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状況が裂いた部屋

音楽と映画と日常について

物事の終わりについて

雑記

 物事が終わる瞬間が美しいと思う。人の死、映画のエンドロール、バンドの解散、デパートの最後の営業日。熱狂的なお祭り騒ぎで終わっていくものよりも、静かに温かく見送られるような終わり方が好きだ。そんな終わりに立ち会いたいものだ。

 

 昨年の夏、確か報道ステーションか何かのニュース番組で最後のブルートレインが発車する様子を生中継していた。老朽化が進んでいた全国の寝台特急はここ数年で次々と廃車になって、今日運行する最終便をもってすべてのブルートレインは全廃される、との解説とともに駅のホームが映し出された。青い電車の前はカメラを持ったものすごい数の人で埋め尽くされていて、やがて電車が動き出すとありがとうー、おつかれさまー、というファンの声とともに大量のフラッシュに照らされながら、電車はゆっくりホームから離れていった。次の日の朝の2015年の8月23日にこのブルートレイン上野駅に到着して、日本の現役ブルートレインはすべての運行が終了した。

 僕はニュース番組の中継を見ながらなぜか少し泣いてしまった。そのころ就活で疲れていたせいもあって涙もろくなっていたのかもしれないが、こういう感動的な物事の終わり方にめっぽう弱いようだ。このあとブルートレインの事を少し調べたら、1959年に運行を開始してから高度経済成長期に活躍したが、飛行機や安い高速バスに乗客を奪われたこと、どの客車も作られて40年以上経っていて改装だらけであることを知った。こんな背景があったら、そりゃもちろん60~70年代にバリバリ働いたけれどもうとっくに盛りは過ぎて、年下や若手に会社での居場所を奪われ寂しく去っていったおっさんサラリーマンの姿とかを重ねてしまうに決まっている。中継で映った映像には必死に写真撮る人も見えたが、たいていの人は静かに電車を見送ってその姿を目に焼き付ようとしているように感じた。これまたありそうな話だが、この電車を見送って自分も今期で退職する、みたいな駅員さんのドキュメンタリーとかあったら絶対泣く自信がある。どこまでも単純でちょろいな自分。

 

 僕が好きなペイヴメントというバンドがある。活動期間は1989年~1999年で、ほぼぴったり90年代にアメリカで活動したバンドだ。このブログのURLのFrontwardsという語はこのバンドの曲から取られている。ちょっと厨ニくさい。でも気に入ってる

 ペイヴメントの一番の名盤は2枚目(3枚目かも)の「クルーキッド・レイン」だと思うが、ここで取り上げたいのはベスト盤に入っているライナーノートの文章だ。ペイヴメントは2010年に一時的に再結成したが、その時世界中の音楽フェスからヘッドライナーとして声がかかった、それは何故か、という内容。確かにペイヴメントは他の同時期のバンドと比べてめちゃめちゃ売れたわけでもないし、どうしてここまで愛されるのか不思議だ。ライナーノートの筆者(タナソーだったかもしれない…)は「ペイヴメントとは精神だった」と結論付けていた。90年代のグランジやローファイな音楽を代表する、精神的な象徴だった、と。だから解散したときあれほど悲しまれ、再結成してこれほど喜ばれると。

 

 ブルートレインペイヴメントの話を思い出していて考えたが、やはり何か時代を象徴するようなものの終わりが感動を呼んだり、美しいと感じさせるものだったりすると思う。ブルートレインは高度成長期の世代の象徴であり、団塊の世代が学生時代の旅行や社会人になってからの出張で利用したからあれほど惜しまれたのだろう。もしかするとあれで上京して就職した人もいるのかもしれない。テレビのアナログ放送が完全終了して地デジになった時も、しきりにテレビ放送の歴史を振り返る、みたいな番組をやっていたような。

 これらのように全国規模の話じゃなくても、街の一角で何十年も営業していた駄菓子屋がひっそりと閉店する日とか、マイナーな雑誌の片隅で長く続いた漫画の連載が終わる回とか、小さな終わりを見つけてはそこにあったであろうドラマを想像して、ひとり勝手に胸を熱くしている