状況が裂いた部屋

旅行と読書と生活

野崎まど『know』

 

know

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面白い。とんでもなく面白かった。一日で一気に読んでしまった。ここまで夢中で読んだ本はいつ振りだろうか。このブログでは基本的に好きな作品についてしか書かないので、言葉を尽くして絶賛することばかりなんだけど、この本は自分の少ない語彙で良さを言語化できる気が全くしない。人に勧めようともとにかく読んでくれ、としか言えないかもしれない。

 

舞台は超情報化社会を迎えた2080年代の京都。国民は情報処理デバイス”電子葉”を体内に移植することが義務付けられ、膨大な情報を脳内で処理できるようになった。6歳から電子葉を入れた人々は、拡張現実や拡張聴覚を当たり前のように使いこなして生活している。触れるものの情報を瞬時に脳内で手に入れることができ、さらには脳神経細胞の電位を操作して、実際には見えていないものや聞こえていないものも現実のように作り出すことさえ可能である世界。主人公<御野・連レル>は内閣府情報庁情報官房情報総務課指定職審議官という大層な肩書を持つ官僚であり、天才プログラマーだ。ちなみに京都大学出身。そして電子葉を開発し、15年前に失踪したのが主人公の先生である<道終・常イチ>だった。

御野が先生の遺した孤児<道終・知ル>と出会い、知ルの身を追う者たちから逃亡しつつ、知ルのある”約束”を叶える事を目的として、物語は動き始める。

 

舞台となる高度な情報化が進んだ未来の世界観の設定が凄い。しかし一番秀逸だと感じるのが、この物語が京都という街で、しかもたった一週間程度の間で完結しているという点だ。時間と場所の限定は物語をまとめる上で重要だが、この狭い中で大風呂敷を広げ、見事に収束させるのはあまりに凄い。導入でさらりと世界観の説明がなされ、ヒロイン<知ル>の登場から一気に物語が走り出す。主人公は仕事が出来てモテる国のキャリア官僚という設定だが、知ルの常軌を逸した能力に圧倒され続け、行く先々で巻き込まれる事件に振り回され続ける構図も面白い。

これだけ複雑な設定や現象を、読み手に理解させる文章。どうしてもモノローグにして「説明的な」文章になりそうなところを、主人公御野が認識する「起こっている出来事」として表現している。例えば御野と知ルが曼荼羅の講義を聴きに神護寺を訪れるシーン。御野が電子葉という拡張デバイスで情報を眺めているとき、知ルは和尚の目を見て話をただ聞いている。御野を遥かに上回る情報をデバイスで引き出せる知ルが何故それをしないか、と御野は訝しむが、彼女の取得している情報分布映像を見て息を飲む。情報量の上限を引き出しているのを表す赤色の表示で「部屋が血塗れになっている」のだ。

舞台が京都というせいもあるのか、場面が映像として頭に浮かぶような緻密な描写に、小説って、文章ってこんなことまでできるのか…。とストーリーと同じくらい文章の上手さに感動してしまった。

もうひとつ圧倒されたのが、京都御所を2人が訪れるシーン。情報庁の警備隊に包囲され、絶対絶命の場面でドレスを着た知ルは御野の手を取りダンスを踊りはじめる。隊員は確保しようとするが2人は優雅に踊りながら躱す。何十人と殺到しても捕まえられない。躍起になり、ついに警備隊は機銃掃射するが一発も当てられず、包囲を抜けた2人は無事に御所に入る。何が起こったかというと、知ルの超人的な情報処理能力で未来予測を行い、撃たれる弾丸や踏むべきステップ、足元の砂利の位置までも事前に演算して踊りながら御野を操作しつつ躱していたのだ。

ハチャメチャなシーンのように見えるが、それまでの知ルの能力がほぼ全能だということを読者は「知っている」ので説得力がある。この途方もない演算能力、御野のいう「想像を超える想像力」の描写に惚れ惚れした。これを映像で表現したらマトリックスみたいな画になってしまうんだろうけれど、完璧に文章で描き切ってしまっている。

終盤のクラス9同士の対話のシーンではテッド・チャンの短編「理解」を連想した。あとは「アイとアイザワ」とか。

人物のネーミングが近未来的なところや、章立てが人間の一生をなぞっているところも格好いい。一章から「birth」「child」「adult」「aged」「death」。

 

