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状況が裂いた部屋

音楽と映画と日常について

書きたいことが多すぎる

  • 本当に多い。文章として書くことで一度整理したい自分の考えや、単純に感動した文章や音楽、映画の評論など。書きたいテーマを書きなぐったメモを部屋に投げてあるんだけれど、先日友人に見られそうになってひやっとした。まあ見られてもいいんだけど。でもやっぱり恥ずかしい。シャイな性格克服したい
  • いま「シャイな性格」って書いたけれど、性格と気質(性質?)の話をどこかで読んでなるほどと納得した。「性格」というものは割と表面的なもので、住むところや関わる人など環境によって変わるし自分でも意識すれば変えられるものであるが、「気質」は人間が生まれ持つ先天的なものであり、そうそう変えられるものではないらしい。どこで読んだか忘れたのできちんと引用もできないししない。就活でふわっと自己分析した時から自分の気質をそこそこ把握した気になっているが、実際はどうなんだろう。変えられないならうまく付き合っていくしかないか。
  • 自分のツイッターの投稿をここに引用したいが、いま使っているアカウントは鍵をかけているため無理なようだ。鍵を外せよ、って話なんだけどなんかどうしても外せない。このまま就職したら余計外せなくなると思う。どうしたものか
  • なぜツイッターを引用したいかと言えば書きたいテーマに関わる話をいくつもつぶやいているから。ブログのネタに自分の過去のツイートを持ってくるのは確かに便利だ。でも僕の場合は「このテーマでまとまった文章をかきたい、でも今は時間がないから後で書こう、忘れないようにそれっぽいことつぶやいておこう」と忘備録的にツイッターに書き留めてる。そういう人割といそう。
  • 先日友達とごはんを食べていて、「たまに見かける絶妙にちょっとダサい恰好をしてる女の子」の話になった。ex.花澤香菜。大学にも一定数いる。中学生かよ、って服をうまい感じに着こなしていて、その隙がある感じにぐっとくる。都心にキャンパスがある私立大に通うキラッキラの女子大生より、少しあか抜けない感じを残す女の子の良さ。話題になった「童貞を殺す服」とはまた別のカテゴリー。でも今花澤香菜を例に出しちゃって気づいたが、結局素材が良いだけでは
  • かくいう僕もファッションに関してはまったく自信がないので何も言えない。無難な服しか着ないせいで、ちょっとカッコつけたい場面とかすごく地味な感じのままだ。例えばライブ。いや、ライブこそ普段のままがいいのか。夏ならバンT着とけばいい風潮があるが、問題は冬のライブ。邦ロックのコピーバンドなら無地の黒シャツ着とけばいいみたいなあれ何なんだろう。ノベンバ?田淵ひさ子?知らん俺は知らん
  • 海外アーティストの来日公演について。たいてい東京2デイズとかもしくは東京と大阪2公演が多い印象。まあ首都圏でやるのは当然だしわかるんだけれど、たまには都会の人にも地方住まいの苦労を知ってもらいたいよねって話。急な都合でライブがキャンセルになったとき、地方住みの人がこうむる損害は大変だ。振替公演があってもその日にまた休みが取れるとは限らない。ホテル代や交通費もバカにならない。じゃあ都会に住めば、ってなるのかもしれないがそういうことではない。地方と都会の話ははてブとかでもさんざん語られている事だが、今度改めて書きたいとも思う
  • フジロックが楽しみ。初めて2日間参戦する計画をしている。車はなんとかなるが、テントとかどうしようか。考えるだけで楽しい。第一弾出演アーティストの発表前に公式がモザイク処理したラインナップを出していたが、sigur rosのoの上にあるウムラウトみたいな記号(曲折アクセントかも、僕も入力できない)を消し忘れていて一部にバレてたのが面白かった。「モザイク解析したぞ!」って言いつつ完全に自分の出てほしいアーティストを並べた画像あげてたフジロッカーズおじさんたちの一連の流れも好き。愛にあふれてる感じがよい。こういうインターネットはいいよね。同じ理由でふざけたtogetterのまとめも好き。
  • 最近自分のツイッターの投稿を見返して、自分句点嫌い過ぎだろ、と思った。確かに時々意識して使わない時があった。例えばツイッターで呟いたとき、一文字だけ下の段にはみだした感じになったのが気に食わなくてわざわざツイ消しし、文中の句点を半角スペースに変えるなどして、すっきり見せたりしたことがある。この為にツイ消しとかどうかと思う。完璧主義かよと。でも文章の段落分けとかって見栄えを気にして考えてやってる人はきっといると思う。読点は普通に使うんだけれどな、
  • アイドルについて思うことがあったんだけれどなんだったか忘れてしまった。思い出したらかく。最近読んださやわかというライターの「僕たちとアイドルの時代」「10年代文化論」の2冊の事だったような。どちらも面白かった
  • 今日は宇野常寛の「ゼロ年代の想像力」という本を買った。まだ読んでないけれど、見出しからして絶対面白いと思う。これ面白いぞ、と期待してレジに持っていって、読んだ時に高まったその期待を超えてくる面白さの本に出会った時の気分は本当に幸せだ。あと、献辞が素晴らしい本はたいていお気に入りになる。
  • 好きなマンガ家は誰、と聞かれたとして、自分は誰と答えるだろうか。たぶん松本大洋って言うけれど、相手によって大暮維人とか言うかも。エア・ギア読んでると絵の上手さに興奮する。相手によって質問の答えを変えるのはあまり良くないのかもしれないけれど、初対面の会話とかだったら話題をつくるため相手に合わせることも必要だよね。羽海野チカとか言うときっと会話が弾む。けどやっぱりこういう名前の出し方は作家さんに失礼な気もする。最近「夜は短し歩けよ乙女」を読み返して、あとがき最高!と思った。黒髪ボブの女の子の何割はこの子に影響受けてるのか、いや、バカな(阿呆な)男どもが勝手に重ね合わせてるだけか。あとこの絵三月のライオン読んでからだとどうしても高校入ってからのひなちゃんに見えちゃう
  • ハードカバーの本でいくつかすごく気に入ってる装丁の本があるんだけれど、いかんせんお金がなくて文庫本版しか買えない。悲しい
  • 貧乏学生な自分は欲しい本はまずハードオフで探して、ない場合かつ本当に読みたい時だけ本屋で買う。もしくはAmazonでまとめて。ほんと貧乏くさくて嫌だが本当に貧乏だから仕方ない。これでは作家さんにお金が入らないしよくないと思う。働きだしたらきちんと好きなものにはお金を払って買いたい。一度読んだ漫画とかも、完全版が出てるものはそっちで買い集めたい。松本大洋大友克洋浦沢直樹あたりは本当に出版されてるものコンプリートしたいくらいだ。
  • やっぱり欲しいものは欲しいときに買うべきだし、やりたいことはやりたいときにやり、会いたい人には会いたいときにすぐ会うべきだ。物事のタイミングって普段思っている以上に大事だ。最近つくづくそう思う。タイミングの話もまた機会があれば個別に書きたい。こうやって「機会があれば」とか言ってるうちにその機会は永遠に失われていく。