。

 

最近やたら引用していて恐縮だけれど、恩田陸が少し前にこんな文章を書いていた。

数年前、紙問屋の社長さんと話していた時に「記録媒体として何がいちばん優れているか」という話になった。社長さんは「和紙に墨で書いたもの」と即答した。なぜならば、歴史が既にそのことを証明しているから。確かに、初めてワープロフロッピーディスクが登場した時は、これがこれからのスタンダードになると思ったのに、その寿命は短く、たかだかここ二十年くらいのあいだに、めまぐるしく記録媒体が現われては消えていった。しかも、それらに書き込んだデータは予想以上に劣化のスピードが速く、いつ消えても不思議ではないのだそうだ。おまけに読み出す機械と電力がなければ、中に何の情報が入っているのかすら分からない。だとすれば、世界から文明が消滅した未来、やはり常野一族の末裔がかつての人類の取ってきた方法通り、こんなデジタル技術の時代などなかったかのように、人々の記憶を伝えつづけているのかもね、と思う今日このごろなのであった。

 

舞台「光の帝国」HP イントロダクション

http://www.caramelbox.com/stage/hikari-no-teikoku/

 

 常野物語シリーズは全て読んだわけではないのだけれど、簡単に説明すると常野一族は特殊な能力を持つ人々で、それぞれひっそりと普通の人間に溶け込んで生活している。上記の演劇の脚本になっているのは、一度読んだだけで完璧に文章を記憶できる、文章を「しまう」という能力者のエピソード。

文章の中の最も優れた記録媒体の話題で、和紙に墨で書いたもの、との答えが紹介されている。そして、歴史が既にそのことを証明しているとも。確かに、フロッピーやVHS、MDなど、まだ二十数年間しか生きていない自分もいくつかの媒体が消えていくのを目にしている。もし、今後ブレードランナーの大停電ような厄災が起こったとき、生き残る記録といえば紙に書かれた文章や、石に刻まれた文字や記号のようなものかもしれない。もしかしたら人類の滅亡の方が早いかもしれないけれど。

 

 

 

 

大学3年の初夏

久しぶりにKensei Ogata「Her Paperback」を聴いていたら、大学3年のある時期の思い出がフラッシュバックしてきた。自分は感傷マゾの気があり、常に将来に希望が持てない後ろ向きな人間であるため、定期的に大学時代の楽しかった思い出に浸っては鬱になっている。

大学3年の初夏。ひどく忙しい時期だった。学生の忙しさなんてたかが知れてるんだけど、この学期だけは何故か全ての方面でやることが多かった。大学の講義は確か週22コマとか入っていた。おそらく教職課程の必修のせい。ゼミも始まった。当時使っていたPCのドライブを見ると、1万字超えのレポートをいくつも書いていたのを確認できる。5月からは大学の公務員講座が始まった。自分はこの時期までやりたい職業が見つからなかったので、消去法的にじゃあ公務員にでもなるか、という考え方だったため、モチベーションは低かった。それでも講義は割と出席していたたので、週に4日は夜6時から9時過ぎまで講義を受けていた。6月には教育実習があった。もう教員になる気はなかったのだけれど、教職課程を無理して途中まで受けてきた以上、半ば意地みたいに教員免許を取ってやろうと考えていた。実習自体はとても楽しく(母校実習で通っていた高校に行けたところが大きい)行ってよかったなと思う。しかし様々な準備や指導案作成に膨大な時間を取られ、公務員試験の勉強は滞ってしまった。

こうした勉強方面での忙しさが一番だったが、バイトもそれなりに入っていた。それまで学生生活の中心を占めていたサークルに顔を出さなくなり、友達と会う機会も減っていった。この後、秋になる頃にはゼミ室に入り浸るようになり、怠惰過ぎる同期と先輩と麻雀に励むなどして新しい居場所を確保するんだけれど、この3年の4〜8月頃はひたすらに孤独だった。

 

