状況が裂いた部屋

旅行と読書と生活

人生のエンドロール

 昨日サークルの追いコンが終わり、今日は学部棟で卒業者名簿を確認してきた。明日はゼミの追いコンだ。次々と自分の所属していたグループから追い出されて、感傷に浸る合間もない。サークルでは泣くかもな、と思っていたけれど特に目頭が熱くなることもなくサラッと終わってしまった。こう書くと自分が凄く薄情な人間のように見えるけれど、ここ数日嫌な事が幾つかあってもやもやした気持ちで過ごしていたのと、今週中にやるべき事が多過ぎてそれらのことを考えていて少し上の空だったせいであの泣ける雰囲気に入り込めなかっただけだ。あと学生最後のバンド演奏だったというのに自分の演奏に全然満足いってないからだと思う。最後くらい上手いベースを弾きたかった。が、ぶっちゃけ練習してなかったし、バンドに向ける熱量は去年の定コンを終えてからもうほぼ無いのだった。悲しい。けれどそういうものか、とも思う。でもやっぱりバシッとキメたかった。一緒にバンドを組んでくれた後輩同輩にも申し訳ない。
 来週には実家へ帰り、あといくつかのイベントを消化した後はニュージーランドへ旅立つ。初の海外旅行で13日間、しかも一切ツアーの類でなく個人で借りるレンタカーでの旅ってどうなんだと思うがこれが最善なのだから仕方ない。とても楽しみだ。この2か月は様々な場所へ行ったがこれが本当に最後。気楽な学生生活は完全に終わり、4月1日からはついに社会人編だ。

 大学生活の終わり、というのは同時に、小学一年生からの16年に及ぶ勉強が本分という立場から解放されるわけで、これまで22年間の人生でもなかなかの大きな節目だ。こういった場面でよくある感想が「振り返ると一瞬だった」とか「あっという間の学生生活だった」といったものだと思う。しかし僕は違う。僕に言わせてもらえば、これまでの人生を一言で述べると、こうだ


 本当に本当に、本当に長かった。


 これには、残念なことにネガティブな意味も含んでの感想だ。もちろん数えきれないほどの楽しい思い出もあるし、自分の身の回りに起こったことは割と覚えている方なので振り返ると膨大だ、くらいの意味でもある。基本的に楽しい毎日を送っていた

 今「基本的に楽しい毎日を送っていた」と書いたけれど書いた途端いや、本当にそうなのか、と微妙な心持になっている。嘘は良くないしこういうところに文章を書くときくらい正直になりたい。実際のところはどうだろうか。いま頭を探ってみるとつらいこと、痛いこと、恥ずかしいことなどなかなかに嫌な思い出も出てきてしまって参っている。そもそも現在少しネガティブな気分でこの文章を打ち込んでいるせいもあるかもしれない。記憶は不確かなものだし、同じシーンの思い出も時間が経てば印象も変わる。大切なのは写真でも動画でも文章でもいいから、なにかの媒体として記録しておき、いつでも見返せる状態にしておくことだ。
 

 という訳で、この大学卒業が確定した日に、つらくでも楽しかった人生の第一部「学生編」が終わり、第二部「社会人編」がスタートすることを記念して、自分史を書き始めようと思う。


 この先時間が経って子供だった頃の自分がどうであったか思い出せなくなったり、あまりにも仕事がつらくて自分の過去の記憶をいいように改ざんしたり、歪めてしまうかもしれない。もしかしたらは記憶を喪失するようなこともあるかもしれない。単純にあんなこともあったね、と思い出に浸ることがあってもいい。とにかく時間がある今のうちに、0歳から22歳までの自分を文章として記録しておく。変にタイトルには凝らずに、シンプルに「自分史」としよう。