近未来SFであり、男女バディの逃避行モノでもある。情報とは何か、知的欲求は人間をどこに向かわせるのか、というテーマについての物語だった。この先何度も読み返すことになると思う。そして京都に行く機会があれば、進々堂の京大北門前店を訪れたい。午前10時に。

 

 

2020年5月の短歌

 

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短歌は面白い。すっかりハマってしまった。なんとかこの熱を持続させようと、1日1首ずつutakataに投稿している。そこから5首選んだ。1日に4,5首できる日もあるけど、ペースを守るためわざわざ一旦寝かせて翌日に投稿したりしている。でも短歌って瞬発力が必要な気もするので、あまり推敲しても良くなる気がしない。柔らかい表現にしたければ漢字をあえて平仮名にしたり、同じ意味の語でも別の言葉を使うなど試行錯誤している。

他の人の短歌を読むのもとても楽しい。若い歌人でも歌集を出していたりするので、気になる人のをなんとか手に入れて読みたい。どれも装丁のデザインにかなり凝っている。でかい本屋ならコーナーがある気がするので探してみようと思う。これまで知らなかったり、認識していても通り過ぎていた分野やその界隈に興味が開けるのは刺激があって良い。自分が好きな旅行や読書でも、共通して求めているのは「知らない世界に触れること」なのかもしれない。最近読んだ野崎まどの『know』に「≪知る≫と≪生きる≫は同じ現象ですよ」という台詞があった。神がかった能力を持つヒロインの人生観は独特だがとても説得力がある。エントロピーの増大にどこまでも抗う人生、知ることと生きることを等価に見る人生…。知らない情報を発見して、それに触れているときが一番楽しい。どんどん開拓していきたい。

2020年4月の短歌

 

引っ越しに

慣れた自分がすこし悲しい

大人になるってこういうことか

 


退屈に

向き合うのにも飽きてきて

なにかを始める

きっかけが欲しい

 


窓の外

陽のあたる場所に憧れて

どこにもいけない

四月の終わり

 


新しい

靴を買おうとしたけれど

馴染んだボロが

まだ捨てられない

 


どこへでも

行ける気がした

ハタチの自分

どこにもいけない

現在のぼく

 

 

5つともいま1時間くらいで考えた。短歌って楽しいかもしれない。人の作品を見るのは好きだったが自分で作るという発想がなかった。

少し前から小説を書こうと取り組んでいるんだけれど完成しない。文章を書くのが結構好きだと気付いてから、このブログに旅行記やら日々の雑感やらを書いてはいるんだけれど、やはり物語を書きたいなとずっと思っていた。学生時代から書き溜めてきたプロットを膨らまそうと手を付けるんだけれど、なかなか小説として書き上げることができない。作曲も出来ないし絵も描けないので(映像表現はまだ諦めていないけれど)、苦しんでもなんとか一本書き上げたい。しかし自分が好きな文章を書く人たちは小説だったりエッセイだったり記事だったりとどんな形態、どんな題材でも面白い文章を書いているので、小説にこだわらなくてもいいのかもしれない。もう少し粘ってみるけれど。自分が納得できる最高の文章をいつか書きたい。

SuiseiNoboAz 『HAVE A NICE DAY BABYLON TOKYO』

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ボアズのライブDVDを買った。2017年9月3日渋谷O-NESTでのライブを収録したもの。2017年から2018年にかけて、ボアズはほぼ1年に及ぶリリースツアーを行った。自分は山形と東京でその内の2本を観た。特に東京で観た回はその年観たライブの中でベストに挙げたい桁違いの格好良さだったと思う。


3曲目の「tokimekinishisu」とそれに続く「14」を聴いて、もうこのDVDの元は取ったな…と思った。凄すぎる。どちらも前体制の3ピース時代からある曲だけれどこのバージョンが格段に良い。

ブレイクのキメはもうザゼンボーイズ54-71のようなバンドの域にあるようだ。石原さんの取る独特な間を他の演奏陣が完璧にキメまくる。しかも単純な超絶技巧バンドというだけでなく、演奏の上手さが表現の手段になっているのが凄い。mizukamakiriのイントロ、ギターのハーモニクスをほぼ完璧に鳴らしていて美しい…。何故かこの曲で石原さんはストラトを2本掛けて演奏しているんだけれど、体の軸の安定感が凄くて体幹の強さが伺える。曰く「音を歪ませるのは筋肉」。

