状況が裂いた部屋

旅行と読書と生活

続・国道8号線を巡る冒険

国道8号線を走破する企画の続編。以前、始点である新潟市古町の本町交差点を確認したので、今回は終点の京都市下京区の烏丸五条交差点を訪れることを目的とした。ルートは新潟港からカーフェリーで敦賀港へ向かい、烏丸五条交差点を見た後8号線を使って京都→滋賀→福井→石川→富山→新潟と戻ってくる流れ。

 

ぐだぐだにならないよう、一応のルールを設けた。

・可能な限り国道8号線を使用する。しかし目的があって国道を外れるのはOK

・既に一度通った部分は省略できる(高速利用可)

・終点(京都市下京区五条交差点)を訪れる

・沿道にある道の駅になるべく寄る

 

◯ 1日目

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f:id:ngcmw93:20191110162503j:plain16:30、曇り空の新潟港を出発。船は「らいらっく」だった。新潟から船に乗り込んでいた車のナンバーは群馬、福島、庄内など様々。船内は不気味なほど静かだ。早速歩き回って探検したが大したものはない。ソファーでゴロゴロする。

 

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f:id:ngcmw93:20191110194026j:plain甲板に出てみるともうかなり暗い。この日の日の入り時刻は16:42だった。月明かりと遠ざかっていく街の灯りを眺める。学生の頃に新潟港から小樽港まで船で行ったことがあったけれど、その船と内観はあまり変わらないようだった。シアターがあり一日2本映画を上映している。大浴場が良かった。揺れるので波の出る温泉プールみたいだ。サウナまである。

船内を探検し風呂に入るともうすることもないので、自分のベッド(2段ベッドの下だった)でひたすら本を読んでいた。ジャック・ケルアックの「オン・ザ・ロード」。1940年代のアメリカ放浪記。訳者の巻末解説で「ビート・ジェネレーション」の語源や意味に詳しく触れており面白い。本文中のbeatは「くたびれた」という訳され方が多いが、「ビートな取引」のような使われ方(クスリを手に入れようと売人と取引したが家に帰って見たら砂糖だった、みたいなこと)や、「至福の」(ビーティフィック)のビート、さらにジャズのビートなど、様々な意味を内包しているらしい。いま辞書でbeat generaitionを引いたら「1950-60年ごろ米国社会に幻滅し脱社会的放浪生活を送った若者たち;cf.beatnik」とあった。

ケルアックは1947年から放浪に出て、1951年29歳の時、わずか20日で36mのペーパーに約17万5千字のこの文章を一気に書いた。しかし出版までに6年を要し、1957年に35歳でようやくこの本を出したらしい。深夜特急を読んだ時も思ったが、旅行記に言えることとして「実際に著者が旅行した時代と、出版された時代にタイムラグがある」問題がある。これについては言っても仕方がない部分はあるが。60年代のヒッピーがこれを読んで大陸を放浪したとき、果たして期待通りの旅ができたのか、いや目的はそこではないのか...と色々考えてしまう。読み物としてはかなり刺激的で面白かった。

 

◯ 2日目 

f:id:ngcmw93:20191111054552j:plain5:30、福井県敦賀港着。ここから琵琶湖の西側を南下して京都へ向かう。

琵琶湖の一番北側までは8号線を使ったが、そこからは国道161号線で湖畔を走った。朝焼けが見られていいドライブになった。途中、道の駅を2つ見つけたものの開店前だったので素通りする。1つはマキノ追坂峠という場所だった。

8号線と1号線が重複する部分を通る。あまりに混むため車で京都観光は無理、と聞いて覚悟していたけれどやはり朝のラッシュに巻き込まれてしまう。単純に交通量が多い。

8:30、なんとか駐車場に到着。車旅行のいいところは、多くの荷物を持ち運べること、泊まる場所がなければ車中泊もできることだ。財布と携帯だけ持って適当に京都を観光する。清水寺二年坂→八坂神社→知恩院と歩ける範囲で見て回る。清水の舞台は工事中だった。今年の漢字を募集中。謎の表札が出ている家屋があった。中国人観光客がとても多い。

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f:id:ngcmw93:20191111122752j:plain夕方、ゲストハウスにチェックインしてオーナーさんと喋る。この宿はもうすぐ7周年で、オープンした頃は京都市内にゲストハウスは20数戸しかなかったが、ここ数年で一気に増え、今では300くらいあるとのことだった。

ドミトリーで相部屋だったのは札幌から来た50代くらいのおじさんと、愛知に住んでいるという中国人のツアーガイドの方だった。おじさんは夕飯はにしんそば発祥の店に行く、と言ったのでさっきニシンそば食べました、と写真を見せると「ここだよ!」と嬉しそうにする。今調べたら発祥の店はどうやら違う店のようだったけれど偶然話題にできたので良かった。

 

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f:id:ngcmw93:20191111184317j:plain夜は三条付近で適当に飲んだ。あと通りがかった青蓮院門跡でやってたライトアップを観るなど。

ゲストハウスのオーナーさんが経営している銭湯にタダで入らせてもらえるサービスがあったので参加する。フランス人の男性とアメリカのユタから来た女性、フィンランドから来た女性と自分の4人で行くことになった。フランス人はマーティンという名前で、ヒゲ面で大柄な優しい人だった。貸出用のシャンプーのボトルが彼に託されたので2人で並んで身体を洗い、サウナに入って片言の英語で話した。どのくらい日本に滞在するのか聞くと、もう来てから1週間になる、この先2週間滞在すると言う。どこを見てきたか聞くと広島のピースフルモニュメントとミヤジ…なんとかに行った、とのことで原爆ドームと宮島の厳島神社だねと理解する。あと大阪にも行ったらしい。職業を聞かれ、パブリックサーバント!パブリックオフィサー!と言ってみたが何故か伝わらず、あっ…ビジネスマンです…と適当になってしまった。彼はエンジニアだそうだ。3週間もまとまった休みが取れるなんて羨ましいがフランスではきっと当たり前なんだろう。風呂を出てからグーグルマップでフランスを表示し、ホームタウンはどこ?と聞いたらパリの北東にあるランスという街を拡大して示してくれた。シャンパンが有名らしい。

銭湯はとても良かった。昭和初期からやっているとのこと。帰り道で女性陣がエレクトリックバスが良かった!と興奮した様子で言ってて、暫く考えて電気風呂のことかと分かり笑った。

 

◯ 3日目

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f:id:ngcmw93:20191112071543j:plain朝食がバイキング形式でめちゃ良い。素泊まり3,300円でこのサービスはすごい。というか素泊まりで宿泊してるのだから食べれない筈なのに、ご主人が「食べちゃってください」と言うので普通にお腹いっぱい食べた。自分は国道ファンであると同時に海外の硬貨収集もしているため、壁に貼られた紙幣や硬貨に興奮した。

 

