状況が裂いた部屋

旅行と読書と生活

最近のこと

・4月1日に就職先の入社式があった。割としっかりした式典。当然か。テレビカメラが結構来ていてびびる。ボスが祝辞の中で、皆さんはこのような志があってこの職場を選び、選考を潜り抜けてきたのだと思いますが~、と様々に意識高い感じの志望動機を挙げていたが、何一つ自分の本心にあるものと違って笑った。確かにここの面接受けたときはそんなこと言ったけど。自分、こんな適当さでいいのかな~と思っていたけど周りの同期と話しても自分と似たようなものだったので安心した

 

・入社式後は即バスで研修所へ送られ、さっそくオリエンテーション、講義を一つだけ受けてその日は終わった。宿舎の場所が以外にも先月まで通っていた大学からほど近い場所だったので、次の日からは毎晩、4年間さんざん飲んだ学生街の居酒屋で同期と飲み会をすることになった。そんなこんなで研修の一週間、夜は毎晩楽しかったし初対面の人たちともかなり仲良くなった。

 

・研修はまっとうなもので、一時期話題になった飲食系とかでありそうな、外部講師が鬼のように厳しい人格否定してくる感じの頭おかしいやつではなかった。ビジネスマナーと仕事の進め方、就職先の歴史と沿革、今後の方針についてなど。ひたすらに睡魔との戦いだった。軽いレポートも毎日ありめんどい。23時消灯、6時半起床でラジオ体操。22時半と6時50分の点呼では同期の可愛い女性のすっぴんジャージ姿が見れるので、バカな男たちはそのたびにランキングを考えていた。僕が推した人は初日はあまり人気がなかったが終盤ファンが急増し、見る目あるじゃん、みたいになった。当然のように彼氏はいたけど。

 

・3日目の夜には全クラス合同での懇親会があった。僕は適当に気の合う人と気楽に話していたが、研修が終わるとすぐに僻地での勤務になる技術職の方たちは女性陣から連絡先を聴くチャンスだと、ここぞとばかりに頑張っていたらしい。あと初日に書かされた川柳の優秀賞が発表され、優勝者は景品をもらっていた。僕は少し真面目に考えてみたが全然浮かばず、クソ真面目な感じのを書いてしまい後悔した。友人の句がユーモアのセンス抜群だったので大賞かな、と予想していたのに割と無難なものが選ばれていて残念だった。こういう時は弊社のブラックな部分をネタにする面白い句に賞をあげて、懐の深い部分を見せてほしいものだ。でも職場内の広報誌に載せるらしいし無理か。

 

・同期には新卒ばかりでなく社会人経験者枠で入った方もいて、元銀行員やパチンカスのフリーターから一念発起し社会復帰した人、司法浪人に見切りをつけ年齢制限ぎりぎりで試験を受けてきた人、どう見てももう50近いのに転職してきた訳ありそうな人まで様々だった。ひとり10月の内定式後の飲み会で意気投合してからずっと話したかった人がいて、研修終盤の飲み会でようやく話すことができた。その男は東京の私大に通いつつバンド活動をし、大手レーベルから声もかかっていたらしい。前回話したときはAV女優の麻倉憂の話しかしなかったせいでお互いどスケベな印象しかなかったらどうしよう…って感じだったが普通に音楽の話で盛り上がれてよかった。普通にいま売れている人気バンドと対バンしたことがあったり、ゲストで入れてもらったライブの楽屋で有名アーティストとバンドマンの立場で話したエピソードとか聞けて、すげえ…ってなった。

 

・土日もぶっ続けで研修だったので今週は木金と振替で休み、そのまま週末で4連休だった。近場の公園へ同期数人と花見をしに行ったらサークルの後輩が10名くらいでブルーシートを広げてるところに遭遇。僕は卒業式に出なかったので追いコン以来ひと月ぶりの再会だった。結構嬉しかった。4年生が多かったので就活しなくていいのかよー、って冗談が浮かんだけれど、楽しく花見してる時にこれ言われたくないよな、と思い留まり適当に話してわかれた。サークルいつでも遊びに来てね、と言われるのは嬉しいけれど老害とかいう怖い言葉があるし、個人的にも前のコミュニティーにいた時の雰囲気にずっと浸かって学生気分でいるのもあれなので暫くはイベントとかは行かないと思う。

 

