状況が裂いた部屋

旅行と読書と生活

人生のエンドロール

 昨日サークルの追いコンが終わり、今日は学部棟で卒業者名簿を確認してきた。明日はゼミの追いコンだ。次々と自分の所属していたグループから追い出されて、感傷に浸る合間もない。サークルでは泣くかもな、と思っていたけれど特に目頭が熱くなることもなくサラッと終わってしまった。こう書くと自分が凄く薄情な人間のように見えるけれど、ここ数日嫌な事が幾つかあってもやもやした気持ちで過ごしていたのと、今週中にやるべき事が多過ぎてそれらのことを考えていて少し上の空だったせいであの泣ける雰囲気に入り込めなかっただけだ。あと学生最後のバンド演奏だったというのに自分の演奏に全然満足いってないからだと思う。最後くらい上手いベースを弾きたかった。が、ぶっちゃけ練習してなかったし、バンドに向ける熱量は去年の定コンを終えてからもうほぼ無いのだった。悲しい。けれどそういうものか、とも思う。でもやっぱりバシッとキメたかった。一緒にバンドを組んでくれた後輩同輩にも申し訳ない。
 来週には実家へ帰り、あといくつかのイベントを消化した後はニュージーランドへ旅立つ。初の海外旅行で13日間、しかも一切ツアーの類でなく個人で借りるレンタカーでの旅ってどうなんだと思うがこれが最善なのだから仕方ない。とても楽しみだ。この2か月は様々な場所へ行ったがこれが本当に最後。気楽な学生生活は完全に終わり、4月1日からはついに社会人編だ。

 大学生活の終わり、というのは同時に、小学一年生からの16年に及ぶ勉強が本分という立場から解放されるわけで、これまで22年間の人生でもなかなかの大きな節目だ。こういった場面でよくある感想が「振り返ると一瞬だった」とか「あっという間の学生生活だった」といったものだと思う。しかし僕は違う。僕に言わせてもらえば、これまでの人生を一言で述べると、こうだ


 本当に本当に、本当に長かった。


 これには、残念なことにネガティブな意味も含んでの感想だ。もちろん数えきれないほどの楽しい思い出もあるし、自分の身の回りに起こったことは割と覚えている方なので振り返ると膨大だ、くらいの意味でもある。基本的に楽しい毎日を送っていた

 今「基本的に楽しい毎日を送っていた」と書いたけれど書いた途端いや、本当にそうなのか、と微妙な心持になっている。嘘は良くないしこういうところに文章を書くときくらい正直になりたい。実際のところはどうだろうか。いま頭を探ってみるとつらいこと、痛いこと、恥ずかしいことなどなかなかに嫌な思い出も出てきてしまって参っている。そもそも現在少しネガティブな気分でこの文章を打ち込んでいるせいもあるかもしれない。記憶は不確かなものだし、同じシーンの思い出も時間が経てば印象も変わる。大切なのは写真でも動画でも文章でもいいから、なにかの媒体として記録しておき、いつでも見返せる状態にしておくことだ。
 

 という訳で、この大学卒業が確定した日に、つらくでも楽しかった人生の第一部「学生編」が終わり、第二部「社会人編」がスタートすることを記念して、自分史を書き始めようと思う。


 この先時間が経って子供だった頃の自分がどうであったか思い出せなくなったり、あまりにも仕事がつらくて自分の過去の記憶をいいように改ざんしたり、歪めてしまうかもしれない。もしかしたらは記憶を喪失するようなこともあるかもしれない。単純にあんなこともあったね、と思い出に浸ることがあってもいい。とにかく時間がある今のうちに、0歳から22歳までの自分を文章として記録しておく。変にタイトルには凝らずに、シンプルに「自分史」としよう。