徒歩で国道8号線の終点五条交差点へ。

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f:id:ngcmw93:20220313125835j:image片側4車線の十字路というお化け交差点だ。右折、左折用にもう一車線レーンがあるため横断歩道では9つの車線を横切る形となる。ここは8号線と1号線の重複区間のため、道路標識では1号線と表記されている。目印は時計台くらいか。8号の終わりを示すものはないか探し回ったが特に見つけられない。管理者は京都国道事務所になるようだ。

f:id:ngcmw93:20191115231926p:plain車に乗り、ついに本格的に本来の旅程がスタート。国道8号線をなぞりながら北上し、沿道を観察しながら新潟を目指す。しかし平日朝の国道はやはり交通量が多く、トラックやバスなどでかい車ばかりで走りづらい。非常に殺伐としていて怖い。やっぱ琵琶湖の湖畔をのんびり走りたいな...と早々にさざなみ街道(滋賀県道2号線)に切り替える。161号線もそうだけれど、琵琶湖周辺には湖面近くを走る道路が整備されており、かなり良いドライブになる。

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f:id:ngcmw93:20191112122927j:plain安土城址。石段を登るのが面倒で入場はしなかった。

 

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f:id:ngcmw93:20191112134518j:plain彦根城天守まで登った。最大60度以上という急な階段が怖い。ひこにゃんさんがいた。

 

f:id:ngcmw93:20191112162822j:plain8号線の距離標。始点からの距離が表示されている。あと484キロかと考えると死にたくなるので考えない。

あと滋賀県の北部には「酢」とか「今」とか一文字の面白い地名がいくつかあった。
 

f:id:ngcmw93:20191112171726j:plainこの日は夜まで走り続けて、福井駅近くのゲストハウスに泊まった。敦賀から福井市街地へ向かう途中の河野という道の駅で綺麗な夕焼けが見れた。敦賀港は山に囲まれた地形で、海の際を走る国道305号線は山と海の境目のような凄い崖道だった。マジックアワーにこの道を通れたのはラッキーだった。 

宿ではドミトリーで相部屋になった船乗りの方と一緒に夕飯を食べながら喋った。数ヶ月海の上に出て働き、帰ってきては1,2ヶ月の休み、そしてまた海の上、という働き方らしい。数ヶ月まとめて働き、数ヶ月休暇がある、という極端な働き方は船乗りか自衛隊員くらいしかできないんだろうか。最近本格的に旅行をライフワークにしたいと考えているので、そういう生き方が選べる職業に興味がある。自営業なら可能なのか。それかノマドワーカーになってパソコン抱えて仕事しながら旅するか。自分としては旅行は完全な非日常であってほしいので、仕事の延長線上で旅行もするのはちょっと違う気がする。難しい。

 

◯ 4日目

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f:id:ngcmw93:20191113072523j:plain朝は中心地を散歩した。福井駅は恐竜推しだった。この日は恐竜博物館に行きたかったが休館日だったので断念。今度リベンジしたい。福井県庁は福井城跡のお堀の中にある。新潟古町にもある焼き鳥の名店秋吉は実は福井発祥らしい。知らなかった。


宿の方におすすめされたので、海沿いにある越前町へ向かう。

f:id:ngcmw93:20191113095253j:plain街の中心部に織田(おた)という地区があり、織田信長の先祖はここの出身らしい。信長の像が立っており、近くには劔神社、その隣には織田文化歴史館があった。

国道365号線で越前海岸へ出る。途中に8番らーめんがあった。別に8号線の沿線だけに限って出店してるわけではないらしい。道の駅越前に寄ったり、カニミュージアムを見るなどする。

 

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画像引用元:https://trafficnews.jp/post/81882

国道マニア憧れのポイント、305号線が直角に曲がり海に迫り出す地点を通過した。2018年7月の西日本豪雨で土砂崩れが発生したため、コの字型に海に橋を架ける形の迂回路が作られたもの。この箇所の事業費は4億円とのこと。自分では上手く写真を撮れず残念。以前から絶対行きたい地点だったので通れて感動した。

 

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f:id:ngcmw93:20191113141339j:plain305号線をそのまま北上し、福井県坂井市にある観光名所、東尋坊に着く。結構賑わっていた。駐車場に入り料金を先払いするときにおじさんから「ちゃんと帰ってきてね〜」と声がけをされて笑った。投身自殺しそうだと思われたのだろうか。ブラタモリでやっていたのでこの岩は安山岩の柱状節理、と呼ぶことだけ知ってた。崖近くには自殺を思いとどまらせるための電話ボックスがある。東尋坊タワーは8号線沿いに時々見かけるドライブインのようないい寂れ感を出していて良かった。

f:id:ngcmw93:20191113145538j:plain東尋坊に着いた時点で車のメーターはちょうど400キロになった。この日はすでに50キロ以上走っていたけれど、ここからさらに8号線を延々と120キロ運転した。山道が多い。いい加減うんざりした頃、石川県を通過し富山県高岡市に着く。

この日泊まったゲストハウスはやや癖が強く、とても良いところだった。

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f:id:ngcmw93:20191114073831j:plain着くと挨拶も早々にまあ座ってと言われ、ご主人が本格的な茶の湯の道具でお抹茶を出してくれる。外国人客にはとても喜ばれるそうだ。宿泊した部屋は昭和の間と呼ばれていて、昭和17年大日本帝国時代の世界地図が飾ってあるレトロな部屋だった。文字は右から読む。スリランカはセイロン、ミャンマービルマパキスタンはベルチスタンと表記されている時代。イギリスの植民地がそこらじゅうにある。がっつり占領しちゃってるので韓国人の方はこの部屋泊められないかなと主人は言ってた。夜は路面電車を眺めつつ街を歩き、中華料理屋でビールと餃子とラーメンを食べ、銭湯をキメて満ち足りた気分になった。さらにビールを買い込み宿に戻り、他の宿泊客にいたトラックのドライバーさんから物流業界の話を、ご主人からはバイクで日本一周した時の話を聞いた。

 

◯ 5日目

雨が降っていたので観光する気にならず、のんびり帰ることにした。

富山の8号線は片側2車線の部分が結構あり、バイパス部分はとても走りやすい。滑川市あたりに PLANT-3があった。店名の後に着く番号は売り場面積の大きさを表すらしい。

f:id:ngcmw93:20191114141431j:plain一応国道8号線の旅だったということで、最後の昼食は8番らーめんの新庄店で締めた。味は普通。

f:id:ngcmw93:20191114150953j:plain魚津市の海沿いにある埋没林博物館だけ立ち寄った。2000年前のものもあるというスギの原生林跡。展示は大したことないんだけれど、でかいシアターで蜃気楼の原理についての詳しい解説が見れて良かった。 

 

魚津より東はルールに則り高速を利用してすっ飛ばして帰ってきてしまった。なので、以前富山東部〜県境、親不知、糸魚川地域を旅行したときの写真を貼る。

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f:id:ngcmw93:20180915164108j:plainカモンパーク新湊という道の駅には、名産であるシロエビが展示されている。そして自分のために作ってくれたのか?ってほどいい案内表示があった。ここから各都市への8号線を使った所要時間の一覧。

 

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f:id:ngcmw93:20180915124404j:plain旧北陸街道の難所、親不知は結構見所があって面白い。8号線と高速のどちらからも入れる道の駅、親不知ピアパークには翡翠ふるさと館という展示スペースがあり、ヒスイ関係の展示のほかに最高のジオラマがある。この地点は海と山のわずかな隙間にJR北陸本線国道8号線、高速の北陸道が3本並んで通っている。高速に至っては立体で8号線と交差し、完全に海に迫り出しているのだ!この手の構造物が好きなのは何マニアと呼ぶのかわからないが自分は大好きである。