石原さんは少し歌い方が変わった気がする。これまでライブによっては全然出ていなかったハイトーンがかなり出ていて別人のようだ。特に1st収録の名曲my discoを伸びやかに歌い上げていてびっくりした。my discoのアウトロはこのライブのひとつのハイライトだ。でもT.D.B.Bやgakiamiではがなり散らすように暴力的に突き刺さる声で変わらず良い。

「新宿の歌をやります」と言って始まる「elephant you」を聴いて気付いたが、この曲のイントロで石原氏が弾いているブリッジミュートしたギターで弾いているリフは「64」と同じアイデアのものだ。そしてこのリフが自分にとっての東京、新宿のイメージになってしまっている。

環状線甲州街道彼岸花…とこのバンドが繰り返し登場させるモチーフと共に、自分の中での都会感を象徴するものとなったボアズの曲。おそらく就活や旅行で何度も東京へ行っていた大学2〜4年にかけて熱心にボアズの2ndと3rdを聴いていたから、自然とそう刷り込まれたのだと思う。

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ちなみに「14」の歌詞にある「甲州街道と井の頭通り、そして水道通りが交わりそうで交わらないそんなエアポケットみたいな地点」を調べてみた図がこれ。

赤色が甲州街道、緑色が井の頭通り、青が荒川水道道路。曲の後半で「おまえ」は群青色の気配に掴み取られながら中野方面(地図の右上方面)へ歩き出す。こういう野暮な調べものが好き…。道路上の地点オタクなのでこのエアポケットは是非訪れてみたい。「14」はボアズの中でも特にドラマチックな曲だ。


ダブルアンコールのラスト、E.O.Wで「SuiseiNoboAz from Shinjyuku,Tokyo,Japan,to everywhere. 」と台詞を吐く石原氏。かつてT.D.B.B(高田馬場)で活動していたバンドはSXSWへの出演、台湾でのツアーなど新宿から世界へ活動を展開している。こんな最高のバンドが存在しているという事実だけで胸が熱くなる。今年中に新譜を出してくれたら嬉しい、めちゃくちゃ期待している。

 

救済小説

エピソードが3つある。ひとつは高校3年の2月下旬のこと。大学の前期入試に失敗した自分は高校の図書室にいた。誰かと話をしたかったけれど、人気のない部屋には同じように辛気臭い顔をした人間しか居らず、一体これからどうしたらいいのかと気持ちはひたすら沈んでいた。

そこで気分転換に本でも読むか、とたまたま手に取ったのが金城一紀の『レヴォリューションNo.3』だった。読み始めると止まらなくて、そのまま借りて家に帰り、その日のうちに全部読み切ってしまったのを覚えている。とんでもなく面白く、笑えるけど切なくて、登場人物たちが全力で生きている姿に心を動かされた。そして何より、物語に熱中している間は全ての煩わしい事を忘れさせてくれる、そんな事実が当時の自分には新鮮な体験だった。高校生活の終わりというタイミングで読んだからあんなにも心に響いたのかもしれない。

 

大学2年の冬、完全に暇を持て余していた自分はまたしても図書館にいた。大学の図書館はそこそこ綺麗で、居心地も悪くなかった。3年になりゼミ室に居場所を見つけるまではよく通った。僅かしかない913の分類から良さそうな文庫本を選んで、少しずつ読む毎日。その中に金城一紀の名前を見つけ、『対話篇』という短編集を借りて帰った。家で読んで正解だったと思う。あまりに号泣してしまい、ページが涙で濡れてしまって乾かさなくてはいけない程だった。確か「花」という名前の短編があって、どうしようもなく泣けた。余命僅かな弁護士と主人公が南へ旅をする話。

 

社会人になってからは、あまりの忙しさに読書から遠ざかってしまった。それでもバス通勤をしていた2年間は常に文庫本を鞄の中入れ、短編集やエッセイ本などを読んでいた。そんな時にブックオフで見つけたのが、またしても金城一紀の短編集『映画篇』だった。そしてこれが、現在まで自分の中で一番大切な本になっている。

収録されている短編はどれも傑作で、読み返すたびに何度も泣きそうになるんだけれど、「太陽がいっぱい」が一番好きだ。親友との友情と、少年の頃一緒に観た沢山の映画の記憶に救われる、ある小説家の話。

