状況が裂いた部屋

旅行と読書と生活

一番古い記憶

 人にあまり家族の話をしたくない。気恥ずかしさからくる部分と、その気恥かしさを感じてしまうことに対し少し負い目を感じている部分があるからな気がする。普通の親なのに。そもそも今から書こうとしているような自分の身の上話みたいなものを人に話すことが恥ずかしい。相当な自意識過剰だと自分でも思う。

 

 違う話題になるが、僕の一番古い記憶は首都高のインターチェンジを車で走っている場面だ。おそらく横浜ベイブリッジのあたりで、下道から高速にのるためにぐるぐると導入の道路を登って高速に合流する地点。つい先日東京へ出張したときにわざわざレンタカーを借りてひとりで首都高を運転し、ベイブリッジまで行って確かめた。我ながら何やってんだと思う。楽しかったけど。

 僕は新潟の生まれだが、父親の仕事の都合で0歳から4歳まで東京都港区三田で暮らしていた。慶応大学からほど近い場所にある、ボロくて狭い社宅。幼稚園児だった当時の記憶はほんの少しで、ぼんやりした近所の風景や好きだったトミカとかカセットテープで聞いていた子供向けの音楽、父親と一回だけ三輪車に乗る練習をしたことくらいだ。徒歩15分くらいで増上寺があり、その隣の東京タワーは父親とよく登った(らしい)。近くにNECのビルがそびえたっており、父親の勤める会社は取引先であったために(もちろん父の会社が下請け)、社宅の部屋に「バザールでござーる」とかいうサルのグッズがたくさんあった。あとNTT?かなにかの古いロゴが怖くて、見るたびにギャン泣きしていた。いま考えると可笑しいけど、小さい頃無性に怖かった物って誰にでもあると思う。自分の場合NTTのロゴと深夜にテレビ放送が終わると映るカラーバーの画面だった。

 大学3年の夏休み、特にこれといって目的もなく東京へ遊びに行ったことがある。朝の勝どきを散歩して築地で海鮮丼を食べ、とりあえずゆりかもめでお台場へいってふらふらした。そこで急にレインボーブリッジを歩いて渡ることを思いついた。昔母親が「あんたが2歳くらいの頃、社宅からベビーカーを押してレインボーブリッジを歩いて渡った」と言ったのを思い出したからだ。結局徒歩で20分くらいかけて渡ったのだった。眺めは良かったが当たり前に車の走行音がうるさかった。

 橋を降りると、目の前の風景に急になんだか既視感を覚えた。自分はこの場所を何度か歩いたんだな、と直感的にわかって、昔住んでいた港区三田といえばこのあたりだと気づいて急に社宅を探したくなった。仕事中の母親にラインで昔の住所を聞き、地図アプリを見ながら場所へと向かった。途中の道はどれも記憶にあるようなないような微妙な感じだったが、社宅のある通りはなぜか地図に頼らずに近くまで来たとき「ここだ」と分かった。10年前に父の会社から所有は移った、と聞いていたので建物自体残っているかわからなかったが、奇跡的に廃墟となって残っていた。

 

f:id:ngcmw93:20140405104259j:plain

f:id:ngcmw93:20140405104304j:plain

f:id:ngcmw93:20140405104809j:plain

 

 見つけた瞬間は残っていたのか!と興奮したが、しばらく眺めているうちにいろいろ考えてしまってつらくなった。その後おセンチな気持ちで博物館を回ったり友達に会ったりして次の日アパートではなく実家へ帰った。母親と社宅はそのまま残っていた、そっか、という会話をした。