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f:id:ngcmw93:20191121113241j:imageちなみに富山から新潟へ入って最初の地名は市振といって、ここにも小さな道の駅がある。2階の資料館に糸魚川ジオパーク関連の展示がある。この地域は地理の分野で結構有名で、糸魚川-静岡構造線で日本東西の分かれ目になっていたり、珍しい地層が見られたりと知るほどに面白い。フォッサマグナミュージアムは2回行った。2018年の秋には「宝石の国」展があり、各種鉱石の展示とその石に因んだキャラクターのパネルが並んでいて見応えがあった。

 

f:id:ngcmw93:20191124153055j:plain福井県内の道の駅では「道の駅カード」なるものが購入できた。1枚200円。スタンプラリーもやっていたけれど道沿いにない駅は行かなかったので制覇はできなかった。全然関係ない奥只見ダムカードはダム近くにある電力館でもらえる。付近に電源神社という面白い神社があった。

 

f:id:ngcmw93:20191118173506j:image帰宅した時のメーター。車で移動した4日間の走行距離691.9km、船も含むと5日間で1,200kmほど移動したことになる。国道観察より普通に旅行に夢中になってしまったが多分正解だった。これから冬になり長距離ドライブはしなくなると思うけど丁度良いテーマを見つけてまたやりたい。あと最近友人のフォレスター(X-break搭載)に乗ったら超快適だったので頑張って新車を購入したい。なんちゃってジムニーにはロングドライブは無理がある。

伊豆大島旅行記

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2019年9月21日〜22日の日程で、伊豆大島を旅行した記録。

 

伊豆大島へは船で渡った。JR浜松町駅近くの竹芝桟橋から東海汽船に乗ることができる。このほかに静岡の熱海や下田からも就航しており、大島へ渡る一番定番の手段がジェットフォイルのようだ。この日は7時台に2本、8時台も2本と結構本数があり、自分は8:25発の切符を買った。例によって今回の旅行を決めたのが前日だったため、ネットや電話でできる事前予約をしていない。それでも普通に窓際の席が取れた。3連休の初日なのでかなりの混雑を覚悟していたのに拍子抜けだった。

釣竿とクーラーケースを背負った釣り目的の集団と、ロードバイクが入っているであろう大きなバッグを抱えたサイクリング目的の集団に挟まれながら搭乗する。2階建の1階席。九州あたりに台風が来ていたが大した影響はなく、そこまで揺れなかった。

 

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ジェットフォイルには「セブンアイランド」という名前が付いており、今回自分が乗ったのは「愛」という名前だった。これを含めて現在4隻が就航しているようで、いくつかの船は名前とペイントが非常にダサくて好感が持てる。この船が一番マシだった。特に「大漁」がなかなかすごい。漁船みたいな名前とまさに大漁旗みたいなデザイン。

前日に大島行きを思いついた時、船がどこから何本出ているかはすぐ調べられたけれど、万が一欠航しないか、という点が心配だった。東海汽船のサイトによると出港当日の朝にしか情報が出ないようだ。調べていくうちに、大島在住の気象予報士の方がやっている就航予想のサイトがあった(伊豆大島 気象と交通 )。出発、帰着日に丸が付いていたのでひとまず安心して乗れた。就航予想以外も、気象関連の詳しい解説があったり、経営している鶏園の卵の販売状況を無人カメラで中継していたりと面白い。一般の人が完全に趣味でやってます、って感じが良い。

 

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 竹芝桟橋から120キロ、1時間45分で大島へ到着。着くとすぐにガラス張りの綺麗な建物がある。帰る際に入って知ったが、船の切符売り場やお土産物屋が入った施設だった。津波が来た際の避難場所にもなっているようだ。

出口には船の到着に合わせて2台のバスが来ていた。一台は三原山の山頂口へ、もう一台は元町港へ向かうらしい。前日に予約した宿は元町ってとこにあったな、と思いそちらに乗る。

バスの車窓を見える景色は、ちょっと田舎な普通の街だ。まるで人がいない場所を想像していた。後から知ったが住民は7,500人ほどいるらしい。自動車学校まであって驚く。パチンコ屋もあった。風が強い地域のためか家は平屋が多い。空港には小型のプロペラ機とヘリがあるのが見えた。

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元町港に着く。後に出てくるタクシーの運転手さんに聞いてようやく分かったけれど、大島には島の北側にある岡田港と西側の元町港という2つの港があり、その日の風向きによって船が出帆する港が変わるらしい。ちなみに自分が滞在した2日間は岡田港だった。朝にならないとどちらを使うかわからない。はずれの側の港にいても、出帆港行きのバスが出るので時間が合えばなんとかなる。あとすげえ雑なポスターが良かった。

 

今回も例によって特にこれといった旅の目的を持たずにここまで来てしまったため、観光案内所でパンフレットをもらいようやくどこへ行こうか考える。そもそも何故大島に来たかといえば、本当に思いつきで「島に行きてえ」と思ったからだ。遠くに行きたい、遠くといえば島、絶海の孤島へ行ってやろう…。そう、正直に言えば青ヶ島のような孤島、自然しかないポツンとした島へ渡りたかった。が、時間と費用が足りないのは明らかなためすぐ断念。しかも翌日熱海で友達と合流する予定まであったので、気軽に行ける島でのんびりできるところ、というわけで近場の大島に落ち着いた。近場でもないけど。宿だけ予約して勢いで来たため、本当になんの予定もなかった。この時点で遠くに来るという目的はある意味達成している。

さっき三原山を登るバスに乗れば観光気分を味わえたのかな、でも天気も微妙だしな、と考えているうちに「火山博物館」なるものがあると分かり、徒歩で向かう。

 

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外観が割と立派な建物。 500円払って入館すると、ガイドの者が居りますが解説聞きますか、と言われる。せっかくなのでお願いすると、登場したおじさんにどれくらいで見て回りますか、と聞かれるので1時間くらい、というとそれなら十分ですねえと嬉しそうに言う。三原山は30~40年に一度ほどのペースで小規模な噴火すること、それを観察するため観測所が至るところにあること、噴火時は研究者や観光客が押し寄せるので島には割と恩恵があること、1986年の大規模な割れ目噴火では全島民が一時避難したこと、などを1時間フルに使って丁寧に解説してくれた。噴火というと生活を破壊される天災のイメージが強かったけれど、島の人からしたらそうでもないらしい。私の親父なんかは子供の頃流れてる溶岩を木の棒でつついて遊んでいたらしいですよ、などという。割れ目噴火でも起こらない限り、三原山は基本穏やかな噴火のため、地形が変わり被害が出るような噴火は数百年に一度らしい。しかし1986年の大噴火は歴史的なもので、溶岩は最大で1,500mまで吹き上がった(観測史上世界最大)。後日放送を観たブラタモリでも詳しく解説していた。館内の2階にあるシュミレータ・カプセルは大したことなかったけどなんか笑えてよかった。結局1時間半くらいいたけど、その間自分以外の来場者は来なかった。

外へ出ようとすると、これからどうするのと聞かれどうしましょうかと答える。天気が良かったらせっかくだし山でも登るんですが、と言うと今日は天気は持ちそうだし火口を見てきなよ、と三原山頂口へのバスを調べてくれた。親切。すると10分後のバスで元町港から岡田港へ戻れば山に登れる、と分かり急いで出発する。