この頃、勉強は大学の図書館でやっていたんだけれど、土日はタリーズに通っていた。ツタヤに併設されている、大して広くもないタリーズ。割と居心地が良いと気付いてからは、午前中は大学の図書館、一旦帰宅して昼飯を食べてからタリーズに移動して夜まで粘る、というルーティーンが出来た。

徒歩で移動する間、ずっと音楽を聴いているんだけど、この時期聴いていたのが「Her Paperback」だった。もともとtalkを今はもうない音楽サイト「路地裏音楽戦争」で知り、「waltz for breeze」は良く聴いていた。

talk - Waltz for Feebee [OFFICIAL MUSIC VIDEO] - YouTube

4月下旬、大学への坂道を登りながらよくこのアルバムを聴いていた。ちょうど桜が満開で、映画音楽みたいなこのアルバムがよく景色に合ったのを覚えている。

5月〜6月、先述の理由で忙しくしつつ相変わらず大学周辺をうろうろしながら、talkからの流れでKensei Ogataのソロを聴き始めた。音数が多くなく、素朴な歌物の曲が自分にスッと入ってきて、この時期の孤独感に寄り添ってくれたように感じた。特に気に入ったのが「Happy Sunny March」と「ゆるやかな自殺」だ。サウンドクラウドではCDに収録されている曲の他にもいくつか音源が公開されており、ダウンロードも可能だった(多分現在は不可)。スーパーカーの「Lucky」をアコギで弾き語った音源が好きすぎて、ひとりでスタジオに入りギターを弾くなどした(今見返したらこの時撮った「Lucky」がボイスメモに残っていて死ぬかと思った)。自分とそう年の変わらない、熊本のひとりのミュージシャンの音楽に救われて、厳しい時期を乗り越えられたこともあったな、という思い出。

総括と抱負

2018年。2017よりは字面が良い気がする。

平成30年。なかなか区切りが良い。なんとなくいい年になる気がしてきた。

 

先日、「2017年を漢字一文字で表すとどんな感じ?」と人に聞かれ、「ダジャレかな?」と返したら真っ赤になって肩を殴ってきた。痛い。

私の回答は「慣」である。社会人も2年目になって、仕事はある程度上手くこなせようになり、生活もなんとか回るようになった。「慣れ」からくる余裕のおかげかなと思う。残業続きで生活が崩壊していた去年とは大違いだ。自分のペースというか、いいリズムを確立できた年になった。

一方、慣れからくる妥協、というか、いい加減な部分が出てきたところもあったように思える。例えば仕事において、1年目に初めて取り組む業務は要領や引継書を読み、目的や必要性、方法や所要時間までよく考えながらやっていた。しかし2年目になると、「面倒な事が嫌い」「楽して生きたい」「できるだけ働きたくない」という本来の自分の性格が出て、結果「適当に、去年と同じようにやる」という方法に落ち着く。もちろん最低限の仕事はこなしている訳で、悪くないとは思うんだけれど、少し理想を高く、意識高そうなことを言えば、その仕事の効率化、改善化をするべきなんだろう。「悪い意味での慣れ」からくる怠惰。

あとは、「習慣」。読書の習慣が出来たのは大きい。あれだけ時間があった学生時代、大学2〜3年の一時期を除けばたいして読んでなかったのに、今では月に3冊は必ず読む。仕事帰りに駅直結の本屋を覗くことが多く、気になっていた本が文庫化されたのを見つけては買って読む。あとはブックオフで一気に目ぼしいのを5,6冊買って、週一冊ペースで通勤中読む。なかなかいい習慣だと思う。

それと、行きつけの喫茶店ができてしまった。家から徒歩5分の老夫婦がやってるお店。毎週土曜日の朝はスタジオ練がなければ大抵行く。良い居場所を獲得した。学生の頃から地味にいろいろな喫茶店を巡ってたんだけれど、実家の近所にこんなよいところがあったとは。ほとんど毎回ブレンドしか注文しないせいか、最近では席に座るだけでマスターが「はいホットねー」と持ってくる。常連さんと認識してくれたらしくちょっと嬉しい。