・大学の卒業式には出てないけれど、3月の半ばから長い海外旅行に出て、自分なりにあることを決心したり、その他にも常々考えていた様々なことに答えらしきものが見つかったので(答えはとっくにわかっていたが、ようやく明確でしっくりと納得いくフレーズが浮かんだだけかもしれない)、学生という身分からついに社会人になったのだという実感がある。適当に勉強し、あとは気ままに遊んでおけばよかった、人生の「第一部」学生時代編が終わり、これからは自分でお金を稼いで自立して生きていく、「第二部」社会人編が始まっている。第二部が40年あるらしいのは、気づきつつもなるべく考えないようにしている。でも大人達曰く、ここから先の体感はひどく早いそうだ。気がついたら中年、ってのが一番怖い。やりたいことをやろう、仕事は生活と、やりたいことをするための基盤を得る為と割り切ってやる。もちろん少しのやりがいは欲しいが。お金をもらうということは自分の仕事に責任を持たなければならない。ちなみに僕の一番嫌いな言葉は「責任」だ。なぜかこれは根が深く、小学生の頃観ていた「踊る大捜査線」シリーズで室井管理官(柳葉敏郎)が決め台詞のように「責任は私が取る」と言うのを聞く度に「う~ん、なんかこの立場嫌だ…」と当時から思っていた。いい上司だと思うけど室井さん。とにかく、時にはお酒とか趣味とかに逃げつつ、仕事は適当にこなせるようになりたい。研修所の壁に貼ってあった先輩職員のメッセージで一番好きだったのは「絶対に、定時で帰ろう」だ。明日は配属先への初出勤である。社会の入り口の淵ギリギリに立って震えて眠る。

人生のエンドロール

 昨日サークルの追いコンが終わり、今日は学部棟で卒業者名簿を確認してきた。明日はゼミの追いコンだ。次々と自分の所属していたグループから追い出されて、感傷に浸る合間もない。サークルでは泣くかもな、と思っていたけれど特に目頭が熱くなることもなくサラッと終わってしまった。こう書くと自分が凄く薄情な人間のように見えるけれど、ここ数日嫌な事が幾つかあってもやもやした気持ちで過ごしていたのと、今週中にやるべき事が多過ぎてそれらのことを考えていて少し上の空だったせいであの泣ける雰囲気に入り込めなかっただけだ。あと学生最後のバンド演奏だったというのに自分の演奏に全然満足いってないからだと思う。最後くらい上手いベースを弾きたかった。が、ぶっちゃけ練習してなかったし、バンドに向ける熱量は去年の定コンを終えてからもうほぼ無いのだった。悲しい。けれどそういうものか、とも思う。でもやっぱりバシッとキメたかった。一緒にバンドを組んでくれた後輩同輩にも申し訳ない。
 来週には実家へ帰り、あといくつかのイベントを消化した後はニュージーランドへ旅立つ。初の海外旅行で13日間、しかも一切ツアーの類でなく個人で借りるレンタカーでの旅ってどうなんだと思うがこれが最善なのだから仕方ない。とても楽しみだ。この2か月は様々な場所へ行ったがこれが本当に最後。気楽な学生生活は完全に終わり、4月1日からはついに社会人編だ。

 大学生活の終わり、というのは同時に、小学一年生からの16年に及ぶ勉強が本分という立場から解放されるわけで、これまで22年間の人生でもなかなかの大きな節目だ。こういった場面でよくある感想が「振り返ると一瞬だった」とか「あっという間の学生生活だった」といったものだと思う。しかし僕は違う。僕に言わせてもらえば、これまでの人生を一言で述べると、こうだ


 本当に本当に、本当に長かった。


 これには、残念なことにネガティブな意味も含んでの感想だ。もちろん数えきれないほどの楽しい思い出もあるし、自分の身の回りに起こったことは割と覚えている方なので振り返ると膨大だ、くらいの意味でもある。基本的に楽しい毎日を送っていた

 今「基本的に楽しい毎日を送っていた」と書いたけれど書いた途端いや、本当にそうなのか、と微妙な心持になっている。嘘は良くないしこういうところに文章を書くときくらい正直になりたい。実際のところはどうだろうか。いま頭を探ってみるとつらいこと、痛いこと、恥ずかしいことなどなかなかに嫌な思い出も出てきてしまって参っている。そもそも現在少しネガティブな気分でこの文章を打ち込んでいるせいもあるかもしれない。記憶は不確かなものだし、同じシーンの思い出も時間が経てば印象も変わる。大切なのは写真でも動画でも文章でもいいから、なにかの媒体として記録しておき、いつでも見返せる状態にしておくことだ。
 

 という訳で、この大学卒業が確定した日に、つらくでも楽しかった人生の第一部「学生編」が終わり、第二部「社会人編」がスタートすることを記念して、自分史を書き始めようと思う。


