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映像研には手を出すな!(1) (ビッグコミックス)

映像研には手を出すな!(1) (ビッグコミックス)

 

「映像研には手を出すな!」を3巻まで読んだ感想。

虚構の物語を創り出す制作の現場は、どうしようもなく現実だ。様々な問題が起こり、必要な条件も多い。時間、お金、労力、そしてそれらを注ぎ込む情熱。ありったけのエネルギーを注ぎ込んだ傑作の裏には、作った人間のドラマがある。そんな舞台裏の現実を徹底的に描くという「創作をする現場を描く」物語の構造。「バックステージもの」という呼び方があるのかわからないけれど、映画「カメラを止めるな!」はまさにこれだったと思う。もちろんゾンビ映画を撮っている「舞台裏の現場」もフィクションであり、そこが本編という二重の構造なんだけれど、エンドロールの本編のオフショットが「『カメラを止めるな!』を撮っているスタッフたちの現実」という三重の構造であることに昨日金ローで観てようやく気付いた。

 

さて「映像研」、前から読みたいと思いつつようやく読めた。素晴らしかった。

 舞台は高校、主人公たちは入学直後の1年生。小学生の頃からアニメを作りたくて設定画を描いてきた浅草と相棒の金森が、アニメーターになりたくて人物画を描いている水崎と出会い、銭湯のコインランドリーで初めて合作をする。2人の絵を光に透かして、「アニメっぽい」画が出来上がる。ここが出発点となり、「映像研」がスタートする。

浅草みどりの「私の考えた最強の世界。それを描くために私は絵を描いているので、設定が命なんです。」という台詞に表れているように、設定の鬼である浅草は目にした面白いもの全てを自分の中でイメージを膨らませ、最強の世界を創り上げる。最初に見開きで出てくる設定絵「凡庸有人飛行ポッドカイリー号」に乗って、3人は作中で空を飛び、「最強の世界」を見る。ここまでが第1話。テンポが良すぎる。この後3人は部室や顧問の確保、予算の調達といった部活を立ち上げる際のリアルな問題を乗り越え、映像制作にのめり込んでいく。

監督兼設定、演出、背景作画担当の浅草と、作画全般担当の水崎を、プロデューサー的立ち位置の金森が仕切ることで制作は進行する。全員がアイデアマンというのも強い。あと3人ともキャラが強烈なため、部室でワイワイやっているやりとりだけで十分楽しいんだけれど、次々と事件は起こる。

 1巻の最後、予算審議委員会で生徒会に詰められ押し問答の末、浅草氏の「細工は流々!仕上げを御覧しろ!だろ!」という絶叫で押し切って上映するシーンが熱い。ストーリーなしのハッタリでも、作品のクオリティーで相手を黙らせる。痛快。圧倒される聴衆を尻目に壇上で反省会を始める3人。そして最後の台詞、「なんだか知らんが、面白くなってきやがった。」ワクワクさせられる終わり方。

立体的な吹き出しや、「一コマの中で奥にピントが合っているとき、手前の人物や会話をぼかして奥行きを出す」という自由な(まさに映像チックな)アイデアが詰め込まれているのも凄い。「巻末のふろく」には部室の俯瞰図、2巻以降は本の帯にまで設定と解説が載せてあるのが最高。これは作者の言葉として載っている感があるので、三重の構造と言えるかもしれない。

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作画のこだわりを語るシーンでの水崎の台詞「私はチェーンソーの刃が跳ねる様子を観たいし、そのこだわりで私は生き延びる。」「大半の人が細部を見なくても、私は私を救わなくちゃいけないんだ。」は至言だと思う。誰のために作っているかといったら自分のためだし、結局は自分を救うために創作をする。承認欲求とか自己顕示欲なんて言葉や御託を並べるまでもなく、「作りたいから作る」を自然体でずっとやり続けている姿はかっこいい。

こんな名言のオンパレードなんだけど、3巻の経営の話題で金森が言われる「お金を稼ぐためには、お金が必要なんだよ。」とか刺さる。しかし「ツイッターは遊びじゃねえんだよ‼︎」と「ロボアニメ業界ってのは半分が敵で、もう半分は将来の敵なのだ!手間を惜しめばロボット警察にすぐバレる‼︎」って台詞はめちゃ笑った。あと舞台は一応公立高校なんだけれど、図書館の運営を民間委託してたり、バリアフリー部やロボ研、録音部と独自すぎる部活があったり、校風が自由すぎて絶対に楽しい。でも大学って割とこんな感じだったなと思い出す。

 

「映像研」で漫画という媒体の特性が一番上手く使っていると思うのが、「登場人物の想像するイメージの世界が、想像しながらにコマに描かれる」という点。どういうことかというと、飛行ポッドのアイデアを閃いた浅草がそのディテールを語りながらその場でポッドを組み上げて、ギミックをどんどん付け足し、3人で乗り込んで飛び立ってしまう。飛びながら周囲の設定も加速して背景として描かれ、操縦で障害物を避け最後には空高くから遠くの景色を見る。作中の実際は銭湯で浅草が妄想しているだけなんだろうけれど、漫画とは便利なもので、人物のイメージの膨らみをノータイムでそのコマに描いてしまう(背景に描くとかじゃなく、話の流れを無視してすでに妄想の世界にいることにする)ことで、凄い説得力を獲得している。この手法で3人が思いついたアイデアを共有して、汚い部室小屋と妄想の世界を自在に行き来することで、テンポよく物語は進行していく。例えばこれが小説だったら、「浅草みどりは目を閉じて想像する。4枚の羽で飛ぶ飛行ポッド。動力は超効率リニアモーターで、羽にソーラーパネルをつける。構造上軽いものじゃないといけないだろう。乗員は2~3名。キャノピーはヘルメットのバイザーのように開くのがいい。支羽はそれぞれバラバラに動くようにしよう。他の2人を乗せて、空へ飛び立つ。用水路をくぐり抜け、高度を上げて上空へ飛び出すと、はるか彼方の地平が見える。『これが私たちの考えた、最強の世界だ。』」…って感じになるんだろう。長い。映像研は漫画で、これを数コマと見開きのイメージボードで片付けてしまう。誰かの妄想の話なんて、文章で書かれたら読んだ人の数だけ様々なイメージが出てくることだろう。初めから絵で示される方がはるかに効率よくディテールが伝わる。なんか漫画と小説というメディアの違いの話になってきた...。

いまふと浮かんだけれど、子供の頃読んだ「エルマーの冒険」や「ゲド戦記」のような本の冒頭に、舞台となる世界の地図や絵が載っているのを眺めるのが好きだった。映像研の作中に出てくる設定図にワクワクさせられるのは、「この絵の中にこれから始まる物語が詰め込まれている」と直感的に感じさせる、同じような興奮なのかもしれない。

 4巻が5月に出るそうなので楽しみ。