状況が裂いた部屋

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物語の導入

 

ネトフリで久々に「マトリックス」を観た。1作目。当時は映像の凄さやアクションシーン、特に例の時間が圧縮されて弾丸避けるやつが話題になったと記憶してたけれど、改めて観た感想は「導入が良すぎる…」だった。完璧だと思う。

 

冒頭のトリニティー国税局に侵入するシーンについては割愛。

男が自宅で寝ていると、自分のPCの画面に突然何者からかのメッセージが表示される。

「起きて、ネオ。

   マトリックスが見ている

    白ウサギの後を追え」

悪そうな連中がドアを叩き、取引をする。ネオと呼ばれた男がフロッピーを渡し、ディスコへ誘われるのを断りかけたところで、女の肩に”白ウサギ”のタトゥーを見つけ、行くと返事をする。    

そしてディスコで何故か名前や男の裏の仕事を知っているトリニティーに会い、先ほどのメッセージの主と気づく。そして耳元で「彼を捜してるのね」「私も昔、彼を探してたの」「彼は言ったわ”君が探しているのは俺ではなく『答え』だ”」と言われる。

 

この時点で男はマトリックスというワードを知っているし、次のシーンで突然届いた電話の声の主がモーフィアスだということも何故か知っている。つまりここでは語られていない、物語が始まる以前に描かれていない組織からの接触がすでにあったことがわかる。ここからストーリーは流れるように進んで行き、突然現れるエージェントからの逃亡と捕捉そして脅し、臍に謎の生物を挿入されたと思いきやベッドの上、夢かと思いきや電話で再び呼び出され謎の生物の除去とモーフィアス本人との遭遇、カプセルを飲んで本物の”現実世界”への転送、と怒涛の展開である。

怒涛の展開、と言っても男がカプセルを飲むシーンまでちょうど30分ほどある。ソファーのある部屋でのモーフィアスとの会話が5分ほどなので、映画開始から25分でとあるサラリーマンがよくわからない組織と合流し異世界へ向かう選択をするのだ。この短時間に一切の無駄なく、観ている側にもある程度理解できる選択の動機と「マトリックスとは何か」という謎を示している。まあもちろんこれは映画であり、ここでキアヌリーブスが「やっぱ冴えなくても普通の日常がいいので青いカプセル飲んで帰ります」とか言って何も始まらなかったらずっこけるけど。

オープニング時点では男は「起きてもまだ夢を見ているような感覚」に襲われており、この現実にどこか違和感を感じている。そこに「”答え”が知りたいか」という問いかけ、日常に突如現れる敵、違和感の答えを与えるというモーフィアスから示される選択肢、そしてトリガーとなるのが「2つのカプセルのうちどちらかを選ぶ」という儀式…一連の流れが異世界への誘いとして見事すぎると思う。

 

異世界の存在とその入り口が示されたとき、主人公が子供だったら、単なる好奇心から扉を開けばいいだけの話だ。もしくは事故で本人に自覚のないまま、訳もわからず転送された、という設定もよくある。しかしこの映画の主人公は平凡なサラリーマンである(ハッカーという裏の顔を持つが)。いま主人公が生活している世界は仮想現実の偽物”マトリックス”で、本物の現実世界では他にある」ことが提示されたとき、普通だったらもちろんこの世界観を受け入れられないだろう。同じ顔の黒服の男たちであるエージェントの出現という非日常と、トリニティーたちの示唆に富んだセリフでぐいぐいと引き込んで行く感じが本当に凄い。ここで重要に思えるのが"主人公が平凡なサラリーマンである"ということ(キアヌリーブスが演じているせいで格好良すぎる問題は置いておいて)。誰もがクソみたいなに日常に疲れ果てている今の時勢に(映画公開から20年近く経っているが)サイバーパンクな"現実"世界が別に広がっているとしたら?これはもう、赤いカプセルを飲むしかない...。誰もが救世主になりたい。

 

冒頭のキーワードに"白ウサギ"があるが、ソファーの部屋でモーフィアスが「今の君は"不思議の国のアリス"の気分だろう 妙な世界に入り込んだ?」という台詞があり、設定からやはりファンタジーを意識した作りになってるのかなと思う。転生シーンで何度か穴に落ちるし。

 あと"黒服の男たち"がやって来て連れ去られる、という設定もよくあるストーリーだが、この映画が面白いのが悪役であるエージェント・スミスが全く同じ顔の黒服たち、なのは納得できるとして、同志であるモーフィアスたちも黒服(やたらスタイリッシュな革ジャンに黒いコート)で、二者がどちらも黒服、という点だ。普通の世界で暮らしていた転生前の主人公からすれば、どちらも異世界の人間であることに変わりはないのでこれを暗示しているのでしょうか。ただの深読みで本当は単純に「黒服には銃が映えるから」という理由だったら笑う。

他にも、モーフィアスたちは主人公をハッカー時代の名前「ネオ」と呼ぶが、エージェント・スミスは必ず「アンダーソン君」と呼ぶ点が気になっていたが、地下鉄での戦闘シーンで「俺の名前は...ネオだ」と言って打ち勝つシーンで「過去を捨て、救世主となる自覚を得た」意味なのかなと受け取った。導入以外にもこの映画には考察し甲斐のありそうな部分がたくさんある。

 

トラックに轢かれたりビルから飛び降りたりともすれば寝て起きただけで異世界に転生しちゃうような、ある意味雑なファンタジーの導入が氾濫する今の時代、20年も前の映画に完璧な導入があったことを思い出せて良かった。

 

 

2019.9.19追記

20周年と続編製作記念ということで4DX上映を観てきた。この設定と世界観はいま観てもやはり面白い。アクションシーンも今作が一番いいんじゃないかと思う。続編の双子の敵の期待感と肩透かし感が酷かったので…。エージェントスミスが増えるばかりでやってる事はそう変わらない。3のカーアクションはまあまあ好きだった。ザイオンのシーンも割と好きなんだけど恩田陸は5分で終わらせるべきだったとか爆睡したとかボロクソ言ってて笑う。

しかし1で預言者のネオに対する「あなたは救世主ではない」との言葉に、ネオが「信じはじめたから」運命に打ち勝つ、という流れはなんか少し違和感あるというか、もっと決定的な根拠ってないのかよと思ってしまう。トリニティーのキスで復活、もトリニティーへの予言があったからわからんでもないけど微妙に安っぽく感じるのは求めすぎでしょうか。それでも1作目は傑作だけど。続編も含め全て満点で愛せるという点でバックトゥザフューチャーは偉大。4に期待はしない…けどきっと観ると思う。