状況が裂いた部屋

旅行と読書と生活

ネットカフェの個室

・最近一番落ち着く場所だ。

・自分の中での夏が始まったなー、と感じる瞬間は多分金曜ロードショーで毎年7月ころ放送されるアニメ映画版「時をかける少女」を観ること、深夜家を抜け出し自転車でコンビニへ行きカップのシャーベットアイスを買ってくること、ひとりで海へ出かけてぶらぶらして特に何もせず帰ること、などがある(今年はどれもしなかった。時かけは放送がなかった)。そして夏の終わりと言えば、隣町の花火大会の音を聞きながらアジカンのマイワールドを聞くことと、友達と手持ち花火でひとしきりはしゃいだ後最後に線香花火をすることだろう。今日は夜がやたら涼しく、夏が終わったというセンチメンタルな気分になってしまった。もう少ししたらコンビニに行くけど、普通にコーヒーと煙草を買うと思う

・今年度の目標の一つに「素直になる」があったんだけど、最近を振り返るとしょうもない嘘をつきまくっていて笑える。その場しのぎの小さい嘘のつき重ねで結果的に自分の首を絞めてる、って事態が多すぎる。

・スーパー自己嫌悪モードに突入すると「もう自分辞めたいな、いっそ生まれ変わるか10歳くらいからやり直したいな」と毎回思うんだけど、その後「これまでと同じ苦労をもう一度繰り返す、若しくはもっと酷い人生があるのかもしれない、そんなハイリスクなこと出来ないな」と思い直してやり直したい欲求が消え、ビールでも飲むか…となる、その繰り返し

・先日受けた職場の研修で「2人組でペアになり一方が1分間相手に話をする。一回目は聞き手は何のリアクションもしてはいけない、目も合わせず完全に無視する。2回目話し手は同じ話をし、聞き手は全力で相槌を打ちリアクションをする」という作業があった。人材育成会社から派遣されてきた講師の意図としては「聞き手の態度としてのリアクションの大切さ」とかを説きたかったんだと思う。僕はこのワークで「話し手」になったんだけど、講師の「じゃあ話すテーマは自分が一晩中でも喋り倒せる一番語れる自信のあるものにしましょう」という指示で完全に混乱してしまって「俺にとって一番語れるものは何だ…スターウォーズネタか?ギャラガー兄弟の話か?恩田陸の小説?たまごかけご飯についてかはたまた宮崎あおいについてか、いやペアワークの相手はおしゃべりでちょっと可愛い同期の女子だ、「さっきのワークであいつキモくて…」とか同期女子グループで言われたらもう職場にいけない)とかを10秒くらいの間にごちゃごちゃ考えた挙句、小学生時代に好きだったNBA選手の話を割と無難に話し、2回目の終わりに「へーバスケやってたんだねー」とというどうでもよさそうなリアクションを貰って何とも微妙な感じで終わった。とてもモヤモヤしたって話。

・同期の話。仲の良い男の同期4人で給料日に焼肉を食う会があり、他にも定期的に飲んだりダーツをするゆるいグループにたまに顔を出していてそれ以外の同期と絡みは特にない。研修で同時入社50人と顔を合わせて久々にみんなで飲んだ。


好きな枡野浩一の短歌5選

 
   学生のあなたの夏を聞きながら
   働く日々がわが夏休み
 
 
さっぱりした感じが好きだ。年下の彼女が欲しくなる…コメントの文章がよかった。「映画館へ、海へ、朝顔市へと飛びまわる彼女の話に、笑ったり感心したりしながら、頭の中を真っ白にして働いた。彼女の長い長い夏休みを思うことが、休暇をとれない僕の夏休みだ、と思っていた。」
 
 
 
 
   いつの日か疎遠になろう俺たちも
 小夜楢岳の人生の中
 
 
「さよならだけの人生の中」と読む(多分)。
一番好きかもしれない。
 
 
 
 
    無理してる自分の無理も自分だと
 思う自分も無理する自分
 
 
小説「ショートソング」の中で、この句に魅せられて短歌の世界に入ったハタチの沖縄美女が主人公の片方(モデルは明らかに枡野浩一本人)に会いに来て、その日のうちにセックスする、という話がある。「ショートソング」についてはいつかしっかり感想を書きたい。とにかく読んでほしい。漫画版もある。
 
 
 
 
   こんなにもふざけたきょうがある以上
   どんなあすでもありうるだろう
 
 
仕事がボロボロで毎日日付けが変わる頃帰宅していた頃、通勤のバスでこの句を読み、なんとか乗り切ろうという気になれた。
 
 
 