 この先時間が経って子供だった頃の自分がどうであったか思い出せなくなったり、あまりにも仕事がつらくて自分の過去の記憶をいいように改ざんしたり、歪めてしまうかもしれない。もしかしたらは記憶を喪失するようなこともあるかもしれない。単純にあんなこともあったね、と思い出に浸ることがあってもいい。とにかく時間がある今のうちに、0歳から22歳までの自分を文章として記録しておく。変にタイトルには凝らずに、シンプルに「自分史」としよう。

憧れられたいという欲求

憧れられたいという欲求。憧れ、というのは尊敬に似た感情だと思うけれど、実際に自分がそうなりたいと強く思っている、みたいな場合で使われることが多いイメージ。あとは好意を含む意味でも使われるか。「憧れの先輩」とか。ちなみに辞書的な意味は「理想的とする物事に強く心惹かれること」らしい。(goo辞書)
でも「憧れられたい」というとはもう「〜したい」という欲求、承認欲求や名声を得たいという願望、ってイメージだ。ほとんどの人間が持ってる感情だと思う。人前では少しはカッコつけたい、ちょっとでもいいように見られたいし褒められたいし認められたい。そんな俗っぽいのには興味がないぜ、って言ってるやつほどそれはただのポーズで、人一倍人目を気にしてる。本当にこういった感情を一切持たず飄々と生きてる人間なんてほんと一握りだろう
僕ももちろんある。でもここまで書いてあんまり「憧れられたい」って言葉が適当じゃない気がしてきた、つまるところ普通の承認欲求か。いや、お金や名声、人気やモテ度など全部欲しい!って感情をここでは「憧れられたい欲求」と呼ぶことにするか。まとまらない文章だ
何が言いたいかというと、この「憧れられたい」って感情は別に持っていて悪いものではなく、むしろ大事にするべきものなのでは?って話。当然そうだろ、って思う人も世間にはいるのかもしれない。でも僕は最近までこういうかっこつけはかっこ悪い、って考えだった。これもまた厨二が抜けきってない部分なのかもしれないが、「憧れられたい」って行動してる人って意識高そうなバイタリティーのある人だったり、キラキラして苦手な人だったりする(捻くれた主観だが)。僕はそういうのがとても苦手で、なるべく私にはよくなんてないですよ〜というスタンスでいたかったんだと思う。少し違う例えの気もするけど、中学校のクラスで学級委員が文化祭の演劇の役決めをするとき、クラスの中心グループがやる気になって場を盛り上げようとするのをケッ、くだらんね、とか言いながら頬杖ついてる典型的厨二病。この「憧れられたいという欲求はあるのに、それを表面化させて何かに取り組む事にひどく抵抗がある」というこじらせた状況のせいで、こんなにも自己表現が下手な、生き辛い感じになってしまっていると思う。別に「僕は人から憧れられたいです」と公言するとかじゃなくて、人から憧れられるための行動に後ろめたさ、恥ずかしさを感じなくていいんだ、って話。つまり、自分の中にこういう欲求があることは正直に認め、その感情に素直になろうって事だ。



全然話題が変わるが、「憧れられたい」ってそのまんまの曲名の名曲があったのを思い出した。歌詞が自信たっぷりな感じで凄い。1stの1曲目がこれって最高だと思う。
The Stone Roses - I Wanna Be Adored - YouTube
Oasisの1st1曲目も言わずと知れた「Rockn' roll star」で「今夜、俺はロックンロールスターだ」って歌ってるし、なんていうか1枚目の最初に世間に対しての決意表明みたいなのをぶつけていくスタンス、とても格好いいと思う。

