状況が裂いた部屋

音楽と映画と生活

映画「リンダリンダリンダ」

 

f:id:ngcmw93:20171210171326j:plain

2005年。山下敦弘監督。

 

何度も見返している大好きな映画を、改めて文章にするのはなんだか気恥ずかしいし、それなりに思い入れがあるため私情を挟まずに客観的な評論をするのは難しい。言い訳をして感想のみ。

 

簡単にストーリーを説明すると、学園祭を目前に控えた高校の軽音楽部で、とある女子のバンドが空中分解してしまい、急遽残ったメンバーが韓国人留学生をボーカルに迎えてブルーハーツコピーバンドを結成し、すったもんだしながら学園祭で演奏する、というもの。数行で済んでしまった。

特にドラマチックな出来事があるわけでもなく、ブルーハーツを選んだ理由も部室のカセットを漁っていたらたまたま聞くことになったから、という単純なもの。ボーカルが韓国人になったのにも大した理由はない。特に誰が主人公という訳でもなく、4人それぞれのエピソードが少しずつは描かれるものの(男子から呼び出されて告白される、自分のサークルの顧問との個人的な会話シーン、など)、特定の誰かを主役に据えて物語が進行することもない。とても淡々とストーリーは進んでいく。時々挿入される映画部?の撮影シーンもそれを強調させる。

その分、なんてことはないシーンのひとつひとつが愛おしい。とりあえずバンドのスコアをプリンタでコピーしたり、バンドでの初合わせの演奏がグダグタで、曲が終わってから気まずい沈黙のあと顔を見合わせて苦笑いする感じとか。ナレーションもなく、自分の過去や背景を語り出すような人物もいない。ちょっとした出来事や仕草からそれぞれのキャラが自然と浮き上がってくる。

 

一番好きなのは、4人が夜の学校の屋上に忍び込み、ジュースを飲みながらただ駄弁るシーン。ベースボールベアーの関根詩織演じるのぞみが、「こういう時のことって忘れないよね」と熱く語り出し、他の3人が堪えきれず笑ってしまい、恥ずかしくなったのぞみが怒ってちょっと泣くところ。いかにもありそうな会話シーンを、いかにもなシチュエーションでやってくれるのが良い。舌足らずなのぞみの喋り方が、演技下手なぶんやたらリアルである。ちなみにこの屋上のシーンで、のぞみが怒ったときに手元ある缶ジュースが倒れて溢れ、少し慌ててるんだけれど、おそらく台本にない偶然のカットの気がする。

リアルさで言えば、部室のポスターにツェッペリンやTHE MUSIC、ペンパルズやRSRのポスターが貼ってあるあたり雰囲気があって良い。よくありそうな軽音部の部室だ。あとクラスの出し物の準備を抜けられないあの感じ。

本番当日、徹夜続きのスタジオで居眠りした全員が出番に遅れるのだが、そこでいきなり香椎由宇演じるケイの夢が展開される、というパートある。ヘンテコな夢なのですぐに虚構だとわかるんだけれど、その無理やり挿入された感のある場面の意味は正直よくわからない。誕生日を祝われ、武道館のステージに立ち(実際は全然違うホール)、ピエール瀧が本人役で登場する。

あと地味に松山ケンイチが出てる。ソンに告白され、振られる男子生徒役。あと軽音部の部長役で小出恵介が出ているため、今後地上波のTVで見ることはなさそう...

 

そしてこの映画、なぜか音楽をジェームス・イハが担当している。作中何度も流れるテーマ曲がとてもいい。スマパン時代のイハの作曲はあまり多くないけれど、名曲「mayonaise」は青春時代を連想させるし、青春モノとの親和性がある(気がする)。


大切な時間 James Iha リンダリンダリンダ

印象的な場面に、楽器を背負ったメンバー4人が等間隔で河原を歩くシーンがある。(DVDだとメニュー画面の背景になっている)ここで流れるのが「夕暮れの帰り道」という曲なんだけど、これもまた良い。サントラはあいにく持ってないので、いつか欲しい。

 

YouTubeに映画全編が普通に上がっているためにいつでも観れてしまうのは、果たして大丈夫なのだろうか。今後も思い出すたびに観ることになりそう。

 

 

 

 

ここまで感じたままに感想を書いてみたんだけれど、なぜ今更「リンダリンダリンダ」について文章を書いたかといえば、最近読んだ本で触れられていて思い出したからだ。宇野常寛の「ゼロ年代の想像力」。なかなか面白かった。本格的な批評本を読むたびにいつも思い知らされるのが、自分がいかに「読んでいないか」といことだ。つまりは知識の浅さを突きつけられる。あらゆる作品を横断して論じるには、そのあらゆる作品の細部を語れないといけない。ハルヒやらクドカンやら恋空からAKBまで、あらゆるサブカルチャーを徹底的に整然と批評できるのは、もちろん全てを見て知っているからだ。正しいかはさておき、言及できるだけで凄い。

本書の第14章、「『青春』はどこに存在するか」のサブタイトルが「『ブルーハーツ』から『パーランマウムへ』」であり、矢口史靖監督「ウォーターボーイズ」に象徴される「学園青春モノ」との対比で「リンダリンダリンダ」を論じている。

たとえば、こんなシーンがある。パーランマウムのメンバーが所属する軽音楽部の顧問がを務める教師が、生徒に励ましの言葉をかけようとする。教師は、自分が生徒だったころどんな思いを抱いていたか、そして今、教師として彼女たちの姿を見てどう思うかーーそんな思いを口にしようとするが、モゴモゴとしているうちに「先生、もう行っていいですか?」と生徒に話を打ち切られてしまう。そう、余計な(矢口的な)説教(物語)なんていらない、青春はただそこにあるだけで美しいのだーーそんなスタッフの態度が伝わってくる名シーンだ。

 

宇野常寛ゼロ年代の想像力」p353

 

なかなか愉快だ。このシーン、単純にコントみたいで笑えて好きなんだけれど、深読みすればこんな見方もできるのか。目から鱗だ。

確かにこの映画では、登場人物の背景は語られず、余計な回想シーンも、過剰な心理描写もない。誰も死なないし、そもそも事件なんて起こらない。ただ、ありふれた青春の数日を切り取っただけなのにこんなに美しいのは、ありふれているだけに観客が入りやすい、自分にもあったかもしれない青春を投影できるからなのだろう。

 

 

追記:最近ネットで拾った写真なんだけど、尊い

f:id:ngcmw93:20180709223242j:image