憧れられたいという欲求

憧れられたいという欲求。憧れ、というのは尊敬に似た感情だと思うけれど、実際に自分がそうなりたいと強く思っている、みたいな場合で使われることが多いイメージ。あとは好意を含む意味でも使われるか。「憧れの先輩」とか。ちなみに辞書的な意味は「理想的とする物事に強く心惹かれること」らしい。(goo辞書)
でも「憧れられたい」というとはもう「〜したい」という欲求、承認欲求や名声を得たいという願望、ってイメージだ。ほとんどの人間が持ってる感情だと思う。人前では少しはカッコつけたい、ちょっとでもいいように見られたいし褒められたいし認められたい。そんな俗っぽいのには興味がないぜ、って言ってるやつほどそれはただのポーズで、人一倍人目を気にしてる。本当にこういった感情を一切持たず飄々と生きてる人間なんてほんと一握りだろう
僕ももちろんある。でもここまで書いてあんまり「憧れられたい」って言葉が適当じゃない気がしてきた、つまるところ普通の承認欲求か。いや、お金や名声、人気やモテ度など全部欲しい!って感情をここでは「憧れられたい欲求」と呼ぶことにするか。まとまらない文章だ
何が言いたいかというと、この「憧れられたい」って感情は別に持っていて悪いものではなく、むしろ大事にするべきものなのでは?って話。当然そうだろ、って思う人も世間にはいるのかもしれない。でも僕は最近までこういうかっこつけはかっこ悪い、って考えだった。これもまた厨二が抜けきってない部分なのかもしれないが、「憧れられたい」って行動してる人って意識高そうなバイタリティーのある人だったり、キラキラして苦手な人だったりする(捻くれた主観だが)。僕はそういうのがとても苦手で、なるべく私にはよくなんてないですよ〜というスタンスでいたかったんだと思う。少し違う例えの気もするけど、中学校のクラスで学級委員が文化祭の演劇の役決めをするとき、クラスの中心グループがやる気になって場を盛り上げようとするのをケッ、くだらんね、とか言いながら頬杖ついてる典型的厨二病。この「憧れられたいという欲求はあるのに、それを表面化させて何かに取り組む事にひどく抵抗がある」というこじらせた状況のせいで、こんなにも自己表現が下手な、生き辛い感じになってしまっていると思う。別に「僕は人から憧れられたいです」と公言するとかじゃなくて、人から憧れられるための行動に後ろめたさ、恥ずかしさを感じなくていいんだ、って話。つまり、自分の中にこういう欲求があることは正直に認め、その感情に素直になろうって事だ。



全然話題が変わるが、「憧れられたい」ってそのまんまの曲名の名曲があったのを思い出した。歌詞が自信たっぷりな感じで凄い。1stの1曲目がこれって最高だと思う。
The Stone Roses - I Wanna Be Adored - YouTube
Oasisの1st1曲目も言わずと知れた「Rockn' roll star」で「今夜、俺はロックンロールスターだ」って歌ってるし、なんていうか1枚目の最初に世間に対しての決意表明みたいなのをぶつけていくスタンス、とても格好いいと思う。