 

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岡田港で食べたべっこう丼。めっちゃ美味しい。岡田港から山頂口へ向かうバスはこの便が最終だったためか乗客は自分だけだった。運転手さんのすぐ後ろに座り、道中ずっと喋っていた。

山の中腹あたりで猿を見つけて、猿いる!と言うと野生のが結構いるんだよ、と平然と言う。そういえばバス停に「キョン捕獲について」という役場の通知が掲示されていたので調べると、鹿の一種が動物園から脱走したものが野生化して島に一万頭ほどいるらしい。島の人口より多い。なんでもありかよ…。

 

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山頂口に着き、火口を目指して歩く。45分かかる、とあったけど30分ちょっとで登れた。かなり風が強い。所々に噴火時の逃げ場となるシェルターがある。登り切ると、溶岩と草に覆われた大地が一望できる。日本じゃないみたいだ。三原神社にお参りしてから、さらに10分ほど歩いて火口の展望スポットへ。

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火口付近では煙が登っている地点もあった。ゴジラみたいな岩がある。チャリで来た強者もいるようだ。お鉢めぐりという火口を歩いて一周するコースもあったけれど、疲れてたのでパスした。日本で唯一「砂漠」と表記される「裏砂漠」はちょっと見たかった。

また30分ほどかけて山頂口へ戻る。お土産物屋でアイスを買って食べていると、店のおばさんにあんたどうやって帰るの、もうバスないよ?と心配される。スカイラインを歩いて元町へ向かいます、と答えると、それは大変だよ…と心配される。あと4,50分したら店閉めるから車載せてあげようか、と言ってくれた。せっかくの親切を断るのも気が引けたが、博物館のおじさんが徒歩でも1時間で降りてこれると言ってたので歩いて戻ることにした。この選択をすぐ後悔することになる…。

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山から元町へ降りる道は「御神火スカイライン」というらしい。先日の台風の影響で木がなぎ倒されており、車両は通行止になっていた。しかし歩いては通れる、無理をすれば。かなりの急勾配で20分くらいで足が攣りそうになる。おまけにスニーカーの底が破けたのか一歩ごとにパフッ、と幼児の靴みたいな哀れな音がする。街灯もないので、なんとか日没までに下山せねば、と必死に足を動かす。気分転換の観光目的で来たちょっと南の島で、俺は何故こんなに難儀な状況なんだ、と自問しながら歩く。結局1時間半くらいかかり、ボロボロで街へ降りてきた。

夕飯時だったので目の前にあったホルモン焼きの店に入ってビールを飲む。ラジカセから流れる上方落語を聴きながら肉を焼く。メニューに「盛若」という焼酎があるのを見つけた。昼間のバスの運転手さんが絶対に飲んでおけ、とオススメしてたやつだ、と嬉しくなって注文してみる。めっちゃ美味しい。焼酎は全然詳しくないけれど、これは相当美味い部類のやつな気がする。ラベルには神津島酒造とあり、神津島といえば「天気の子」のすぐ銃撃つ主人公の出身地だと思い出す。

宿に帰る途中、すぐ後ろを歩いていた酔っぱらいが大声で猥談をしていたのに突然「うわ星めっちゃ綺麗だ!」と叫ぶので見上げると雲の隙間から星空が見えた。虹とか星空とか、こういう突然遭遇してちょっと得した気分になる風景っていいなと思う。高速道路を運転していたら通りすがりの街で花火が上がるのが見えたとか、朝方に目的地へ着く飛行機の機内で朝日が見ることができた、みたいなやつ。

 

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翌朝は晴れていた。自分が泊まった元町ではなく岡田港から船が出るとのことで、バスを逃したのでタクシーで移動する。この運転手のおじさんが博識で、喋っていて楽しかった。自分が新潟から来たというと、大島は佐渡の9分の1、淡路島の6分の1くらいの大きさでねえという面積の話に始まり、ここにきて大島情報がどんどん入ってくる。本土からの運搬の都合でガソリンは180円、乗ったタクシーはハイオクのため190円もするらしい。島の車は全部品川ナンバー。大島には一部東北の出身者がいる、なぜなら昔は冬場東北で仕事がない時期、島に来て木を焼き炭を作る仕事に来る人たちがいて、その人々が住み着いた結果だという。元町港と岡田港の出帆港の変わり方もこの人が教えてくれた。「外国人のお客さんにこれを説明するのは面倒でしてね、まあsafer portを使うって言っとく。以前はpeaseful portって言ってたけどそれじゃ幼稚だと言われましてね」と笑っていた。

 

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ジェットフォイルに乗り、昼前に熱海に着く。ここから友人と合流して伊豆半島を旅行したり、東京近郊を数日ふらふらと彷徨ってから帰宅した。車があると交通機関の時間に縛られずに自分のペースで旅行できるので良い。最近は大して目的もなく適当な旅行をすることが自分の中で救いになっているので、気軽に行けるようにもっと時間とお金の余裕が欲しいと思う。気ままに知らない土地へ行って、何をするでもなくのんびりと過ごしたい。それなら近場の適当な温泉でも良い気がしないでもない。でも本当に心を休めるには、忙しない日常を送っている自分が住む街から物理的に遠い距離を移動する、ということが案外重要な気がする。自分にとっての旅行は日常からの逃避だ。いつも遠くへ行きたい。

  

香港旅行記②

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香港旅行の続き。

 

◯ 2日目夜

ついに夜の廟街へ繰り出すぞ!と元気よく外に出ようとしたら雨が降ってきた。仕方なく適当な近くの飲み屋に入ってハイネケンを飲んでいたらすぐ止んだので、徒歩で移動する。

 

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夜の廟街はとても良かった。活気があって、通りに人の熱が満ちていた。雑多な品物が並ぶ屋台は見ていて飽きず、面白い。しかし、3ブロックほど屋台を見物しながら通り抜けると閑散とした普通の路地に出る。あれ?終わり?と思って今度は違う路地から入ってみると、今度は2ブロック分くらいで屋台が途切れた。深夜特急だと屋台が延々と立ち並んでいる描写だったんだけれど。70年代と比べたら街の範囲が狭くなったのかもしれない。自分の目で確かめてやろう、と歩き回って簡単に調べた。

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香港の中心地、尖沙咀の北側にある佐敦という場所に廟街はある。洗練されたオフィスビルが並ぶ尖沙咀の海沿いや九龍駅周辺とは違い、窓に洗濯物がぶら下がってるアパートが立ち並ぶような下町的な雰囲気。その通りが歩行者天国のようになっていて、夜になると簡易的な屋台が建ち並ぶ。それも、青い線で括った数ブロックの範囲である。少し範囲がズレている所もあるけど。観光客を相手にしている店もあるんだろうが、普通の食堂や野菜や果物を売る店も多くて、なんだか商店街的な庶民的の街、という感じだった。

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入った店でビールと炒飯っぽい料理を頼むと、店員が何事か言ってくる。全く分からなかったので適当にイエスエスと言ってるとまずポットに入ったお茶が出てきた。これが飲茶ってやつなのか?ポットの蓋を開けておくと無限に継ぎ足してくれるやつか?と深夜特急しか香港の知識がない自分は思ったがよく分からない。ほうじ茶みたいな味がした。

 