 
   だれからも愛されないということの
 自由気ままを誇りつつ咲け
 
 
短歌は短いだけあって最初目にした時に瞬間的に「よい!」となるか否かの判断ができてしまうのが面白いと思う。もちろん何度も読み返してじわじわ来るのもあるんだけど。(個人的に「スルメ短歌」って呼んでる)これは見た瞬間スッと入ってきて、今でも最高にクールだと思う。しかし単行本の「淋しいのはお前だけじゃな」に「恋してるからって急に いい人になっちゃ駄目だよ 物書きでしょう?」という短歌があり、これは昔好きだった人に「最近、書くものに毒がなくなったんじゃない?」と言われて詠んだらしい。
 
 
 
2006年、集英社文庫「ショートソング」
2008年、集英社文庫「淋しいのはお前だけじゃな」(どちらも著:枡野浩一
より引用
 
 
2017.3.25 追記
そういえばこれを忘れていた、漫画版「ショートソング」のカバーにあるやつ。見つけたのは奇しくもバンドを自分の都合で勝手に抜け、就活準備を始めた頃、スーツ姿のときに寄ったブックオフだった。人生こういうことがあるからなんだかなあ、と思う。あのとき抜けたことには特に後悔はないのだけれど。
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Oasis「Digsy's Dinner」


oasis digsy's dinner español subtitulos

 

What a life it would be

一体どんな人生になるんだろう?

 

If you could come to mine for tea

紅茶でも飲みに来ないか

 

I'll pick you up at half past three

3時半に迎えに行くよ

 

We'll have lasagne

ラザニアでも食べよう

 

I'll treat you like a Queen

君を女王様みたいに扱うよ

 

I'll give you strawberries and cream

ストロベリー味のクリームもあげるよ

 

Then your friends will all go green

君の友達も芝生に来るならさ

 

For my lasagne

ラザニアを食いに

 

These could be the best days of our lives

これって人生でも最高に楽しい日々なんじゃないか?

 

But I don't think we've been living very wise Oh no, no

でも俺たちって賢いようには見えないよな

やりたいことが見つからない

   大学3年生になった春先、少し真面目に将来のことを考えた時期があった。就活を翌年に控え、この先何を目指そうか、どんな人生にしようかと悩みながら毎日悶々と生きていた。大学生活は相変わらずぬるく楽しかったが、だんだんと終わりが見えてきて寂しさを感じ始めた頃だ。周りを見渡せば教師になると言って一心不乱に教員採用試験の勉強をする連中やどうしても入りたい業界があると言ってインターンシップに応募する連中がいた。いま冷静に振り返れば、そうやって真面目に行動していた奴は全体の2割くらいしかいなかったように思える。しかしあの時期そういう人間は嫌でも目に入るし、「みんな頑張ってるのに自分ときたら…」と焦らされた。

 
    結局僕は6月頃から公務員試験の対策講座というものを受け始め、翌年の8月になんとか地元の役所から内定が出て就職し今に至る。なぜ公務員になる道を選んだのか、というと多分理由はこの2つだ。
 
・仕事として特にやりたいことが見つからなかったので、福利厚生がしっかりしていて市民のためという大義名分のある職に就いておけばやりがいがありそうだから
 
・趣味に人生の主軸を置き、時間とお金を注ぎ込みたいので、休みがとりやすく出世も年功序列で給料もそこそこ安定してる職に就いておきたいから
 
    我ながら世の中舐め切っててひどいな...こんな人間が公務員やってんのかよ、最悪だな…と思う。高い志など一切なくただ公務員制度の旨みに乗りたいだけであるというのが本音である。22で大学を出たら働かなくてはならない、という風潮に取り敢えず乗っておかないと、収入がないと食っていけないし、自立しなきゃだし奨学金の返済もあるし...出来れば働きたくないのにこんな後ろ向きな理由での就活だった。もちろんこんな状態なのでモチベーションは限りなく低く、面接ではこんな人間だとばれないようにうまいこと演技して嘘八百を並べ立てて合格した。
 過程はどうあれ現在公務員として仕事をして4ヶ月目、今一番実感しているのは働き出してからの時間の流れるスピードが速すぎることだ。「実感している」って言い方は間違いかもしれない。気が付いたら夏になっており、とっくに季節が変わったことについていけてない自分がいる。一日中職場でデスクワークしていると、本当に一瞬で時間が過ぎる。先月後半から週の半分は出張するような日々が始まり、ようやく運転中の車窓の風景で夏だと気づかされたところだ。
 なぜこんなに時間に取り残されているのかというと、5月後半~7月頭にかけてのひどい忙しさで精神をやられていたということもあるけれど(今振り返ると鬱病の症状にあてはまることが多すぎて恐ろしい)、仕事帰りのバスの中や休日の散歩中など仕事以外でずっと、いろいろと考え事をしていたせいかもしれない。考え事の中身とは、この先何を目指そうか、どんな人生にしようかということで、つまり大学3年生の頃の悩みに戻ってきてしまった。
 
