状況が裂いた部屋

旅行と読書と生活

野崎まど『know』

 

know

know

 

面白い。とんでもなく面白かった。一日で一気に読んでしまった。ここまで夢中で読んだ本はいつ振りだろうか。このブログでは基本的に好きな作品についてしか書かないので、言葉を尽くして絶賛することばかりなんだけど、この本は自分の少ない語彙で良さを言語化できる気が全くしない。人に勧めようともとにかく読んでくれ、としか言えないかもしれない。

 

舞台は超情報化社会を迎えた2080年代の京都。国民は情報処理デバイス”電子葉”を体内に移植することが義務付けられ、膨大な情報を脳内で処理できるようになった。6歳から電子葉を入れた人々は、拡張現実や拡張聴覚を当たり前のように使いこなして生活している。触れるものの情報を瞬時に脳内で手に入れることができ、さらには脳神経細胞の電位を操作して、実際には見えていないものや聞こえていないものも現実のように作り出すことさえ可能である世界。主人公<御野・連レル>は内閣府情報庁情報官房情報総務課指定職審議官という大層な肩書を持つ官僚であり、天才プログラマーだ。ちなみに京都大学出身。そして電子葉を開発し、15年前に失踪したのが主人公の先生である<道終・常イチ>だった。

御野が先生の遺した孤児<道終・知ル>と出会い、知ルの身を追う者たちから逃亡しつつ、知ルのある”約束”を叶える事を目的として、物語は動き始める。

 

舞台となる高度な情報化が進んだ未来の世界観の設定が凄い。しかし一番秀逸だと感じるのが、この物語が京都という街で、しかもたった一週間程度の間で完結しているという点だ。時間と場所の限定は物語をまとめる上で重要だが、この狭い中で大風呂敷を広げ、見事に収束させるのはあまりに凄い。導入でさらりと世界観の説明がなされ、ヒロイン<知ル>の登場から一気に物語が走り出す。主人公は仕事が出来てモテる国のキャリア官僚という設定だが、知ルの常軌を逸した能力に圧倒され続け、行く先々で巻き込まれる事件に振り回され続ける構図も面白い。

これだけ複雑な設定や現象を、読み手に理解させる文章。どうしてもモノローグにして「説明的な」文章になりそうなところを、主人公御野が認識する「起こっている出来事」として表現している。例えば御野と知ルが曼荼羅の講義を聴きに神護寺を訪れるシーン。御野が電子葉という拡張デバイスで情報を眺めているとき、知ルは和尚の目を見て話をただ聞いている。御野を遥かに上回る情報をデバイスで引き出せる知ルが何故それをしないか、と御野は訝しむが、彼女の取得している情報分布映像を見て息を飲む。情報量の上限を引き出しているのを表す赤色の表示で「部屋が血塗れになっている」のだ。

舞台が京都というせいもあるのか、場面が映像として頭に浮かぶような緻密な描写に、小説って、文章ってこんなことまでできるのか…。とストーリーと同じくらい文章の上手さに感動してしまった。

もうひとつ圧倒されたのが、京都御所を2人が訪れるシーン。情報庁の警備隊に包囲され、絶対絶命の場面でドレスを着た知ルは御野の手を取りダンスを踊りはじめる。隊員は確保しようとするが2人は優雅に踊りながら躱す。何十人と殺到しても捕まえられない。躍起になり、ついに警備隊は機銃掃射するが一発も当てられず、包囲を抜けた2人は無事に御所に入る。何が起こったかというと、知ルの超人的な情報処理能力で未来予測を行い、撃たれる弾丸や踏むべきステップ、足元の砂利の位置までも事前に演算して踊りながら御野を操作しつつ躱していたのだ。

ハチャメチャなシーンのように見えるが、それまでの知ルの能力がほぼ全能だということを読者は「知っている」ので説得力がある。この途方もない演算能力、御野のいう「想像を超える想像力」の描写に惚れ惚れした。これを映像で表現したらマトリックスみたいな画になってしまうんだろうけれど、完璧に文章で描き切ってしまっている。

終盤のクラス9同士の対話のシーンではテッド・チャンの短編「理解」を連想した。あとは「アイとアイザワ」とか。

人物のネーミングが近未来的なところや、章立てが人間の一生をなぞっているところも格好いい。一章から「birth」「child」「adult」「aged」「death」。

 

近未来SFであり、男女バディの逃避行モノでもある。情報とは何か、知的欲求は人間をどこに向かわせるのか、というテーマについての物語だった。この先何度も読み返すことになると思う。そして京都に行く機会があれば、進々堂の京大北門前店を訪れたい。午前10時に。