状況が裂いた部屋

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読書の時間

  恩田陸の著作に「小説以外」というエッセイ集がある。その中に収録されている「読書の時間」という一編は読書というメディアの真理を短い文章でこれ以上なく端的に言い表しており、初めて読んだとき心の底から感服してしまった。短いので思い切って全文を引用する。

読書とは、突き詰めていくと、孤独の喜びだと思う。 人は誰しも孤独だし、人は独りでは生きていけない。 矛盾してるけど、どちらも本当である。書物というのは、 この矛盾がそのまま形になったメディアだと思う。 読書という行為は孤独を強いるけど、独りではなしえない。 本を開いた瞬間から、そこには送り手と受け手がいて、 最後のページまで双方の共同作業が続いていくからである。 本は与えられても、読書は与えられない。 読書は限りなく能動的で、創造的な作業だからだ。 自分で本を選び、ページを開き、 文字を追って頭の中で世界を構築し、 その世界に対する評価を自分で決めなければならない それは、群れることに慣れた頭には少々つらい。 しかし、読書がすばらしいのはそこから先だ。 独りで本と向き合い、自分が何者か考え始めた時から、 読者は世界と繋がることができる。 孤独であるということは、誰とでも出会えるということなのだ。
 
「小説以外」 新潮社 p.179
 
 「小説以外」は自分がこれまで読んだエッセイ集の中で不動の一位である。まずタイトルがいい。エッセイを出すならこれ、と決めて温めていたらしい。一編ごとのタイトルも秀逸だ。「予感と残滓の世代」「すべてがSFになったあとは…」「四人姉妹は小説そのものである」など。
   「六番目の小夜子」と「夜のピクニック」がそれぞれテレビドラマ化、映画化されているので世間では青春モノの人、と認知されてる節があるが、実際はミステリやSFといったジャンルも幅広く書いている。しかしどのジャンルを書いても共通しているのが、主人公(自分)の世界への憧れや期待、子供に誰もが懐く漠然とした憧憬だと思う。何編かのエッセイで自身の読書遍歴を語っているけれど、こういった読書がライフワークになっている人間がああいった美しい文章を書けるんだな…と凄い説得力を感じる。大学の講義中にキングの「ファイアスターター」を読み始めたところ面白すぎてやめられず、喫茶店に移動して夜までかかり一気に読んだという話(『ブラザーサン・シスタームーン』の琴音のエピソードのモチーフと思われる)、OL時代に司馬遼太郎の『坂の上の雲』に夢中になって一日で全編読み切る話、仕事に忙殺されていた社会人時代のある日、酒見賢一後宮小説』を読んで僥倖を得て、一気にデビュー作を書き上げた話など、本との幸せなエピソードが多く収められていてこちらも幸せになる。ちなみに酒見健一は第1回ファンタジーノベル大賞受賞者で、恩田陸のデビュー作『六番目の小夜子』は第3回の最終候補作品である。その他映画や漫画、日本文化への評論、転校が多かった子供時代の思い出、世の中を俯瞰した随筆など、どれも視点が素晴らしい。あとは酒への執着も。ビール党らしい。
   2005年に「夜のピクニック」で本屋大賞を受賞したときの挨拶文が最後に収められている。あれから10年が経っているので、そろそろ雑誌に掲載されてきたエッセイも溜まっていると思われる。文芸誌は立ち読みがしづらい上にいまひとつ買う気にもなれないので、また素敵なタイトルで単行本として世に出してほしいと願っている。