 

2017年の振り返りはこの辺にして、今年の抱負を書いておきたい。やりたいことが沢山ある。とりあえずテーマを1つ掲げるとすれば、「自分の好きなものに正直になる」ということ。これは「好きなものを我慢しない」とも言い換えられる。ちょっと気になってた、ちょっと欲しいと思ってた、でもなあ…と何かと理由をつけて諦めていたあらゆる物事、その全てをやってやる、そういう意気込みで生きていきたい。欲しいものは全部買うし、行きたいところには全部行ってやろう。仕事を中心に生活が回るのは仕方ないとしても、趣味をもっと充実させないと生きる意味がなくなってしまう。「僕は死ぬように生きていたくはない」、このマインドである。

具体的には海外旅行2回、毎日映画が観れる環境作り、フジロックへ初めての泊りがけ参戦、一昨年立ち上げた登山部を発展させてアウトドア部を創設すること、ロードバイクを修理してまた始めて、車(新型ジムニー)を買うこと、などである。お金ないんだけど、それすらも言い訳にはしない。借金をしてでも遊ぶつもりである。

 

あとは、個人的な創作活動を始めたいと思う。これについては別個に書きたい。何か形になるものを残さないといけない。去年はバンドで2枚のCDの発売に関わることができた。でもまだまだ足りない。いまも脅迫観念に追われるかのように作っている。世に出そう必ず。

映画「リンダリンダリンダ」

 

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2005年。山下敦弘監督。

 

何度も見返している大好きな映画を、改めて文章にするのはなんだか気恥ずかしいし、それなりに思い入れがあるため私情を挟まずに客観的な評論をするのは難しい。言い訳をして感想のみ。

 

簡単にストーリーを説明すると、学園祭を目前に控えた高校の軽音楽部で、とある女子のバンドが空中分解してしまい、急遽残ったメンバーが韓国人留学生をボーカルに迎えてブルーハーツコピーバンドを結成し、すったもんだしながら学園祭で演奏する、というもの。数行で済んでしまった。

特にドラマチックな出来事があるわけでもなく、ブルーハーツを選んだ理由も部室のカセットを漁っていたらたまたま聞くことになったから、という単純なもの。ボーカルが韓国人になったのにも大した理由はない。特に誰が主人公という訳でもなく、4人それぞれのエピソードが少しずつは描かれるものの(男子から呼び出されて告白される、自分のサークルの顧問との個人的な会話シーン、など)、特定の誰かを主役に据えて物語が進行することもない。とても淡々とストーリーは進んでいく。時々挿入される映画部?の撮影シーンもそれを強調させる。

その分、なんてことはないシーンのひとつひとつが愛おしい。とりあえずバンドのスコアをプリンタでコピーしたり、バンドでの初合わせの演奏がグダグタで、曲が終わってから気まずい沈黙のあと顔を見合わせて苦笑いする感じとか。ナレーションもなく、自分の過去や背景を語り出すような人物もいない。ちょっとした出来事や仕草からそれぞれのキャラが自然と浮き上がってくる。

 

一番好きなのは、4人が夜の学校の屋上に忍び込み、ジュースを飲みながらただ駄弁るシーン。ベースボールベアーの関根詩織演じるのぞみが、「こういう時のことって忘れないよね」と熱く語り出し、他の3人が堪えきれず笑ってしまい、恥ずかしくなったのぞみが怒ってちょっと泣くところ。いかにもありそうな会話シーンを、いかにもなシチュエーションでやってくれるのが良い。舌足らずなのぞみの喋り方が、演技下手なぶんやたらリアルである。ちなみにこの屋上のシーンで、のぞみが怒ったときに手元ある缶ジュースが倒れて溢れ、少し慌ててるんだけれど、おそらく台本にない偶然のカットの気がする。

