状況が裂いた部屋

音楽と映画と日常について

「窮屈さ」の研究

 窮屈の原因は何なのか、と真面目に考えてみる。

 
   高校生の頃の自分は、ある意味で健全で真っ当な、どこにでもいるような男子高校生らしい悩みを抱えていた。定期考査の度に築く赤点の山、部活では上手い後輩の活躍で試合の出番が減る一方で、クラスではなんとなくキャラが定まらない。ロッキングオンがよくやる90年代特集の号を買ってはスマパンペイヴメントウィーザーあたりをひたすら聴きまくる、典型的な冴えない学生だ。
  進学校だったので、1年の頃から志望大を第3志望まで書かされ、模試もしょっちゅう受けさせられていた。大学に進学するのは当たり前、受けるからには少しでもレベルの高い大学を受けましょう、そんな流れが完全に出来上がっていたが、そこについては特に窮屈さは感じなかった。「そういうものだ」という暗黙の了解のようなものの不気味さは感じていたが、真っ当な毎日馬鹿騒ぎをしている同級生たちもそのあたりは諦めているというか、まあ大学生になればきっと一人暮らしもできて好きなことをやる時間も持てて、やりたいことはいくらでもできるさ、と大人しくコツコツ勉強していた。教師たちや親に上手いことコントロールされていたのかもしれない。それでも何人かは、中退してフリーターになった後自衛隊に入った奴や、震災をきっかけに思うところがあって、とボランティア活動をすると言い残していなくなった奴がいた。それはそれでかっこいい生き方だと思う。そうやって強烈にやりたいことなどみつからないし、専門性の高い方面に進むことは他を選ぶ選択肢を消すことになるし、あと数学出来ないし、など理由をごねた自分は文系の大学生になったのだった。
 
 
   合格したのは地元の大学だったが、なんとか親を説得し一人暮らしが出来ることになった。「学生」という一応の肩書きがあり、時間は余る程あり、ないのはお金くらい、という素晴らしい時間だったと思う。そんな誰かのお伺いを立てなくても好きに時間を使えて好きなところへ行くことができる、好きなだけ好きなことをできる環境は幸せだった、最初の2年くらいは。この時期の自由さ加減を考えるとやはり実家暮らしにうんざりしている現状は一人暮らしを始めれば解決する気がしなくもない。