◯ 3日目

前日に廟街を満喫したので特に思い残すこともなく、なんか満足してしまったのでぐだぐだすることにした。日帰りでマカオに行ってみようかとも考えたがやめた。正直疲れていた。やはりひとり旅なので少し気を張っていたのだろうか。10時に宿を出て、近くにある歴史博物館へ行った。

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全部で8部に分かれている展示のうち、第7部が日本占領下の香港の歴史だったので一番見ごたえがあった。10ドルで日本語の解説音声が聞けたのでレンタルする。携帯電話のような機械で、耳にかざして聞きながら展示を見る。

 

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近くのチェーン店で朝昼兼用のご飯を食べたけれど、この不味そうなお粥がかなり美味しかった。ここでもオクトパスカードで会計できた。どんだけ便利なんだこのカード。街には何箇所か国旗が掲げてあったけれど、観た限り全て中国の国旗が中心で一番上、次に香港の旗が来る。少し前に雨傘革命についての映画を観たこともあって、香港という特殊な地域の立ち位置が表れているように思えた。

荷物が邪魔だったのでさっさとチェックインすることにした。googleマップで場所を探すと何故かチョンキンマンションを指す。昨日エクスペディアで予約した時は違う路地のビルを指していたのに。よくよく調べると、前日の地図がバグっていたのか、今晩の宿はチョンキンマンションの4階にあるらしかった。まあそれも面白いからいいか、と一昨日ぶりにビルへ行った。

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受付に着いてやたらテンションの高いゴツい黒人にフォローミー!と言われるのでついていくと、まあまあ綺麗な部屋で安心する。一人部屋とは思えないほど安いんだけれど。ヤマハがどうとかアジノモトがどうとか、エレベーターを待つ間に黒人のお兄さんは知ってる日本語を並べ立てくる。適当に返事をしながらなんか前読んだブログでもこんなこと書いあったなと思い出す。昼寝をして、夕方から飲みに出ることにした。

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バンコクのカオサンロードと同じくバックパッカーの間で有名であろうネイザンロードは、尖沙咀の中心を走る幹線道路だった。路地というより大通りである。思っていたのと違って少し意外。他にも通り名が書かれた看板をたくさん見つけたが、なんとなく元からの中国語の地名に英語の読みを当てたものと、イギリス統治時代に英語の地名ができたところに後から中国語を当てたっぽいものがあるなと思った。

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最後の夜は繁華街で飲み、夜景を見るためだけにまたスターフェリーに乗った。毎晩8時からのライトアップも船の上から観れた。フェイスブックが協賛してるっぽい。宿に帰ってぐっすり寝た。翌朝高速鉄道で空港へ行き、余った香港ドルでいくつかお土産を買い無事に帰国した。思ったよりお金を使わずに楽しく旅行できたので、気分転換くらいの軽い気持ちでまたふらっと行きたい。

 

香港旅行記①

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ひとりで香港をぶらついた旅の記録。

雑な旅行だったけれど、結構楽しめたので文章を書く。

昨年、ブックオフの100円コーナーでたまたま手に取った沢木耕太郎の『深夜特急』シリーズに魅せられた自分は、1巻で沢木が訪れた香港の廟街を観たいと思った。世間ではGWは10連休、と盛り上がっていたが職場は全然そんなことはなかったので、3連休に1日有給をつなげて4日間で行くことにした。ひとりの旅行は気軽でいい。しかし自分は計画を立てるのが極めて苦手な人間なため、飛行機のチケットを取った以外はまたしてもほぼノープランだった。よって廟街に行くこと、あとスターフェリーに乗って香港島を散策したいな、くらいの漠然とした予定しか立てていない。1泊目の宿だけ出発前日に予約した。日程は4月26日〜29日、の3泊4日。

 

◯ 1日目

成田空港で搭乗のチェックインを済ませたあたりで、wi-fiルーターを持っていないとまずいのでは?と気付く。その場で検索し、見積もりを取ると4日間で6,000円程度だった。特定のサイトから予約サイトへ飛ぶと数%割引になる。地図すら買ってないし、Googleマップが使えないと色々上手くないだろう。その場で申し込みをして受け取りカウンターで一式貰う。充電器の変換プラグも手に入った。少し荷物が増える。

 

飛行機に乗ると自分の座席には既に30歳くらいの男が座ってスマホでアニメを観ている。香港の人かもしれない、と思い、この席はあなたの席ですか、的なことを英語で尋ねるとイエスエスと言われる。多分この人間違えてるけどまあいいか、と男の2つ隣の窓際の席に座る。しばらくすると男が申し訳なさそうにあー、すいません僕が窓側と通路側間違えてました…と日本語で言ってきた。普通に日本人だった。荷物が面倒なんでこのままでいっか、となって窓際の席で景色を見れてよかった。

旅先で読む本として『深夜特急』の香港・マカオ編である第1巻と、チャック・パラニュークの『ファイトクラブ』を持っていった。何故ファイトクラブなのか。この4月は仕事が尋常でなく忙しく、月の残業時間が100時間を超えると"上"からの指示で残業代を付けられなくなる、というバグを発見することとなった。帰宅は毎日23時、日付が変わることもしょっちゅうで土曜も出勤、食事は昼しかまともなものを食べていない、そんな滅茶苦茶な状況で自分を救ってくれたのが、絶望感で溺れそうなある日曜に観た映画『トレインスポッティング』と『ファイトクラブ』だった。どちらも何度も観ている大好きな映画だけれど、この精神的に参っている時期に観たのは正解だった。鬱には犯罪と暴力とドラッグにまみれた映画が効く。適当に仕事を終わらせ(完成はしていないが)荷造りをしている時に、本棚の脇に『ファイトクラブ』の原作小説があるのを見つけた。前に文庫本をまとめ買いしてから積ん読状態の山で忘れていたものだった。とりあえず鞄に入れ、旅の移動中はほとんどこれを読んでいた。本当に面白い。

その他行きの機内ではスパイダーバースを観た。ペニーパーカーちゃん可愛い。あとトイレにあった赤いボタンに「召喚  空中服務員」と書いてあるのを見てなんか笑ってしまった。中国語だとこういう表記になるのか。

 

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5時間のフライトで香港に到着。時差で1時間戻っている。とりあえず少しだけ円を香港ドルに両替する。

 


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エアポートエクスプレスで中心地へ。安いので往復券を買った。確か30日以内なら復路もこれが使える。

出発直前にネットで「オクトパスカード」なるものを買うといいぞ、との記事を読んだので九龍駅構内で買う。右のやつ。この旅行で一番感動したのは香港の交通の便利の良さなんだけれど、このカードさえあれば地下鉄もバスもスターフェリーもトラム(路面電車)も全て乗れてしまう。すごい。suicaみたいにチャージして使う。残額はチャージ機の横の機械にかざすとすぐ見れるし、カウンターに行けば残額は返金される。とにかく楽で良い。

とりあえず中心地をぶらぶらと歩く。かなり暑い。この日の気温は29度だった。荷物もあるので汗をかきながら歩いた。繁華街は飲食店やコンビニ、薬屋などが密集している。街には電線がない。ビルの建設現場の足場が全部竹なのが面白い。

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チョンキンマンションに着く。両替のレートが良いと聞いたので。この時は最終的にここへ泊まることになるとは思ってなかった。客引きのアラブ人に声を掛けられるのをかわしながら奥のレートが良い両替所を使った。

