状況が裂いた部屋

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映画『64(ロクヨン)』

「君は悪くない」。

15年間部屋に閉じ篭った男は、そう一言だけ書かれたメモを読んだ途端、声にならない叫びを上げて涙を流す。自分を責め続けたひとりの人間が救われて、止まっていた時間が動き出す瞬間だ。

横山秀夫の警察小説「64」の劇場版。前編と後編に分かれる総計240分の大作だが、クライマックスは間違いなく前編の終盤、この引き篭もりになった元警部が主人公から救いを与えられるシーンだ。


15年。あまりに長い時間だ。

昭和天皇崩御により一週間しかなかった昭和64年、その間に起きた小学生の身代金誘拐事件。身代金は奪われ、犯人は逃走し、少女は無残に殺されるという最悪の結果に終わった。

それから14年が経過し、時効が迫った平成14年の県警が本作の舞台である。事件当時「ロクヨン」を担当していた三上という刑事が主人公。三上は現在刑事部から異動され、報道官として記者クラブとの交渉に明け暮れている。

警視庁長官の事件視察のため、被害者の家を久々に訪れた三上は、真っ白な髪に生気のない目をした、廃人のような被害者の父雨宮芳男に会う。被害者の母は既に死んでいた。

 

この映画にはいくつもの象徴的なシーンがある。

だだっ広い空き地に立つ公衆電話。この作品では電話が重要な意味を持つ。この公衆電話と、雨宮の家に無造作に置かれている電話帳、そして雨宮の指紋が削げ落ちた指先が結びついた時、三上はこの父親が背負ってきた15年間という地獄のような時間を思い知る。58万件という途方もない数の家から声だけで犯人を探し出した雨宮の執念。犯人に復讐する、ただそれだけに執着して生きた15年という時間。目崎の声を聴いた途端、目を見開いて驚き、そのまま電話ボックスで崩れ落ちて笑い泣いた姿。ある意味、この瞬間雨宮は救われたと言える。胸が張り裂けるようなシーンだ。

三上の苗字が「ま行」で目崎より少しだけ早い、というのも伏線である。

事件当時、娘を誘拐した犯人の身代金の受け渡しに奔走する雨宮が、スーツケース乗せたセダンを必死に運転する姿も印象的だ。一度雨宮が三上の前を横切る瞬間、スローモーションになる演出があるが、この時の鬼の形相で前を睨む父親の顔は、「後編」で吉岡秀隆演じる幸田が車を運転する時の表情に重なる。「幸田メモ」を闇に葬られ、15年間雨宮と共に苦しみ続けた幸田の全てを投げ打った行動は、善悪を超えた凄みがある。


原作小説に忠実な(ラストは違うが)ストーリーの良さはもちろん、刑事たちの人間ドラマらしい生々しい台詞も良い。三上が廊下ですれ違った同期で出世頭の二渡に対して投げつける「次は俺をどこに飛ばすか、人事の頭でも捻ってろ」という台詞。さらに、記者クラブと広報室の飲み会で秋川が三上に対して「美雲はまだ誰にも抱かれてないですよ」と囁くシーン。刑事モノはこうあってほしい、という生々しさが詰まっている。

 

しかし改めてキャストを見ると、この人も出ていたのか!と驚くほど豪華だ。三浦友和奥田瑛二は渋くてやはり刑事は似合うな…と思う。記者に吊るし上げられる第二刑事課長が柄本佑なのも似合いすぎてる(安藤サクラと結婚したので奥田瑛二の義理の息子である)。広報室係長は綾野剛だし、事件から引き篭もっていた若い刑事役は窪田正孝だった。そして顔を髪で隠しているので全然気づかなかったが、三上の失踪中の娘は芳根京子が演じていた。


敢えて言うことがあるとすれば、ポスターがダサい所くらいか。これだけ豪華なキャストなら顔を出したいんだろうけれど、先述した象徴的なシーンとタイトルのみ、みたいな思い切った絵にして欲しかった。とにかく内容は、特に前編は素晴らしいので全ての人に観てほしい。

64-ロクヨン-前編
 

 

 

追記:「豪華版」のDVDはカバーがまさに自分が切り取ってほしい風景とロゴのみのデザインで、これだ、と声を上げてしまった。何故最初からこれにしなかった… 街と街灯、廃車が投棄されている空き地と鉄塔。作品の雰囲気が表れている良いデザインだと思う。

64-ロクヨン-前編/後編 豪華版Blu-rayセット

64-ロクヨン-前編/後編 豪華版Blu-rayセット