書きたいことが多すぎる

  • 本当に多い。文章として書くことで一度整理したい自分の考えや、単純に感動した文章や音楽、映画の評論など。書きたいテーマを書きなぐったメモを部屋に投げてあるんだけれど、先日友人に見られそうになってひやっとした。まあ見られてもいいんだけど。でもやっぱり恥ずかしい。シャイな性格克服したい
  • いま「シャイな性格」って書いたけれど、性格と気質(性質?)の話をどこかで読んでなるほどと納得した。「性格」というものは割と表面的なもので、住むところや関わる人など環境によって変わるし自分でも意識すれば変えられるものであるが、「気質」は人間が生まれ持つ先天的なものであり、そうそう変えられるものではないらしい。どこで読んだか忘れたのできちんと引用もできないししない。就活でふわっと自己分析した時から自分の気質をそこそこ把握した気になっているが、実際はどうなんだろう。変えられないならうまく付き合っていくしかないか。
  • 自分のツイッターの投稿をここに引用したいが、いま使っているアカウントは鍵をかけているため無理なようだ。鍵を外せよ、って話なんだけどなんかどうしても外せない。このまま就職したら余計外せなくなると思う。どうしたものか
  • なぜツイッターを引用したいかと言えば書きたいテーマに関わる話をいくつもつぶやいているから。ブログのネタに自分の過去のツイートを持ってくるのは確かに便利だ。でも僕の場合は「このテーマでまとまった文章をかきたい、でも今は時間がないから後で書こう、忘れないようにそれっぽいことつぶやいておこう」と忘備録的にツイッターに書き留めてる。そういう人割といそう。
  • 先日友達とごはんを食べていて、「たまに見かける絶妙にちょっとダサい恰好をしてる女の子」の話になった。ex.花澤香菜。大学にも一定数いる。中学生かよ、って服をうまい感じに着こなしていて、その隙がある感じにぐっとくる。都心にキャンパスがある私立大に通うキラッキラの女子大生より、少しあか抜けない感じを残す女の子の良さ。話題になった「童貞を殺す服」とはまた別のカテゴリー。でも今花澤香菜を例に出しちゃって気づいたが、結局素材が良いだけでは
  • かくいう僕もファッションに関してはまったく自信がないので何も言えない。無難な服しか着ないせいで、ちょっとカッコつけたい場面とかすごく地味な感じのままだ。例えばライブ。いや、ライブこそ普段のままがいいのか。夏ならバンT着とけばいい風潮があるが、問題は冬のライブ。邦ロックのコピーバンドなら無地の黒シャツ着とけばいいみたいなあれ何なんだろう。ノベンバ?田淵ひさ子?知らん俺は知らん
  • 海外アーティストの来日公演について。たいてい東京2デイズとかもしくは東京と大阪2公演が多い印象。まあ首都圏でやるのは当然だしわかるんだけれど、たまには都会の人にも地方住まいの苦労を知ってもらいたいよねって話。急な都合でライブがキャンセルになったとき、地方住みの人がこうむる損害は大変だ。振替公演があってもその日にまた休みが取れるとは限らない。ホテル代や交通費もバカにならない。じゃあ都会に住めば、ってなるのかもしれないがそういうことではない。地方と都会の話ははてブとかでもさんざん語られている事だが、今度改めて書きたいとも思う
  • フジロックが楽しみ。初めて2日間参戦する計画をしている。車はなんとかなるが、テントとかどうしようか。考えるだけで楽しい。第一弾出演アーティストの発表前に公式がモザイク処理したラインナップを出していたが、sigur rosのoの上にあるウムラウトみたいな記号(曲折アクセントかも、僕も入力できない)を消し忘れていて一部にバレてたのが面白かった。「モザイク解析したぞ!」って言いつつ完全に自分の出てほしいアーティストを並べた画像あげてたフジロッカーズおじさんたちの一連の流れも好き。愛にあふれてる感じがよい。こういうインターネットはいいよね。同じ理由でふざけたtogetterのまとめも好き。
  • 最近自分のツイッターの投稿を見返して、自分句点嫌い過ぎだろ、と思った。確かに時々意識して使わない時があった。例えばツイッターで呟いたとき、一文字だけ下の段にはみだした感じになったのが気に食わなくてわざわざツイ消しし、文中の句点を半角スペースに変えるなどして、すっきり見せたりしたことがある。この為にツイ消しとかどうかと思う。完璧主義かよと。でも文章の段落分けとかって見栄えを気にして考えてやってる人はきっといると思う。読点は普通に使うんだけれどな、
  • アイドルについて思うことがあったんだけれどなんだったか忘れてしまった。思い出したらかく。最近読んださやわかというライターの「僕たちとアイドルの時代」「10年代文化論」の2冊の事だったような。どちらも面白かった
  • 今日は宇野常寛の「ゼロ年代の想像力」という本を買った。まだ読んでないけれど、見出しからして絶対面白いと思う。これ面白いぞ、と期待してレジに持っていって、読んだ時に高まったその期待を超えてくる面白さの本に出会った時の気分は本当に幸せだ。あと、献辞が素晴らしい本はたいていお気に入りになる。
  • 好きなマンガ家は誰、と聞かれたとして、自分は誰と答えるだろうか。たぶん松本大洋って言うけれど、相手によって大暮維人とか言うかも。エア・ギア読んでると絵の上手さに興奮する。相手によって質問の答えを変えるのはあまり良くないのかもしれないけれど、初対面の会話とかだったら話題をつくるため相手に合わせることも必要だよね。羽海野チカとか言うときっと会話が弾む。けどやっぱりこういう名前の出し方は作家さんに失礼な気もする。最近「夜は短し歩けよ乙女」を読み返して、あとがき最高!と思った。黒髪ボブの女の子の何割はこの子に影響受けてるのか、いや、バカな(阿呆な)男どもが勝手に重ね合わせてるだけか。あとこの絵三月のライオン読んでからだとどうしても高校入ってからのひなちゃんに見えちゃう
  • ハードカバーの本でいくつかすごく気に入ってる装丁の本があるんだけれど、いかんせんお金がなくて文庫本版しか買えない。悲しい
  • 貧乏学生な自分は欲しい本はまずハードオフで探して、ない場合かつ本当に読みたい時だけ本屋で買う。もしくはAmazonでまとめて。ほんと貧乏くさくて嫌だが本当に貧乏だから仕方ない。これでは作家さんにお金が入らないしよくないと思う。働きだしたらきちんと好きなものにはお金を払って買いたい。一度読んだ漫画とかも、完全版が出てるものはそっちで買い集めたい。松本大洋大友克洋浦沢直樹あたりは本当に出版されてるものコンプリートしたいくらいだ。
  • やっぱり欲しいものは欲しいときに買うべきだし、やりたいことはやりたいときにやり、会いたい人には会いたいときにすぐ会うべきだ。物事のタイミングって普段思っている以上に大事だ。最近つくづくそう思う。タイミングの話もまた機会があれば個別に書きたい。こうやって「機会があれば」とか言ってるうちにその機会は永遠に失われていく。

