状況が裂いた部屋

旅行と読書と生活

『避行』あとがき代わりの近況

 2作目の短編を書いた。

 避行(高里 嶺) - カクヨム


 小説を書き終えてすぐにあとがきを書いてはいけない、何故ならハイになってるから、と文庫版『後宮小説』のあとがきで酒見賢一が言っていた。なので、この文章は短編を書き終える少し前に書いておいた。そういう意味じゃない気がするが。
 ここ半年以上、書くモチベーションが全く保てなかった。仕事をしている時は早く帰って創作をしたいと思うけれど、家に帰って風呂に入るともう寝てしまう。長い社会人生活、帰宅してから寝るまでの時間に何をするかで人生が決まっていくのに。一番文章を書いてるのは通勤のバスの中かもしれない。と言っても取り留めもなくアイデアを書き殴ってるだけなのだけれど。休みの日は銭湯を巡らなければならないし、じっくりと腰を据えて書けた試しがない。飛浩隆先生のこの記事を読む度に恐れ入ってる。一作の小説の改稿作業を7年もやったら、まともな人間なら発狂して死んでしまうと思う。飛先生は静かに狂っている。

 実際に文字を書くという進捗のないまま、ずっと頭の中で小説のことを考えていると、自分がかなり無駄なことをしている気がして不安になる。それでも、実際に手を動かして文字を起こしていない時間も、頭の中で文章が練るために必要な時間なんだと信じたい。そうじゃないとやってられない。

 この短編は、酒を飲み、煙草を吸い、ギターを弾いてまた酒を飲み、ゲームに逃げ、映画を観て夜散歩をして、ようやく書く気が起きて机に向かい、やっぱり書けずに寝る、そんなことの繰り返しで数ヶ月が経ち、書き散らした原稿の残骸から書きたいものを見つけてなんとか文章にした、そんな小説だ。相変わらず暗くて湿っぽいなあと思う。遅々として進まない原稿とは関係なく、最近の自分はあまり調子が良くないし、世の中もずっとそんな感じなので疲れが溜まっている。飄々と生きたいけれど自分の気質からして無理なので、ヌルッと生きたい。感覚的な話。


 今年もぼんやりしていたら上半期が終わりそうだ。最近読み返したBECKコユキの「ボーッとしてたら 何事もなく人生は過ぎていくんだ」との台詞にやるか、と創作欲を駆り立てられた。何事もなく死にたくない。時々それを思い出す。

 2020年は1本の短編と1本のPVを作ったけれど、今のところ2021年はその半分の実績しかない。色々とやりたいことはあるけれど、まずはちゃんと形に残るものを作りたい。旅行もしたいけど。来年あたり、カナダかオーストラリアに行きたい。ロシアでもいい。