書きたいことが多すぎる

  • 本当に多い。文章として書くことで一度整理したい自分の考えや、単純に感動した文章や音楽、映画の評論など。書きたいテーマを書きなぐったメモを部屋に投げてあるんだけれど、先日友人に見られそうになってひやっとした。まあ見られてもいいんだけど。でもやっぱり恥ずかしい。シャイな性格克服したい
  • いま「シャイな性格」って書いたけれど、性格と気質(性質?)の話をどこかで読んでなるほどと納得した。「性格」というものは割と表面的なもので、住むところや関わる人など環境によって変わるし自分でも意識すれば変えられるものであるが、「気質」は人間が生まれ持つ先天的なものであり、そうそう変えられるものではないらしい。どこで読んだか忘れたのできちんと引用もできないししない。就活でふわっと自己分析した時から自分の気質をそこそこ把握した気になっているが、実際はどうなんだろう。変えられないならうまく付き合っていくしかないか。
  • 自分のツイッターの投稿をここに引用したいが、いま使っているアカウントは鍵をかけているため無理なようだ。鍵を外せよ、って話なんだけどなんかどうしても外せない。このまま就職したら余計外せなくなると思う。どうしたものか
  • なぜツイッターを引用したいかと言えば書きたいテーマに関わる話をいくつもつぶやいているから。ブログのネタに自分の過去のツイートを持ってくるのは確かに便利だ。でも僕の場合は「このテーマでまとまった文章をかきたい、でも今は時間がないから後で書こう、忘れないようにそれっぽいことつぶやいておこう」と忘備録的にツイッターに書き留めてる。そういう人割といそう。
  • 先日友達とごはんを食べていて、「たまに見かける絶妙にちょっとダサい恰好をしてる女の子」の話になった。ex.花澤香菜。大学にも一定数いる。中学生かよ、って服をうまい感じに着こなしていて、その隙がある感じにぐっとくる。都心にキャンパスがある私立大に通うキラッキラの女子大生より、少しあか抜けない感じを残す女の子の良さ。話題になった「童貞を殺す服」とはまた別のカテゴリー。でも今花澤香菜を例に出しちゃって気づいたが、結局素材が良いだけでは
  • かくいう僕もファッションに関してはまったく自信がないので何も言えない。無難な服しか着ないせいで、ちょっとカッコつけたい場面とかすごく地味な感じのままだ。例えばライブ。いや、ライブこそ普段のままがいいのか。夏ならバンT着とけばいい風潮があるが、問題は冬のライブ。邦ロックのコピーバンドなら無地の黒シャツ着とけばいいみたいなあれ何なんだろう。ノベンバ?田淵ひさ子?知らん俺は知らん
  • 海外アーティストの来日公演について。たいてい東京2デイズとかもしくは東京と大阪2公演が多い印象。まあ首都圏でやるのは当然だしわかるんだけれど、たまには都会の人にも地方住まいの苦労を知ってもらいたいよねって話。急な都合でライブがキャンセルになったとき、地方住みの人がこうむる損害は大変だ。振替公演があってもその日にまた休みが取れるとは限らない。ホテル代や交通費もバカにならない。じゃあ都会に住めば、ってなるのかもしれないがそういうことではない。地方と都会の話ははてブとかでもさんざん語られている事だが、今度改めて書きたいとも思う
  • フジロックが楽しみ。初めて2日間参戦する計画をしている。車はなんとかなるが、テントとかどうしようか。考えるだけで楽しい。第一弾出演アーティストの発表前に公式がモザイク処理したラインナップを出していたが、sigur rosのoの上にあるウムラウトみたいな記号(曲折アクセントかも、僕も入力できない)を消し忘れていて一部にバレてたのが面白かった。「モザイク解析したぞ!」って言いつつ完全に自分の出てほしいアーティストを並べた画像あげてたフジロッカーズおじさんたちの一連の流れも好き。愛にあふれてる感じがよい。こういうインターネットはいいよね。同じ理由でふざけたtogetterのまとめも好き。
  • 最近自分のツイッターの投稿を見返して、自分句点嫌い過ぎだろ、と思った。確かに時々意識して使わない時があった。例えばツイッターで呟いたとき、一文字だけ下の段にはみだした感じになったのが気に食わなくてわざわざツイ消しし、文中の句点を半角スペースに変えるなどして、すっきり見せたりしたことがある。この為にツイ消しとかどうかと思う。完璧主義かよと。でも文章の段落分けとかって見栄えを気にして考えてやってる人はきっといると思う。読点は普通に使うんだけれどな、
  • アイドルについて思うことがあったんだけれどなんだったか忘れてしまった。思い出したらかく。最近読んださやわかというライターの「僕たちとアイドルの時代」「10年代文化論」の2冊の事だったような。どちらも面白かった
  • 今日は宇野常寛の「ゼロ年代の想像力」という本を買った。まだ読んでないけれど、見出しからして絶対面白いと思う。これ面白いぞ、と期待してレジに持っていって、読んだ時に高まったその期待を超えてくる面白さの本に出会った時の気分は本当に幸せだ。あと、献辞が素晴らしい本はたいていお気に入りになる。
  • 好きなマンガ家は誰、と聞かれたとして、自分は誰と答えるだろうか。たぶん松本大洋って言うけれど、相手によって大暮維人とか言うかも。エア・ギア読んでると絵の上手さに興奮する。相手によって質問の答えを変えるのはあまり良くないのかもしれないけれど、初対面の会話とかだったら話題をつくるため相手に合わせることも必要だよね。羽海野チカとか言うときっと会話が弾む。けどやっぱりこういう名前の出し方は作家さんに失礼な気もする。最近「夜は短し歩けよ乙女」を読み返して、あとがき最高!と思った。黒髪ボブの女の子の何割はこの子に影響受けてるのか、いや、バカな(阿呆な)男どもが勝手に重ね合わせてるだけか。あとこの絵三月のライオン読んでからだとどうしても高校入ってからのひなちゃんに見えちゃう
  • ハードカバーの本でいくつかすごく気に入ってる装丁の本があるんだけれど、いかんせんお金がなくて文庫本版しか買えない。悲しい
  • 貧乏学生な自分は欲しい本はまずハードオフで探して、ない場合かつ本当に読みたい時だけ本屋で買う。もしくはAmazonでまとめて。ほんと貧乏くさくて嫌だが本当に貧乏だから仕方ない。これでは作家さんにお金が入らないしよくないと思う。働きだしたらきちんと好きなものにはお金を払って買いたい。一度読んだ漫画とかも、完全版が出てるものはそっちで買い集めたい。松本大洋大友克洋浦沢直樹あたりは本当に出版されてるものコンプリートしたいくらいだ。
  • やっぱり欲しいものは欲しいときに買うべきだし、やりたいことはやりたいときにやり、会いたい人には会いたいときにすぐ会うべきだ。物事のタイミングって普段思っている以上に大事だ。最近つくづくそう思う。タイミングの話もまた機会があれば個別に書きたい。こうやって「機会があれば」とか言ってるうちにその機会は永遠に失われていく。