自分の人生の中で、どれだけこの人の小説に励まされてきたか分からない。「太陽がいっぱい」で描かれる「良い映画や物語に感動した記憶は、何度でも人を救うことができる」というテーマを、まさにいま自分が体験しているという状況に痺れてしまう。そして、父親がいない自分の境遇を少しだけ誇りに思えるようになった。スティーブ・マックイーンにも父親はいない。同じモチーフが繰り返し登場して、短編同士が緩やかな繋がりを持っているのも美しいと思う。


金城一紀といえば直木賞を受賞した『Go』が有名だろうし、柴咲コウ窪塚洋介の映画は最高だった。2001年頃の窪塚洋介は世界で一番カッコよかったと言い続けてる。

直木賞を取っていながら、もしかしたら脚本家としての方が有名なのかもしれない。映画化までされたドラマ「SP」や、再び岡田将生主演のドラマを書いたりと凄いキャリアだ。

近年は脚本ばかりで、金城一紀は全然小説を書いていない。上の文章で名前を挙げた本が刊行されている小説のほぼ全てである。『レヴォリューションNo.3』はゾンビーズ中心の短編集としてシリーズ化されているが、やはり第1巻の3編があまりに面白く、続編はこれを超えられていないと思う。

 

作家の読書道:第6回 金城 一紀さん

このサイトで本人が作家になるまでの半生を語っているんだけれど、学生の頃書こうとしたけれどまだ今じゃない、と判断して小説や映画を観る生活をしていたそうだ。「ニムロッド」書いた上田岳弘もそんな事を言っていた。


ちなみに今この文章を書くために本人のツイッターを見にいったところ、コロナウイルスで外出自粛中に観れる映画を30本も紹介していた。『アラビアのロレンス』『がんばれ!べアーズ』『スティング』『宇宙からの遊体X』…。どれも配信で観れるそうなので観なくては。

 

3,4年前も同じように小説を書いている、とツイートしていた気がするが、もうここまできたらじっくり腰を据えていつまでも待ちたい。ぶっ飛んで面白い小説で、また自分を救ってほしい。

半地下の匂い

「そうじゃなくて」長女のギジョンは言う。

「半地下のにおいよ。ここを出れば消える」

 

映画「パラサイト 半地下の家族」を観た。本当に面白かった。この映画にはポン・ジュノ監督からネタバレ禁止令が出ているけど、以下の文章はがっつりネタバレあり。

 

 

半地下の家で暮らす貧乏な家族が社長一家の豪邸に取り入って寄生したら、豪邸には更に凄まじい「地下」があった、という話。

主人公の家族は狭い半地下の家で暮らしている。わずかに路上に面した小窓からは立ち小便する酔っ払いが見え、散布される殺虫剤が舞い込んでくる酷い環境の貧しい家。夫婦と長男、長女の仲の良い4人家族。長男が友人の代役として裕福な社長の家で家庭教師を務めることになり、それをきっかけに一家は豪邸に寄生していく。

映画の前半はテンポよく寄生の様子が描かれていてただ笑える。貧乏家族が前任たちを蹴落として社長の家の家庭教師や運転手、家政婦に収まっていく(ソン・ガンホは2017年の映画「タクシー運転手」でも運転手役を演じているのでニヤッとなった)。貧乏家族の思うまま、「計画」通りに流れるように物事は進む。常に完璧に美しくあることが「普通」である社長の家では、家族の周辺の人間関係も完璧でないといけないという強迫観念に襲われているかのようだ。貧乏家族が少しの不穏さを仕込むだけで、何かに不安になり、「それはいけない」と囁くだけで簡単に不安は決定的な欠陥とみなしてしまう。特に社長夫人は病的なほど不安要素を排除することに躍起で、結果的に簡単に人をクビにしては貧乏家族の人間を登用することになる。奥様はヤングアンドシンプルだ、と序盤で評されるが、単純で頭が弱い、との意味に取れる。社長一家の長女ダヘは家庭教師でやってくる男たちを次々と手玉に取る魔性の女子高生なのかと思ったがそうでもなく、普通に半地下家の長男と恋仲になっていた。てっきり寄生計画の破綻はここから起こると思ったのに。

中盤、社長一家がキャンプで外出した日、豪邸でやりたい放題に酒を飲んでいた貧乏家族は地下シェルターに男が隠れ住んでいることを知る。豪邸の元家政婦の夫で、男は借金取りに追われ、食料を盗み食い(家政婦がこっそり持ち込んでいた)、社長一家に気づかれることなく何年も前から寄生していた。裕福な社長一家が住む「高台の」豪邸、貧乏一家の住む「半地下」、そして外を出歩くこともできない状況の男が住み着いているのが「地下」。単純な貧乏人対金持ちの構図と思いきや、豪邸のすぐ下に3段目の階層があるという仕掛けだった。住処がそのまま社会的な構図になっている。