せっかく有名なビルに来たんだし探検しよう、と1,2階を歩き回る。一階は半分くらいが換金所で、あとは飲食店とか時計や携帯周辺機器を売ってる店など。アラブ人とインド人っぽい人が多い。

腹が減っていたのでカレー屋に入ろうと迷っていたらインド人ぽい店員に話しかけられる。メニューの写真と値段を見てまともそうだったので適当に入った。店員に日本人かと聞かれるのでイエスと言うと自分は昔鹿児島で暮らしていたことがある、と言う。じゃあ日本語通じるかな、と話してみると「うん?」みたいな顔をされる。結局カタコトの英語で少し喋った。なんで香港まで来てインド人と鹿児島の話をしているんだ…。カレーは美味かった。


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その後は街を歩き回り、沢木耕太郎が地図を貰うだけに入るペニンシュラホテルを見つけた。一番目立つ交差点にあるので絶対見つかるのだが。ちなみにとなりは百貨店のそごうだった。博物館的な建物に入ってプラネタリウムを観た。めっちゃ良く寝れた。

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繁華街である尖沙咀の先端に来たので、香港島を眺めながらしばらくぼーっとしていた。スターフェリーが行ったり来たりしている。かなりでかい客船も浮かんでいた。昨日まで働いていたと思うと、随分と遠くまで来たものだ。これから3晩も時間がある。何をしようか。とりあえず廟街に行ってみよう、今晩の宿も廟街に近いし、とバスに乗って移動する。

 

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廟街に辿り着く。観て回る前にまずチェックインを済ませたかったので、泊まる宿を探すとなかなか見つからない。ようやく見つけると、廟街の本当にど真ん中だった。1階はセブンイレブン。我ながらいい場所に宿を取った、と思いながらシャワー浴びてちょっと横になったらいつの間にか朝になっていた。そんな事ってあるのか…。

 

◯2日目

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廟街の夜の散策を割と楽しみにしていたのに、宿から一歩も出ずに終わるなんて…と呆然としながら目覚めたけれど、朝の閑散とした廟街も良かった。路上の屋台は朝には骨組みだけに解体されるようだ。スイカレストラン、みたいな名前のチェーン店で朝食セットを頼むとマカロニみたいな太い麺とソーセージとミルクティーが出てきた。

 

やや疲れていたので、10時近くまで部屋でゴロゴロした後に香港島へ向かうことにした。

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まず星光花園という場所へ行くと、ブルース・リーの像があった。観光客っぽい白人に写真を撮ってくれ、と言われ、はい、チーズは通じないよな、と思ったのでスリー、ツー、ワンとカウントして撮る。Have a wonderful day!的な事を言われたのでそのまま返す。この通り自分は英語はまるで喋れないのだけれど、道の標識の中国語は漢字みたいなものなので大体理解できるし、カタコトの英語で道を聞けばどの人も丁寧に教えてくれるので割となんとかなった。ひとりの海外旅行でも全然不自由しないな、と思えたのは大きな収穫だった。まあヨーロッパとかならそうもいかないだろうけど。香港は海外初心者にとってハードルが低い。

 

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スターフェリーで香港島に渡り、海事博物館を少し観た後にバスでヴィクトリア・ピークへ。隣の席に観光で来ているらしい日本人のおばあさんが座ったので道中喋った。前回香港に来たのは1980年頃だった、その時代はまだここまでビルは凄くなかったし、空港も今と違う場所にあったんですよと言う。ヴィクトリア・ピークは景色を見に行ったんだけれど、曇り空だったため特に感動はない。バスは片道40分ほどかけて500メートルくらい山を登る。アジア全般に言えることだが運転がやや荒く、スターフェリーより揺れた。


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その後は香港島の中心部を散策した。動く歩道に乗るなど。

 


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スターフェリーに乗って尖沙咀へ戻り、今晩の宿を探そうとしたらgoogleマップが繋がらない。ポケットwi-fiの充電が切れたのだった。まずいぞ、と思ったがこれも旅の一興ということで適当に探すことにした。時間もたっぷりあるし。しかしこれがなかなか大変で、2時間くらいぐるぐる同じ路地を歩くことになった。スクショしてあった予約ページにはビルの名前と5Floorにある、と書いてある。これかな、と思うビルを見つけても、宿の名前が見当たらない。警備員のおっちゃんやその辺で煙草を吸っているおばさんに何度も聞いて、ようやく辿り着いた。受付の若い男に、この場所を探し出すのは私にとってとても難しかった、と伝えると、笑いながらそんなはずはない、何故なら香港はとても狭い街なのだから、と言われた。

物語を創るという物語

 

映像研には手を出すな!(1) (ビッグコミックス)

映像研には手を出すな!(1) (ビッグコミックス)

 

「映像研には手を出すな!」を3巻まで読んだ感想。

虚構の物語を創り出す制作の現場は、どうしようもなく現実だ。様々な問題が起こり、必要な条件も多い。時間、お金、労力、そしてそれらを注ぎ込む情熱。ありったけのエネルギーを注ぎ込んだ傑作の裏には、作った人間のドラマがある。そんな舞台裏の現実を徹底的に描くという「創作をする現場を描く」物語の構造。「バックステージもの」という呼び方があるのかわからないけれど、映画「カメラを止めるな!」はまさにこれだったと思う。もちろんゾンビ映画を撮っている「舞台裏の現場」もフィクションであり、そこが本編という二重の構造なんだけれど、エンドロールの本編のオフショットが「『カメラを止めるな!』を撮っているスタッフたちの現実」という三重の構造であることに昨日金ローで観てようやく気付いた。

 

さて「映像研」、前から読みたいと思いつつようやく読めた。素晴らしかった。

 舞台は高校、主人公たちは入学直後の1年生。小学生の頃からアニメを作りたくて設定画を描いてきた浅草と相棒の金森が、アニメーターになりたくて人物画を描いている水崎と出会い、銭湯のコインランドリーで初めて合作をする。2人の絵を光に透かして、「アニメっぽい」画が出来上がる。ここが出発点となり、「映像研」がスタートする。

浅草みどりの「私の考えた最強の世界。それを描くために私は絵を描いているので、設定が命なんです。」という台詞に表れているように、設定の鬼である浅草は目にした面白いもの全てを自分の中でイメージを膨らませ、最強の世界を創り上げる。最初に見開きで出てくる設定絵「凡庸有人飛行ポッドカイリー号」に乗って、3人は作中で空を飛び、「最強の世界」を見る。ここまでが第1話。テンポが良すぎる。この後3人は部室や顧問の確保、予算の調達といった部活を立ち上げる際のリアルな問題を乗り越え、映像制作にのめり込んでいく。

監督兼設定、演出、背景作画担当の浅草と、作画全般担当の水崎を、プロデューサー的立ち位置の金森が仕切ることで制作は進行する。全員がアイデアマンというのも強い。あと3人ともキャラが強烈なため、部室でワイワイやっているやりとりだけで十分楽しいんだけれど、次々と事件は起こる。

 1巻の最後、予算審議委員会で生徒会に詰められ押し問答の末、浅草氏の「細工は流々!仕上げを御覧しろ!だろ!」という絶叫で押し切って上映するシーンが熱い。ストーリーなしのハッタリでも、作品のクオリティーで相手を黙らせる。痛快。圧倒される聴衆を尻目に壇上で反省会を始める3人。そして最後の台詞、「なんだか知らんが、面白くなってきやがった。」ワクワクさせられる終わり方。