 やりたいことが見つからない。先に挙げたように自分は趣味に生きようと思って楽な仕事に就いたはずなのに、仕事は全然楽じゃないし、自分の趣味ってなんだっけ....そもそも何のために生きてるのかわからなくなってきた...という面倒くさいモードに入ってしまった。
    何のために生きるのか、なんて哲学的な話はこんなところで考えて気軽に答えなんて出る訳がなく、むしろ出たら困る話で、考えるだけ無駄とは言わないがいま考えるべきはそういうことではない。つまるところ自分は「生きがい」がほしいんだと思う。

一番古い記憶

 人にあまり家族の話をしたくない。気恥ずかしさからくる部分と、その気恥かしさを感じてしまうことに対し少し負い目を感じている部分があるからな気がする。普通の親なのに。そもそも今から書こうとしているような自分の身の上話みたいなものを人に話すことが恥ずかしい。相当な自意識過剰だと自分でも思う。

 

 違う話題になるが、僕の一番古い記憶は首都高のインターチェンジを車で走っている場面だ。おそらく横浜ベイブリッジのあたりで、下道から高速にのるためにぐるぐると導入の道路を登って高速に合流する地点。つい先日東京へ出張したときにわざわざレンタカーを借りてひとりで首都高を運転し、ベイブリッジまで行って確かめた。我ながら何やってんだと思う。楽しかったけど。

 僕は新潟の生まれだが、父親の仕事の都合で0歳から4歳まで東京都港区三田で暮らしていた。慶応大学からほど近い場所にある、ボロくて狭い社宅。幼稚園児だった当時の記憶はほんの少しで、ぼんやりした近所の風景や好きだったトミカとかカセットテープで聞いていた子供向けの音楽、父親と一回だけ三輪車に乗る練習をしたことくらいだ。徒歩15分くらいで増上寺があり、その隣の東京タワーは父親とよく登った(らしい)。近くにNECのビルがそびえたっており、父親の勤める会社は取引先であったために(もちろん父の会社が下請け)、社宅の部屋に「バザールでござーる」とかいうサルのグッズがたくさんあった。あとNTT?かなにかの古いロゴが怖くて、見るたびにギャン泣きしていた。いま考えると可笑しいけど、小さい頃無性に怖かった物って誰にでもあると思う。自分の場合NTTのロゴと深夜にテレビ放送が終わると映るカラーバーの画面だった。

 大学3年の夏休み、特にこれといって目的もなく東京へ遊びに行ったことがある。朝の勝どきを散歩して築地で海鮮丼を食べ、とりあえずゆりかもめでお台場へいってふらふらした。そこで急にレインボーブリッジを歩いて渡ることを思いついた。昔母親が「あんたが2歳くらいの頃、社宅からベビーカーを押してレインボーブリッジを歩いて渡った」と言ったのを思い出したからだ。結局徒歩で20分くらいかけて渡ったのだった。眺めは良かったが当たり前に車の走行音がうるさかった。

 橋を降りると、目の前の風景に急になんだか既視感を覚えた。自分はこの場所を何度か歩いたんだな、と直感的にわかって、昔住んでいた港区三田といえばこのあたりだと気づいて急に社宅を探したくなった。仕事中の母親にラインで昔の住所を聞き、地図アプリを見ながら場所へと向かった。途中の道はどれも記憶にあるようなないような微妙な感じだったが、社宅のある通りはなぜか地図に頼らずに近くまで来たとき「ここだ」と分かった。10年前に父の会社から所有は移った、と聞いていたので建物自体残っているかわからなかったが、奇跡的に廃墟となって残っていた。

 

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 見つけた瞬間は残っていたのか!と興奮したが、しばらく眺めているうちにいろいろ考えてしまってつらくなった。その後おセンチな気持ちで博物館を回ったり友達に会ったりして次の日アパートではなく実家へ帰った。母親と社宅はそのまま残っていた、そっか、という会話をした。

 