 

作中で印象的なのが、執拗に出てくる「匂い」の描写だ。

貧乏家族はそれぞれ見事に役をこなして社長一家に寄生するが、半地下での生活で染み付いた匂いは消えない。社長が「運転手の匂いが我慢できない」と言うのを聞いた貧乏家族の父親は、無表情に自分の匂いを嗅いで確かめる。思えば社長一家の長男が「同じ匂いがする」と運転手・家政婦として寄生中の夫婦を指摘したのも「寄生がバレるかもしれない」とヒヤリとするシーンであるだけでなく、貧乏人が纏う「匂い」、つまり2人が半地下の住人であることを無意識に見透かしていたようにも取れる。

クライマックスの惨劇シーンにも「匂い」は現れている。

豪邸でのパーチィーの日、地下シェルターで暮らしていた男が長男を殴り倒し、半地下一家の長女ギジョンを刺す。社長が床に落ちた車のキーを拾おうと、反撃に遭い倒れた「地下」の男をどかす。その際に男の発する匂いに顔をしかめて鼻を覆う。まるで人間を汚物のように扱うその姿を見た運転手は、ナイフを手に取り、社長に深々と突き立てる。自分の娘を刺した犯人ではなく、匂いを嫌悪し、刺された娘(社長にとっては絵画の先生だが)を気にもかけなかった金持ちのIT社長の方を刺すのだ。血飛沫が飛び、人が逃げ惑う地獄絵図のスローモーションの中で、怒りが振り切れて限界を超えた父親の顔は凄みがある。

匂いに対して思わず臭い、と思わず反応するのは人間の反射的な行動だ。だからこそ、社長の鼻をつまむ仕草は無意識下での差別に思える。互いにどんなに取り繕っても、染み付いた貧しさを象徴する匂いは消えず、またその匂いを忌み嫌う金持ちの仕草も出てしまう。意識的な差別や階層意識と、無意識的なそれとでは、後者の方が怖いと思う。

ポン・ジュノ監督は「現代の資本主義社会において格差を題材にすることはクリエイターの使命」と言っていたそうだけど、単純にエンターテイメントとしての面白さがあって良かった。自分は韓国映画は数えるほどしか見ていないけれど、これまでぶっちぎり一番だった「The Witch 魔女」を超えたと思う。もう一回観たい。

 

黒部峡谷探訪記

11月上旬、黒部峡谷パノラマ展望ツアーに参加した記録。

国内、国外を問わず、自分は旅行でツアーというものに参加したことがない。旅行のプランを立ててもらえて場合によっては安く上がるのは良いかもしれないが、時間や行動を制限されて聞きたくもない説明を聞くのが面倒だからだ。

今回黒部峡谷へ行きてえな、と思って調べるとトロッコ列車に乗れるツアーがあると知った。正確に言うとトロッコ電車は誰でも乗れるけれど、ツアーではその先の一般客が普段立ち入れない関西電力の施設が観れるという。バックヤードツアー的なものに興味があった自分は即予約を入れてしまった。黒部方面には日本唯一のトロリーバス(関電トンネル無軌条電車が運行していたのに2018年で運行が終わってしまった。いつか乗ろうと思っていたのに。代わりにせめてトロッコに乗って無念を晴らしたい気持ちもあった。

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黒部ICで高速を降り、黒部川沿いに県道13号線を上流へ進む。しばらくするとJR富山地鉄の終点である宇奈月温泉駅があり、すぐ隣には黒部峡谷鉄道宇奈月駅がある。今回乗車するのは黒部峡谷鉄道のトロッコ電車。ちなみに北陸新幹線が停車する黒部宇奈月温泉駅というものもあるため、「宇奈月」駅は3つも存在する。近くの駐車場に車を停めて駅の2階でツアーの受付をした。終点欅平駅までのトロッコ列車往復券を含んで代金は6,000円だった。

 

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かわいいサイズの列車に乗り込み、欅平駅まで80分程度の移動を楽しむ。先頭にある客車を牽引する電車は228馬力とのこと。窓無しの車両だったためひどく寒い。顔に直接風が当たって耳が痛いがだんだん慣れる。基本的に左側は崖、右側は黒部川の景色が見られる。