23歳の夏の午後

 

僕はいま22歳で、23歳の夏はすぐそこだ

これから先、人生を左右するような大事な選択をする場面が増えてくると思う。

果たして自分は正しい判断ができるのか、その判断材料になる生きる指針とはどんなものか、そもそも生きる指針なんてあるのか。悩むだけ無駄なので最近はこういう問題をもう考えないことにした。思考停止ではなくて、きちんと考えたうえでそっと後回しにする。その時になればまあなんとかなるし、なるようになる。大した考えもなくとった行動が意外とよい方向にいく場合もあると思う。楽しい人生にしたいな、って毎日考えてる。

自己開示ができない病

 人前で自分のことを話せない。全く話せないわけではないし、本当に親しい数少ない人間にはつい最近になって少しは話せるようになった気がする。なぜ話せないのか。単純に恥ずかしいからだ。

 

 だがしかし(サヤ師かわいい)、この「恥ずかしい」はとてもとても根が深くおぞましいほどエグいもので、欠陥の多い僕という人間の中でも一番厄介で面倒くさい部分だと思う。もういいかげんにこんなジメジメした性格辞めたい。とりあえず文章で吐き出してみれば少しは楽になったりするかなと思いここで書く

 

 

 人前で自分の事をさらけ出せない、そんなの誰にだって多少なりとあると思う

 ただ僕の場合は病的なほどこの傾向が強い。まず自己紹介が苦手だ。自分の事を端的に短い言葉で初対面の人に説明するなんて、そんな難しいことがあるか。できるわけないだろクソが!と毎回思う。「わたしはあなたごときに理解できるような、浅い人間ではないのです」(漫画版NHKにようこそ!8巻)最近は割り切って「ただのひょろくてメガネでラーメンが好きな人」ってレッテルを貼られるのに徹することにしてる。下手に音楽好きですとか言わないし言えない。

 この「レッテルを貼られてる」って感覚すら被害妄想が激しいというか自意識過剰というか、考えすぎなんだろうなと思う。つくづくめんどくさい自分。何をするにも人の目を気にしてしまうのだ。リアルの知り合いがいるアカウントで適当なことも呟けず、自分の殻に閉じこもって親しい人の前でも必死にカッコつけて役を演じるダサいやつ。救いようのないほど恰好わるい。書いててどこまでも卑屈になる...いつからこんなになってしまったんだろう。傾向が始まったのは小2の時、自由に物語を書いてくださいという国語の時間だったと思う

...とここまで書いて眠くなってきた。明日から思い切って自分史でも書いてやろうと思う。自分がどれだけ恥ずかしいやつかを恥ずかしいほど下手な文章で書きつづって世界中から笑ってほしい。一丁前にプライドばかり高くて中身がからっぽなこの僕を粉々にして生まれ変わらせてほしい。