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先日、映画「ブレードランナー2049」を観た。本当に美しい映画だった。大作のSF映画に期待されてそうな派手さはないけれど、圧倒的な映像美と「自分は何者なのか」という哲学的な問いを追求するストーリー、終始漂う物悲しい雰囲気、ラストの主人公の選択、どれも素晴らしかった。

この映画の舞台となっている2049年では、過去の「大停電」と呼ばれる出来事により電子化されたあらゆる情報が失われており、残っているそれ以前の記録はごく僅か、という設定である。この「大停電」については渡辺信一郎監督の短編アニメ「ブレードランナー ブラックアウト2022」を観ると事件の概要が分かる。簡単に説明すると「核ミサイルの電磁パルスであらゆる電子機器を破壊」し、「同時に磁気システムを使用するセンターのバックアップは6発の爆発により消去される」ことによりデータが吹っ飛ばしたらしい。要するにテロで物理的に全部破壊した。

「自分は何者なのか」。人間なのか、レプリカントなのか。誰から生まれ、この記憶は誰のものなのか。主人公には断片的な記憶しかない。ブレードランナーとしての任務として、過去の記録を調査しにウォレス社を訪れるが、大停電を経て生き残った記録はほとんどない(本などの紙媒体は残っている)。食料の供給からレプリカントという労働力まで、全てをウォレス社が支配するディストピア。記録が失われているために参照できる記録がない状況で、身寄りも無く、自分の過去を尋ねる相手もいない主人公は、わずかな手がかりを辿って記憶の真相に迫っていく。

「2022」の中で、レプリカントの有志はデータを破壊することで製造番号などの記録を抹消し、人間とレプリカントの境界を壊した(外見では2者の違いはわからない)。実際に「2049」でハリソン・フォード演じるデッカードは人間かレプリカントか最後まで分からない(リドリー・スコットがインタビューで「レプリカントだ」と普通に話してたけど…) 。大停電はある程度成功したということだ。高度に発達し、あらゆるメディアが電子化された社会でそのデータが失われた、そんな設定で作られるディストピア。SFだけど、それなりに起こり得そうでリアリティを感じてしまう。

 

最近やたら引用していて恐縮だけれど、恩田陸が少し前にこんな文章を書いていた。

数年前、紙問屋の社長さんと話していた時に「記録媒体として何がいちばん優れているか」という話になった。社長さんは「和紙に墨で書いたもの」と即答した。なぜならば、歴史が既にそのことを証明しているから。確かに、初めてワープロフロッピーディスクが登場した時は、これがこれからのスタンダードになると思ったのに、その寿命は短く、たかだかここ二十年くらいのあいだに、めまぐるしく記録媒体が現われては消えていった。しかも、それらに書き込んだデータは予想以上に劣化のスピードが速く、いつ消えても不思議ではないのだそうだ。おまけに読み出す機械と電力がなければ、中に何の情報が入っているのかすら分からない。だとすれば、世界から文明が消滅した未来、やはり常野一族の末裔がかつての人類の取ってきた方法通り、こんなデジタル技術の時代などなかったかのように、人々の記憶を伝えつづけているのかもね、と思う今日このごろなのであった。

 

舞台「光の帝国」HP イントロダクション

http://www.caramelbox.com/stage/hikari-no-teikoku/

 

 常野物語シリーズは全て読んだわけではないのだけれど、簡単に説明すると常野一族は特殊な能力を持つ人々で、それぞれひっそりと普通の人間に溶け込んで生活している。上記の演劇の脚本になっているのは、一度読んだだけで完璧に文章を記憶できる、文章を「しまう」という能力者のエピソード。

文章の中の最も優れた記録媒体の話題で、和紙に墨で書いたもの、との答えが紹介されている。そして、歴史が既にそのことを証明しているとも。確かに、フロッピーやVHS、MDなど、まだ二十数年間しか生きていない自分もいくつかの媒体が消えていくのを目にしている。もし、今後ブレードランナーの大停電ような厄災が起こったとき、生き残る記録といえば紙に書かれた文字や、石に刻まれた記号のようなものかもしれない。もしかしたら人類の滅亡の方が早いかもしれないけれど。