 

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列車が動き出してすぐに、室井滋のナレーションが始まり沿線の名所や地名の由来を紹介してくれる。最初に見えてくるクッパが住んでる城みたいなやつが新柳河原発電所。川の色は見たことないような緑がかった青だった。当然ながら深さによって色が変わっていく。時々山に入る引き込み線がある。川にはいくつか橋が架かっているが、途中に一本猿専用の細い橋が架かっていて面白かった。実際に渡っているところは見れなかったけれど線路沿いに普通に猿はいた。

 

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ツアー以外ならいくつか途中下車できる駅がある。インスタの隆盛に乗っかってなのか顔はめパネルが沢山ある。鐘釣駅で少しスイッチバックした。線路と並行して冬季歩道がずっと通っている。幅は人ひとりが通れるくらいしかない。このトロッコ列車は11月で運行は終わり、一部は雪対策の為枕木まで外すそうだ。雪崩の威力は凄まじく、ホウ雪崩というものはマッハ3の速度で鉄筋作りの建物を吹き飛ばすこともある。そのため、運休期間には最奥地にある発電所の管理者は数時間かけてこの歩道を歩いて仕事場へ向かうらしい。しかし関西電力は社員を猿として表記するとは恐ろしい会社だ。

 

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欅平駅に到着し、案内人である関電のおじさんたちが出迎えてくれる。一般観光客が入れないトンネルや関電施設に入っていく。ヘルメットを被り、途中までは工事用の凸型(トツガタ)機関車に乗り換えて進む。トンネルにはダイナマイトで爆破した素掘りの跡が残っていた。竪坑エレベーターで200m登り、展望台へ辿り着く。

 
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エレベーターを降りた地点の展望台から更に10分ほど登ると、白馬鑓ヶ岳や毛勝三山が見える地点がある。見渡す限り360°全てが巨大な山。ちょうど紅葉していて見事な景色だった。こんなところにも鉄塔は立っていて、電気が使える。この後出てくる黒部ダム建設現場でも思ったが、必要があれば人間はどんな困難な工事でもやってしまう。今でこそ近辺の発電所は大きな電力を供給する欠かせない存在であるけれど、昭和中期の開発当時、こんなに困難な工事に膨大な費用と労力を費やすモチベーションを持てたことが凄い。

 

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欅平駅の真下には黒部川第三発電所がある。世紀の難工事と言われた黒部ダム及び黒部第四発電所(通称クロヨン)はさらに上流の地下にあり、黒部峡谷ロッコの沿線から見ることはできない。黒部ダムの建設では171人の犠牲者が出たとのことだ。工事用車両に付いている関電のマークはボルトのVとアンペアのAを掛け合わせたもの。そもそも富山県北陸電力の管轄なのに、何故この周辺の発電所は関電なのかというと、この発電の送電先が関西で、関電が主体となって建設したからということだった。2001年放送のプロジェクトXでクロヨンを取り上げていただいて、2002年の紅白で中島みゆきさんがここから中継で歌ったんですよー!と関電のおじさんが写真を見せてくれる。

 

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欅平駅にはレストランやビジターセンターなどが併設されており、帰りの電車まで時間を潰せる。センターの2階にはいい感じのジオラマがあった。帰りのトロッコもナレーションで沿線の解説がある。猫又駅の由来の話になり、猫に追われた鼠が岸壁を登ろうとしたところ、急すぎて登れず、追ってきた「猫もまた」、登ることができなかった→猫又、なのだそうだ。本当かよ。また、黒部という地名はアイヌ語で狂う川、魔の川を表す「クルベツ」が転じてクロベとなったらしい。

 

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宇奈月へ帰還。近くにあった電気記念館に入ってダム建設の映像を見るなどする。温泉街を歩いたら銭湯(一応温泉か)があったので入る。外観が綺麗すぎて一見銭湯には見えなかった。3階が男性風呂で、湯から上がったあと涼もうと4階に行ったら謎スペースで笑ってしまった。階段前のわずかな場所にマッサージチェアが1個だけ置かれ、使いづらいことこの上ない。風呂は良かった。外に足湯もある。

 次は黒部ダムも見たいと思う。立山黒部アルペンルートは鉄道・ケーブルカー・ロープウェイと幾つも乗り物を乗り継ぐことになるので楽しみ。あと先日奥只見ダムへ行きダムカードをゲットしたので、黒部ダムカードも何としても手に入れたい。