23歳の夏の午後

 

僕はいま22歳で、23歳の夏はすぐそこだ

これから先、人生を左右するような大事な選択をする場面が増えてくると思う。

果たして自分は正しい判断ができるのか、その判断材料になる生きる指針とはどんなものか、そもそも生きる指針なんてあるのか。悩むだけ無駄なので最近はこういう問題をもう考えないことにした。思考停止ではなくて、きちんと考えたうえでそっと後回しにする。その時になればまあなんとかなるし、なるようになる。大した考えもなくとった行動が意外とよい方向にいく場合もあると思う。楽しい人生にしたいな、って毎日考えてる。

自己開示ができない病

 人前で自分のことを話せない。全く話せないわけではないし、本当に親しい数少ない人間にはつい最近になって少しは話せるようになった気がする。なぜ話せないのか。単純に恥ずかしいからだ。

 

 だがしかし(サヤ師かわいい)、この「恥ずかしい」はとてもとても根が深くおぞましいほどエグいもので、欠陥の多い僕という人間の中でも一番厄介で面倒くさい部分だと思う。もういいかげんにこんなジメジメした性格辞めたい。とりあえず文章で吐き出してみれば少しは楽になったりするかなと思いここで書く

 

 

 人前で自分の事をさらけ出せない、そんなの誰にだって多少なりとあると思う

 ただ僕の場合は病的なほどこの傾向が強い。まず自己紹介が苦手だ。自分の事を端的に短い言葉で初対面の人に説明するなんて、そんな難しいことがあるか。できるわけないだろクソが!と毎回思う。「わたしはあなたごときに理解できるような、浅い人間ではないのです」(漫画版NHKにようこそ!8巻)最近は割り切って「ただのひょろくてメガネでラーメンが好きな人」ってレッテルを貼られるのに徹することにしてる。下手に音楽好きですとか言わないし言えない。

 この「レッテルを貼られてる」って感覚すら被害妄想が激しいというか自意識過剰というか、考えすぎなんだろうなと思う。つくづくめんどくさい自分。何をするにも人の目を気にしてしまうのだ。リアルの知り合いがいるアカウントで適当なことも呟けず、自分の殻に閉じこもって親しい人の前でも必死にカッコつけて役を演じるダサいやつ。救いようのないほど恰好わるい。書いててどこまでも卑屈になる...いつからこんなになってしまったんだろう。傾向が始まったのは小2の時、自由に物語を書いてくださいという国語の時間だったと思う

...とここまで書いて眠くなってきた。明日から思い切って自分史でも書いてやろうと思う。自分がどれだけ恥ずかしいやつかを恥ずかしいほど下手な文章で書きつづって世界中から笑ってほしい。一丁前にプライドばかり高くて中身がからっぽなこの僕を粉々にして生まれ変わらせてほしい。

 

雑記

・気まますぎる生活は楽で楽しいけれど、やっぱり何か目的がないと退屈すぎて死ねる。大学に通う、会社に勤めるなど一日に数時間は何かに縛られてないとたるみ過ぎて何もする気が起きない。かといって会社勤めが始まったら自由な時間が欲しい、仕事辞めたい、って言い出すんだろうな。ないものねだり

 

・いくつかやりたいこと、時間があるうちにやっておきたいことがある。でもいざ取りかかろうとするとやる気が出ない。こたつに潜り込んで本を読んだり携帯を見たりと、楽な方へ逃げてしまう。どうしたものか。抜け出せる気がしない。

