状況が裂いた部屋

音楽と映画と生活

語りの場

用事があって東京へ行く度に、友達と新橋や新宿で朝まで飲むのがお決まりになってきており、本当に楽しい。昨晩もそうだった。朝方、4軒目を出て新宿駅前で解散し、飲み会終わりの少しの寂しさを感じながら銭湯へ行き、サウナに入り少し寝た後に上野をぶらついて帰ってきた。

大人数でのガヤガヤした飲み会もたまにはいいんだけれど、やっぱり自分は3、4人でしっぽりと、一つの話題を延々と話したり、ひたすら好きなものを語る飲み会が好きだ。昨晩も三次会以降はそのモードでの飲み方だったので良かった。まあ何の話題を話したかといえば大して覚えてなかったりするのだけれど。誰かが好きなものについて熱っぽく語っているのを聞くのは楽しいし、同じ作品を見ていても、それぞれで受け取り方が違って、その解釈の違いを語り合っていく過程で、その自分と違う見方、考え方を理解した時に違う景色が見えるあの感じがとてもいい。ある一人がよくわからない独自の概念みたいなものを提唱し始め、みんなで質問を重ねて説明を聞いていくうちに、ある点で急にストンと腑に落ちて「ああー!」と共感した時のあの感じ。そしてその後の会話でその概念をやたら使いたがる一連の流れ。

恩田陸が「残滓と予感の世代」という文章の中で、男子の話は常に細部へと向かっていくものであるのに対し、女子の話は結局「自分の感じていること」がメインであり、最後までそこから踏み出すことはない。男の子の話は、物事のディテールを語っているうちに、そのディテールに捕らわれて狭いところへ入り込んでいってしまう、と書いていて、自分はここで言っている典型的な男の子の話し方なんだろうなと思い当たってしまった。あのアニメの何話のこういうシーンあるじゃないですか、ここでのヒロインのこのセリフって最初見たときこういう意図だと思ったんですけど実はこういう伏線になっていたんですね最近見直してやっと気付きました、同じ原作者のこのアニメのあの話の中で...あれ、今なんの話題でしたっけ...?細部に凝って脱線し、そして大して言いたいこともないので落とし所もないただただシーンの回想をしてそこ好き...みたいな話しかできない。考察を言葉として喋れる人って素直にすごいと思う。自分のように喋りがあまり上手くない人間にとって、語りたいことを人に伝える手段としては、こうして文章を書くというのは一番手っ取り早い手段のように感じる。いや、手っ取り早くはないか。まあまあ時間も労力もかかる。でもメリットもあって、誰かに言葉として伝えることでは会話ではそれで終わりだけれど、文章として書き出せば形として残り、後から読み直すことができる。そもそもこのブログも自分の中での忘備録として始めたものだし、文章を書いた方が頭の中が整理される感じがあるのでその場としてやっている。それでも、面と向かった会話の流れ、やりとりの中でしか出てこない言葉、というのも確かにあるわけで、さっき書いた概念の件がまさにそれの気がする。とにかく好きな人と好きな話題で心ゆくまで喋るのは楽しい。

でもオールナイトで集まってワイワイ喋れる場ってなかなか限られる。二十代半ばの皆さんは忙しく、集まるとしたら大抵が週末の夜で、誰かの家にでも集まれない限りは飲み屋で過ごすことになり、必然的に酒を飲むしかない訳で、延々とアルコールを入れながらしゃべり続けるのはいいんだけどそこまで飲まなくてもいい気分の時もあるわけで、アルコールなしで朝まで過ごせる場所が欲しい。駅前に朝までガヤガヤできる居心地のいい場所が欲しい。需要あると思う。

 

○追記

昨晩の四次会あたりで百合漫画の話になった時、頭で考えたけれどうまく話せなかった話として、人と人の関係性とかは言葉にして説明することはできるけれど、人が誰かに対して抱く感情は言葉として還元するのがとても難しいよね、という話があるので誰かといま語りたい。名前がついていない感情ってまだ様々あると思うし、大抵が混ざり合って現れてくることが多いと思うので説明が難しい、という話。「純粋に嬉しい」とは時々いうけれど、例えば何か失敗をした時にいう「悲しい」って、往々にして「自分への失望」「期待に応えられなかったことへの申し訳なさ」あたりが混ざった感情だったりする訳で、その辺りを漫画なら表情の微妙な描き方、小説なら文章による状況の説明、なんかで表現しているといったところでしょうか。誰かこのあたり文章にしてないかな。