リアルさで言えば、部室のポスターにツェッペリンやTHE MUSIC、ペンパルズやRSRのポスターが貼ってあるあたり雰囲気があって良い。よくありそうな軽音部の部室だ。あとクラスの出し物の準備を抜けられないあの感じ。

本番当日、徹夜続きのスタジオで居眠りした全員が出番に遅れるのだが、そこでいきなり香椎由宇演じるケイの夢が展開される、というパートある。ヘンテコな夢なのですぐに虚構だとわかるんだけれど、その無理やり挿入された感のある場面の意味は正直よくわからない。誕生日を祝われ、武道館のステージに立ち(実際は全然違うホール)、ピエール瀧が本人役で登場する。

あと地味に松山ケンイチが出てる。ソンに告白され、振られる男子生徒役。あと軽音部の部長役で小出恵介が出ているため、今後地上波のTVで見ることはなさそう...

 

そしてこの映画、なぜか音楽をジェームス・イハが担当している。作中何度も流れるテーマ曲がとてもいい。スマパン時代のイハの作曲はあまり多くないけれど、名曲「mayonaise」は青春時代を連想させるし、青春モノとの親和性がある(気がする)。


大切な時間 James Iha リンダリンダリンダ

印象的な場面に、楽器を背負ったメンバー4人が等間隔で河原を歩くシーンがある。(DVDだとメニュー画面の背景になっている)ここで流れるのが「夕暮れの帰り道」という曲なんだけど、これもまた良い。サントラはあいにく持ってないので、いつか欲しい。

 

YouTubeに映画全編が普通に上がっているためにいつでも観れてしまうのは、果たして大丈夫なのだろうか。今後も思い出すたびに観ることになりそう。

 

 

 

 

ここまで感じたままに感想を書いてみたんだけれど、なぜ今更「リンダリンダリンダ」について文章を書いたかといえば、最近読んだ本で触れられていて思い出したからだ。宇野常寛の「ゼロ年代の想像力」。なかなか面白かった。本格的な批評本を読むたびにいつも思い知らされるのが、自分がいかに「読んでいないか」といことだ。つまりは知識の浅さを突きつけられる。あらゆる作品を横断して論じるには、そのあらゆる作品の細部を語れないといけない。ハルヒやらクドカンやら恋空からAKBまで、あらゆるサブカルチャーを徹底的に整然と批評できるのは、もちろん全てを見て知っているからだ。正しいかはさておき、言及できるだけで凄い。

本書の第14章、「『青春』はどこに存在するか」のサブタイトルが「『ブルーハーツ』から『パーランマウムへ』」であり、矢口史靖監督「ウォーターボーイズ」に象徴される「学園青春モノ」との対比で「リンダリンダリンダ」を論じている。

たとえば、こんなシーンがある。パーランマウムのメンバーが所属する軽音楽部の顧問がを務める教師が、生徒に励ましの言葉をかけようとする。教師は、自分が生徒だったころどんな思いを抱いていたか、そして今、教師として彼女たちの姿を見てどう思うかーーそんな思いを口にしようとするが、モゴモゴとしているうちに「先生、もう行っていいですか?」と生徒に話を打ち切られてしまう。そう、余計な(矢口的な)説教(物語)なんていらない、青春はただそこにあるだけで美しいのだーーそんなスタッフの態度が伝わってくる名シーンだ。

 

宇野常寛ゼロ年代の想像力」p353

 

なかなか愉快だ。このシーン、単純にコントみたいで笑えて好きなんだけれど、深読みすればこんな見方もできるのか。目から鱗だ。

確かにこの映画では、登場人物の背景は語られず、余計な回想シーンも、過剰な心理描写もない。誰も死なないし、そもそも事件なんて起こらない。ただ、ありふれた青春の数日を切り取っただけなのにこんなに美しいのは、ありふれているだけに観客が入りやすい、自分にもあったかもしれない青春を投影できるからなのだろう。

 

 

追記:最近ネットで拾った写真なんだけど、尊い

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