 

・このブログもそうだし、他にもほんのいくつか、時間が有り余っているこの最後の長い休みの内に始めたことがある。気長に続けられる気休め的な趣味をいくつか持っておきたい。

 

・友達の家で焼き鳥を焼きつつお酒を飲む会を時々やるが、自分的にとても楽しい。鶏肉やレバーを串に刺して魚を焼くグリルで焼く。以前は宅飲みのつまみに焼き鳥でも焼くか、って感じだったのにいつの間にか焼き鳥を料理することが目的になってきた。ついに先日キッチンに椅子とストーブを持ち出して、グリルの前でお酒飲みながら焼き鳥を作りその場で食べた。キッチンドリンカー。(←この語面白い。やっぱり和製英語だった)

キッチンドランカーとは (キッチンドランカーとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

iPadで音楽を流しつつウイスキー飲むのも最高。

 

・大学1年の頃仲良かったけれど、ここ3年は半年に一回図書館で出くわして立ち話する、くらいの関係の友人と連絡を取って飲みに行った。とても楽しく話せたので卒業までにこういう人と多く会いたい。大学1年の頃はもう少し明るく振舞ってて顔見知り程度の微妙な知り合いが多くいる...

 

・LINEでトーク履歴の上の方に表示される人とは良く会うし話すが、20こくらい下を見ると最後の日付が2年前とかになっている。こうしてつながりかなくなっていくのは寂しい

 

・その久々に会った友達が最近彼女ができた、と話すので写真を見せてもらったが、正直あまり可愛くなかったので一瞬の逡巡の末に便利な言葉「性格よさそう!」と反応した。そうしたら爆笑した友達に「やかましいわ!」みたいにつっこまれて、この便利な言葉はこいつから教わったことを思い出した。僕があまりに真顔だったのでボケたと思ってくれたらしい。助かったが危うく超失礼になるところだった話。

 

・心が荒んできたときはいつも音楽を聴きながら30分くらい散歩することにしている。でもアルバム1枚を聴き終えたくて45分くらい歩くことも多い

 

・最初の話に戻るが、暇な時間を持て余しているとこんなに暇でいいのか、となんだか不安になる自分はブラック企業に入ったら働き詰めそうで怖い。ブラックでないことを祈る。あと所属がないと不安になることも実感する。一応大学4年という肩書があるが、なんの勉強してないとその実感は無いに等しい。

 

・最近は音楽にそこまで興味が向かないが、Taiko Super Kicksが良いと感じた。あとcaspian。初期モグワイみたいな轟音シューゲで超好みだ。それとmúmやSigur Rósアイスランド行きたい。今はDIIVのセカンドが一番楽しみ。漫画は古いのばかりよんでいる。

 

・文章書くのが面倒過ぎて箇条書きにしてしまったが、今くるりの「TEAM ROCK」の裏面風にスラッシュで区切ればよかったと思う。今度やろう

今日のこと

 とっくに日付は変わってしまったが今日一日を振り返る。昨晩も朝方まで起きてベースを弾いたりネットをしていたせいで朝起きたのは11時ころだった。目覚ましは9時にセットしたはずなのに止めてしまったらしい。中にマーガリンが入ったレーズンパンを食べつつコーヒーを飲んでいたら、ゼミの友達から週末の飲み会の出欠を聞くLINEがきた。あいにくその日は予定があっていけない、と返すと電話がかかってきて、じゃあ今日午後から先輩と遊びに行こう、車で迎えに行くから、と誘われた。どうせ暇だし行きたい、と伝えると1時半に迎えに行くと言われ、近くのコンビニで待ち合わせすることになった。その友達と先輩とはゼミの中でも特に仲が良くてよく遊ぶ。僕がゼミ室で公務員試験の勉強をしていた頃、同じように2人も教員採用試験の勉強をしており、深夜まで3人で勉強してお菓子を食べてはたまに息抜きにユーチューブでお笑い動画を見てバカ笑いするなどしていた。3人とも進路は何とか決まり、それぞれ卒論や修論も終わりそうなので2月は遊び倒そうと言っていたところだった。集合して2人と合流したらダーツがしたいな、という話になりネットカフェに移動してダーツをやった。クリケットでは僕が3連勝したがゼロワンでは先輩が圧倒的に強く、何度やってもすぐにゲームを終わらせてしまった。途中僕がBullに三連発で当てて、呆然とした2人に一生分の運を使い果たしたな、といわれた。残りの人生は運に見放されるらしい。ちなみにそのゲームは僕は負けた。