立体的な吹き出しや、「一コマの中で奥にピントが合っているとき、手前の人物や会話をぼかして奥行きを出す」という自由な(まさに映像チックな)アイデアが詰め込まれているのも凄い。「巻末のふろく」には部室の俯瞰図、2巻以降は本の帯にまで設定と解説が載せてあるのが最高。これは作者の言葉として載っている感があるので、三重の構造と言えるかもしれない。

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作画のこだわりを語るシーンでの水崎の台詞「私はチェーンソーの刃が跳ねる様子を観たいし、そのこだわりで私は生き延びる。」「大半の人が細部を見なくても、私は私を救わなくちゃいけないんだ。」は至言だと思う。誰のために作っているかといったら自分のためだし、結局は自分を救うために創作をする。承認欲求とか自己顕示欲なんて言葉や御託を並べるまでもなく、「作りたいから作る」を自然体でずっとやり続けている姿はかっこいい。

こんな名言のオンパレードなんだけど、3巻の経営の話題で金森が言われる「お金を稼ぐためには、お金が必要なんだよ。」とか刺さる。しかし「ツイッターは遊びじゃねえんだよ‼︎」と「ロボアニメ業界ってのは半分が敵で、もう半分は将来の敵なのだ!手間を惜しめばロボット警察にすぐバレる‼︎」って台詞はめちゃ笑った。あと舞台は一応公立高校なんだけれど、図書館の運営を民間委託してたり、バリアフリー部やロボ研、録音部と独自すぎる部活があったり、校風が自由すぎて絶対に楽しい。でも大学って割とこんな感じだったなと思い出す。

 

「映像研」で漫画という媒体の特性が一番上手く使っていると思うのが、「登場人物の想像するイメージの世界が、想像しながらにコマに描かれる」という点。どういうことかというと、飛行ポッドのアイデアを閃いた浅草がそのディテールを語りながらその場でポッドを組み上げて、ギミックをどんどん付け足し、3人で乗り込んで飛び立ってしまう。飛びながら周囲の設定も加速して背景として描かれ、操縦で障害物を避け最後には空高くから遠くの景色を見る。作中の実際は銭湯で浅草が妄想しているだけなんだろうけれど、漫画とは便利なもので、人物のイメージの膨らみをノータイムでそのコマに描いてしまう(背景に描くとかじゃなく、話の流れを無視してすでに妄想の世界にいることにする)ことで、凄い説得力を獲得している。この手法で3人が思いついたアイデアを共有して、汚い部室小屋と妄想の世界を自在に行き来することで、テンポよく物語は進行していく。例えばこれが小説だったら、「浅草みどりは目を閉じて想像する。4枚の羽で飛ぶ飛行ポッド。動力は超効率リニアモーターで、羽にソーラーパネルをつける。構造上軽いものじゃないといけないだろう。乗員は2~3名。キャノピーはヘルメットのバイザーのように開くのがいい。支羽はそれぞれバラバラに動くようにしよう。他の2人を乗せて、空へ飛び立つ。用水路をくぐり抜け、高度を上げて上空へ飛び出すと、はるか彼方の地平が見える。『これが私たちの考えた、最強の世界だ。』」…って感じになるんだろう。長い。映像研は漫画で、これを数コマと見開きのイメージボードで片付けてしまう。誰かの妄想の話なんて、文章で書かれたら読んだ人の数だけ様々なイメージが出てくることだろう。初めから絵で示される方がはるかに効率よくディテールが伝わる。なんか漫画と小説というメディアの違いの話になってきた...。

いまふと浮かんだけれど、子供の頃読んだ「エルマーの冒険」や「ゲド戦記」のような本の冒頭に、舞台となる世界の地図や絵が載っているのを眺めるのが好きだった。映像研の作中に出てくる設定図にワクワクさせられるのは、「この絵の中にこれから始まる物語が詰め込まれている」と直感的に感じさせる、同じような興奮なのかもしれない。

 4巻が5月に出るそうなので楽しみ。

 

語りの場

用事があって東京へ行く度に、友達と新橋や新宿で朝まで飲むのがお決まりになってきており、本当に楽しい。昨晩もそうだった。朝方、4軒目を出て新宿駅前で解散し、飲み会終わりの少しの寂しさを感じながら銭湯へ行き、サウナに入り少し寝た後に上野をぶらついて帰ってきた。

大人数でのガヤガヤした飲み会もたまにはいいんだけれど、やっぱり自分は3、4人でしっぽりと、一つの話題を延々と話したり、ひたすら好きなものを語る飲み会が好きだ。昨晩も三次会以降はそのモードでの飲み方だったので良かった。まあ何の話題を話したかといえば大して覚えてなかったりするのだけれど。誰かが好きなものについて熱っぽく語っているのを聞くのは楽しいし、同じ作品を見ていても、それぞれで受け取り方が違って、その解釈の違いを語り合っていく過程で、その自分と違う見方、考え方を理解した時に違う景色が見えるあの感じがとてもいい。ある一人がよくわからない独自の概念みたいなものを提唱し始め、みんなで質問を重ねて説明を聞いていくうちに、ある点で急にストンと腑に落ちて「ああー!」と共感した時のあの感じ。そしてその後の会話でその概念をやたら使いたがる一連の流れ。

恩田陸が「残滓と予感の世代」という文章の中で、男子の話は常に細部へと向かっていくものであるのに対し、女子の話は結局「自分の感じていること」がメインであり、最後までそこから踏み出すことはない。男の子の話は、物事のディテールを語っているうちに、そのディテールに捕らわれて狭いところへ入り込んでいってしまう、と書いていて、自分はここで言っている典型的な男の子の話し方なんだろうなと思い当たってしまった。あのアニメの何話のこういうシーンあるじゃないですか、ここでのヒロインのこのセリフって最初見たときこういう意図だと思ったんですけど実はこういう伏線になっていたんですね最近見直してやっと気付きました、同じ原作者のこのアニメのあの話の中で...あれ、今なんの話題でしたっけ...?細部に凝って脱線し、そして大して言いたいこともないので落とし所もないただただシーンの回想をしてそこ好き...みたいな話しかできない。考察を言葉として喋れる人って素直にすごいと思う。自分のように喋りがあまり上手くない人間にとって、語りたいことを人に伝える手段としては、こうして文章を書くというのは一番手っ取り早い手段のように感じる。いや、手っ取り早くはないか。まあまあ時間も労力もかかる。でもメリットもあって、誰かに言葉として伝えることでは会話ではそれで終わりだけれど、文章として書き出せば形として残り、後から読み直すことができる。そもそもこのブログも自分の中での忘備録として始めたものだし、文章を書いた方が頭の中が整理される感じがあるのでその場としてやっている。それでも、面と向かった会話の流れ、やりとりの中でしか出てこない言葉、というのも確かにあるわけで、さっき書いた概念の件がまさにそれの気がする。とにかく好きな人と好きな話題で心ゆくまで喋るのは楽しい。