「働きたくなさ」の研究

 働きたくない。日曜の夜がとても憂鬱だ。

 これでもマシになったもので、一番精神的に追い込まれていた6月上旬は毎日が地獄だった。思い出したくもないし、嫌なことはすぐ忘れる都合のいい頭なので既にその時期の記憶は半分ない。ひどく遅い時間まで残業し、ボロボロになって帰宅してすぐベッドに倒れて眠った気がししないまま朝出勤する。最悪の精神状態だけど疲れきっているために気分転換をする気も起きず、ストレスを溜め込んだまま仕事へ向かい、効率が落ちてるためまた残業する。常に仕事をしてる為に頭も仕事の事で一杯で、その他を考える時間も余裕もない。無意識のうちに溜め息とか呻き声とか出るので家族からも嫌がられ家にも居場所が無くなる…酷い負のサイクルの中でひたすら楽になりたい、いっそ死にたい、とかブツブツ呟きながらひたすら仕事をしていた。
 
  あの地獄の時期は何とか抜けたが、今でも仕事に対してのモチベーションは上がらない。デスクに着けばなんだかんだ言ってちゃんと働いてるけど。どうしてこうも働きたくないのか。原因を知っておけば対処のしようもあるのでは?と思いこのテーマについて考える。
 

1.要因が他人にある場合

 これはどうしようもないと思う。自分自身の問題であればいくらでも改善してうまいこと仕事も回るようにできるが、外からの問題はどうにもできない。

 例えば、僕は朝出社するとまず、その日中にやるべきタスクをメモに書き出してから仕事を始めるようにする。やることが分かっていれば時間配分も考えられるし、何もなければ定時に帰れることもある。それが理想だし普通はこうなるはずだ。

 しかし現実はそうはいかず、めちゃめちゃに残業するのだった。残らない日なんて週に1日、「ノー残業デー」と銘打ってあるので残業代がつけられないし、残ってはいけない風潮があるため7時くらいには帰らされる日だけだ。帰れてんじゃん、と思われるが次の木曜日その分業務が上積みされるだけだし、終わらない仕事をデスクに積んだまま帰るのはひどく辛いし重い気分で退勤し次の日も最悪の気分で始まるのだった。

 なぜ朝作る予定表通りに仕事ができないのか。それはひっきりなしに寄せられる照会のせいなのだった。一応自分が今いる部署は本社的な立ち位置なので、地域、つまり出張所的なところから常に問い合わせがくる。基本電話なのでその場で一言で解決できることもあれば、調べる必要があるために法律書を読み要綱を読み、回答を作ってから丁寧に答えないといけないこともある。メールでの問い合わせは大抵が長文で来るし、要領の得ないひどい文章の場合もある。出張から帰り、一仕事終えた気になってメールチェックをすると、そんな無慈悲な長文が何通も着信しているのだった。そんな面倒な仕事も業務のうちなので、ため息をついて回答するのだが、もちろんその間自分の仕事は進まない。一日に3時間この照会に煩わされるとすると、その分できなかった自分の仕事の3時間は残業することになるのだ。予定に照会対応の時間も入れろよ、って話だがいつ来るともわからない照会のために時間を作るのもあれあので、まあそれでも予定表は4時ぐらいに自分の仕事を終わらせられるよう組むべきなんだろうとは思う。うちの課でこういった照会対応ができるのが自分の係りの4人だけ(他の人はみんな「技術屋」と呼ばれる技術職)、しかも大抵誰かは出張しているのでデスクにいる人間が答える、という余裕がない体制はどうかと思うが、改善の提案なんて一番下っ端の自分ができるわけもない。長い物には巻かれる、がモットーである僕はさっさと部署を異動して照会をして本庁の人間を困らせてやる立場になる日を夢見て、あと2年耐えなければならないのだった。

 

 2.自分自身の問題

 でもなんだかんだこれに尽きるのだと思う。僕は圧倒的に仕事が遅い。ひとつの作業も何度も見直さないと気が済まない。丁寧にやってる、と言えば聞こえはいいが普通にミスはしてるので単に仕事が出来ないだけだ。まあ1年目なんてそんなもんだよ、俺なんて新人の頃は〜と優しい先輩たちはフォローしてくれるが、なんかミスの次元が違う気がしてならない。一応守秘義務とかあるしなにより説明が面倒なので業務の細かい内容は書かないけど、呆れられる前に人並みになりたいな、と思う。1年目、という免罪符はもうすぐ使えなくなる筈だし。チェックシートを作ったりミスを書き出して改善点考えたり、まあ当然といえば当然の事を地道にやって人並みを目指すしかないのだ。とても暗いな。