 5時半ころ帰ってきて、6時に別の友達の車でスタジオへ行き、バンド練をした。車持ちの友達がいるのはとてもありがたい。このバンドは社会人2人と春から社愛人になってしまう僕と院に進むためまだ学生をやる友達の4人でやっているもので、今回がまだ2回目の練習だった。しかも前回は大雪で出張先で足止めを食らったギターが来れなかったので、実質初めての音合わせだった。くるりの曲を3曲、「東京」「さよならアメリカ」「すけべな女の子」を合わせた。ベースの音作りは相変わらず難しい。でも練習はなかなかに楽しかった。スタジオではコーラスに入らなくてもメンバーそれぞれにマイクを立てて、思ったことをすぐ指摘するべきだなと思う。練習終わりに別の曲やりたいね、となって次回は「街」も合わせることになった。好きな曲なのでバンドでやれるのは嬉しい。

 その後スーパーで具材を買い込み、スタジオから近いギターの家で鍋をしながらくるりのライブDVDの鑑賞会をした。2004年のツアーのもので、「アンテナ」期のメンバーで演奏していた。超強烈なドラムセットプレイヤーことクリストファー・マグワイヤがすごくいい顔で叩いていて、見ていて気持ちよかった。ドキュメンタリーも挟まっていて、出典が気になっていた、クリストファーがギターの大村達身をサムライだ、ただし彼は刀じゃなくてギターだけどね、みたいなことを言っているシーンも確認できた。ジャケが素敵なシングル「ロックンロール」に入っているDVDも鑑賞。こちらには百鬼夜行ツアーの「ワンダーフォーゲル」と「東京」しか入っていないが、この「東京」は僕があらゆるバンドのあらゆるライブ映像の中で一番好きなものなので、初めて公式のDVDで見れて興奮した。画質は良くないけれど、演奏の凄まじい熱量と達身の素晴らしいスライドギターで何度見ても泣きそうになる。照明の演出も格好いいと思う。

 この僕たちのバンドもギターが照明にこだわる人で、100Wの電球一発をドラムのバスドラのふちに設置し、他の照明は全部消してその電球を囲むように演奏する、というスタイルで演奏することになっている(みたいだ)。前やっていたバンドでは蛍光灯をメンバーの後方に設置してライブハウスの照明は全消しにし、足元と背後からの逆光に照らされて演奏していたらしい。動画を見せてもらったがなかなかに格好良かった。やはり少しさみしいが。手元が眩しそう。小さなハコやスタジオライブでは映えるんだろうなと思う。スタジオライブは憧れなのでやってみたい。サークルでそれっぽいことはよくやってるけれど。バンドの今後の話がひと段落してからは、社会人2人が仕事の話をしてくれた。半分は愚痴だったが、割と為になった気がする。前から自分と趣味が似てそうだなと思っていたドラムの方がSF好きで特に伊藤計劃が好きとわかって嬉しかった。あと好きな音楽被ってないかも、と心配していたギターの人が実はWeezerが大好きだったので結構盛り上がった。この日はお酒を飲めなかったので次回は飲みたいなと思う。鍋を囲んでみんなで好きなものの話をするのは楽しいものだ。学生生活では好きな人たちとばかり喋っていればよくて、サークルでもゼミでも趣味が合う人たちばかりで本当に気が楽だしなんでも理解しようとしてくれる。社会人になれば気軽におすすめのCDを貸しあったり音楽の話をしたり出来ないのかなと悲しい気持ちでいたが、このバンドがあればそうでもなさそうだ。いい居場所になる気がする。しばらくは楽しいことが続きそうで何よりだ。楽しみがあるのは良いことだ。


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  2016年2月4日の4時45分、部屋のこたつでこの文章を書いている。

    こういうなんでもない、特に何があった訳でもない普通な大学生の一日を過ごしたことを、忘れてしまう日が来るのかな、と少しおセンチな気分になってしまったので、書いてみた。このブログは非公開のままにして完全に自分の忘備録にするか、それとも人に向けて書いてるのかわからなくなってきた。とりあえず知り合いに読ませることは念頭に置いていない。