でもオールナイトで集まってワイワイ喋れる場ってなかなか限られる。二十代半ばの皆さんは忙しく、集まるとしたら大抵が週末の夜で、誰かの家にでも集まれない限りは飲み屋で過ごすことになり、必然的に酒を飲むしかない訳で、延々とアルコールを入れながらしゃべり続けるのはいいんだけどそこまで飲まなくてもいい気分の時もあるわけで、アルコールなしで朝まで過ごせる場所が欲しい。駅前に朝までガヤガヤできる居心地のいい場所が欲しい。需要あると思う。

 

○追記

昨晩の四次会あたりで百合漫画の話になった時、頭で考えたけれどうまく話せなかった話として、人と人の関係性とかは言葉にして説明することはできるけれど、人が誰かに対して抱く感情は言葉として還元するのがとても難しいよね、という話があるので誰かといま語りたい。名前がついていない感情ってまだ様々あると思うし、大抵が混ざり合って現れてくることが多いと思うので説明が難しい、という話。「純粋に嬉しい」とは時々いうけれど、例えば何か失敗をした時にいう「悲しい」って、往々にして「自分への失望」「期待に応えられなかったことへの申し訳なさ」あたりが混ざった感情だったりする訳で、その辺りを漫画なら表情の微妙な描き方、小説なら文章による状況の説明、なんかで表現しているといったところでしょうか。誰かこのあたり文章にしてないかな。

 

 

 

出発の年齢

 

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

 

一体どれほどの人を放浪の旅へ誘ったかわからない、傑作旅行記深夜特急』。バックパッカーたちのバイブルである。沢木耕太郎が2万キロ以上に及ぶ壮大な旅に出たのが1970年代前半のこと。

当時携帯電話はもちろん無く、ミャンマーはまだビルマと呼ばれている。最初に訪れた香港はまだイギリスの領土であり、放浪する人々はトラベラーズチェックを使っているような時代だ。インドのデリーからロンドンまで乗り合いバスで行く。これは目的というより手段の話のように思える。友人と賭けをしたから、以上の大した理由もない。「真剣に酔狂なことをやる」という面白さ。あと単純に文章が上手くて、風景描写や街の人との会話や出来事が目に浮かぶようだ。

自分が海外旅行をする度に旅行記を書いているのは、きっとこの本が頭にあるからだと思う。


僕が一番気に入っているのは単行本版の1巻である。沢木が香港の廟街を訪れたときのあの描写、旅の醍醐味の全てが凝縮されている。あれほどに熱気と興奮を伝える文章にはなかなか出会えない。人の賑わいが作る見渡す限りの喧騒。「体の芯まで熱くなる」感覚を味わいたくて、この街を見るまでは死ねないな、と思っている。僕には8歳年上の従兄弟がおり、彼はいくつもの旅行代理店業界を渡り歩き自身もアジアの観光地はほぼ制覇している旅行フリークだ。少し前にベトナム料理屋でこのシリーズについて語りまくった結果、やっぱり1巻が最高、と意見が一致した。

1巻を読んで一番感銘を受けたのはなんといっても廟街のシーンなんだけれど、もう一つは沢木が心の底から自由を実感する、旅に出て間もない香港の朝の場面だ。

周囲に誰も自分のことを知る者がおらず、何かしなくてはならない予定など何もない。どこに行っても、何をしてもいい。怖いほどの自由に身震いする。こんな体験をしてみたい。

僕も何度か海外旅行に出たことはあるけれど、あくまで「旅行」であり、放浪とは程遠い。どこに何泊、ときっちり予定を組み、それに縛られているただのミーハーな観光である。時間も仕事も家族も気にせず、するのはお金の心配程度、期限も行き先も決めてない、そんな旅に出てみたい。…いや、多分一週間程度で根を上げて帰ってくると思う。自由すぎる怖さに精神をやられてしまう。


この旅行記が新聞連載を経て本として出版されたのが1986年。旅行を終え、帰国してから10年以上経ってからここまで詳細な風景や会話まで記録された文章を書けるなんて、沢木氏は映像記憶でもできるのだろうか。沢木耕太郎の著書「246」には深夜特急第一便の出版について書かれている。流石本職がライターなだけあって道中で多くのメモを取っていたようだし、旅先から手紙もかなり送っていたようだ。1986年には『深夜特急』の「第一便」と「第二便」が出版されるが、最初に連載していた新聞には1年間の期限があったため、イランのイスファハンで一区切りすることになり、その時点までの文章をまとめたものらしい。

タイトルを決めるにあたり、トルコの刑務所の受刑者の隠語「ミッドナイト・エクスプレス」=「脱獄」を採用した話も載っているが、直訳すれば「深夜急行」であることを気にしている。

 

ようやく本題。シリーズ最高傑作である『深夜特急』第1巻、香港・マカオ編のあとがきに「出発の年齢」という対談が収録されている。話者は沢木耕太郎と『香港世界』を書いた山口文憲。ここで沢木は「旅に出るには26歳が最も適している」という持論を展開する。

本編第2巻でも、乗り合いタクシーに揺られシンガポールに辿り着いた沢木がベッドに横になりながら、初めて身の上話というか出発前夜の自身の回想をするのだが、ここではフリーライター時代に出会った「最も鮮烈な個性を持った人」に「旅に出るなら26歳だ」と言われた、とある。そして第3巻のあとがきでようやく、それが黒田征太郎というイラストレーターの言葉だったとわかる。最も、26歳に黒田氏がアメリカに渡った、というだけの何の根拠もない話である。

沢木と山口は同じ年の生まれで、二人とも26歳で旅に出ている。山口文憲は26という年齢を「最後の自由のぎりぎりのいい見当」と語り、沢木も「世間知とか判断力がついていて、いろいろなことに対するリアクションができる」年齢だと言う。大学を出て、なにが面白いか、つまらないかを知り、異性のことを知る、などのプロセスが必要だと。確かに世間に無知な18歳とかがユーラシア大陸縦断しても、日本の社会との比較とか出来ないだろうし、単純にひとりで危険もある国を渡り歩くことなんてよっぽどじゃないと無理だろう。中東あたりでテロリストに拘束されそう。

対談では後半「ハワイはいいよね」みたいな話になり、最後に二人で26が旅に出る適齢期、と年齢の話題に回帰してオチにしている。

しかしこういった「根拠はないが、こうだ」と力強く言うだけで、実際に行動を起こした人たちの言葉であるが故になんだか説得力がある。26歳。先日25歳になってしまった自分にはもう来年。一度仕事に就いてしまった自分にはドロップアウトしてバックパッカーになる勇気はないけれど、ニュージーランド旅行中にしょっちゅう見かけた旅人たちは20代から50くらいの人まで様々だった。海外では高校を卒業してから暫く放浪して、大学に入り直し社会に出る人、ふと思い立って30くらいで仕事を辞めて放浪に出ちゃう人、などはいくらでもいるようだ。


最近、身近な26歳が海外で一年暮らしてみる、と言ってビザの手続きなどを進めてるのを見ながら、自分はこの先この地方都市で一生を終えるのか、となんとも言えない感情を抱えている。仕事、家族、世間体、結婚など面倒くさい問題はいくらでもあるけれど、それはあくまで「行かない理由」として一括りにして無視できるものだと思う。度胸さえあれば。その度胸が無いのと、特に手に職がある訳でもないので行かないのだけれど。

放浪の旅に出るとまでは言わないけれど、26歳を目前にして、少し生き方を変えてみようかな、と思い始めている。