国道8号線を走破する企画の続編。以前、始点である新潟市古町の本町交差点を確認したので、今回は終点の京都市下京区の烏丸五条交差点を訪れることを目的とした。ルートは新潟港からカーフェリーで敦賀港へ向かい、烏丸五条交差点を見た後8号線を使って京都→滋賀→福井→石川→富山→新潟と戻ってくる流れ。
ぐだぐだにならないよう、一応のルールを設けた。
・可能な限り国道8号線を使用する。しかし目的があって国道を外れるのはOK
・既に一度通った部分は省略できる(高速利用可)
・沿道にある道の駅になるべく寄る
◯ 1日目
16:30、曇り空の新潟港を出発。船は「らいらっく」だった。新潟から船に乗り込んでいた車のナンバーは群馬、福島、庄内など様々。船内は不気味なほど静かだ。早速歩き回って探検したが大したものはない。ソファーでゴロゴロする。
甲板に出てみるともうかなり暗い。この日の日の入り時刻は16:42だった。月明かりと遠ざかっていく街の灯りを眺める。学生の頃に新潟港から小樽港まで船で行ったことがあったけれど、その船と内観はあまり変わらないようだった。シアターがあり一日2本映画を上映している。大浴場が良かった。揺れるので波の出る温泉プールみたいだ。サウナまである。
船内を探検し風呂に入るともうすることもないので、自分のベッド(2段ベッドの下だった)でひたすら本を読んでいた。ジャック・ケルアックの「オン・ザ・ロード」。1940年代のアメリカ放浪記。訳者の巻末解説で「ビート・ジェネレーション」の語源や意味に詳しく触れており面白い。本文中のbeatは「くたびれた」という訳され方が多いが、「ビートな取引」のような使われ方(クスリを手に入れようと売人と取引したが家に帰って見たら砂糖だった、みたいなこと)や、「至福の」(ビーティフィック)のビート、さらにジャズのビートなど、様々な意味を内包しているらしい。いま辞書でbeat generaitionを引いたら「1950-60年ごろ米国社会に幻滅し脱社会的放浪生活を送った若者たち;cf.beatnik」とあった。
ケルアックは1947年から放浪に出て、1951年29歳の時、わずか20日で36mのペーパーに約17万5千字のこの文章を一気に書いた。しかし出版までに6年を要し、1957年に35歳でようやくこの本を出したらしい。深夜特急を読んだ時も思ったが、旅行記に言えることとして「実際に著者が旅行した時代と、出版された時代にタイムラグがある」問題がある。これについては言っても仕方がない部分はあるが。60年代のヒッピーがこれを読んで大陸を放浪したとき、果たして期待通りの旅ができたのか、いや目的はそこではないのか...と色々考えてしまう。読み物としてはかなり刺激的で面白かった。
◯ 2日目
5:30、福井県の敦賀港着。ここから琵琶湖の西側を南下して京都へ向かう。
琵琶湖の一番北側までは8号線を使ったが、そこからは国道161号線で湖畔を走った。朝焼けが見られていいドライブになった。途中、道の駅を2つ見つけたものの開店前だったので素通りする。1つはマキノ追坂峠という場所だった。
8号線と1号線が重複する部分を通る。あまりに混むため車で京都観光は無理、と聞いて覚悟していたけれどやはり朝のラッシュに巻き込まれてしまう。単純に交通量が多い。
8:30、なんとか駐車場に到着。車旅行のいいところは、多くの荷物を持ち運べること、泊まる場所がなければ車中泊もできることだ。財布と携帯だけ持って適当に京都を観光する。清水寺→二年坂→八坂神社→知恩院と歩ける範囲で見て回る。清水の舞台は工事中だった。今年の漢字を募集中。謎の表札が出ている家屋があった。中国人観光客がとても多い。
夕方、ゲストハウスにチェックインしてオーナーさんと喋る。この宿はもうすぐ7周年で、オープンした頃は京都市内にゲストハウスは20数戸しかなかったが、ここ数年で一気に増え、今では300くらいあるとのことだった。
ドミトリーで相部屋だったのは札幌から来た50代くらいのおじさんと、愛知に住んでいるという中国人のツアーガイドの方だった。おじさんは夕飯はにしんそば発祥の店に行く、と言ったのでさっきニシンそば食べました、と写真を見せると「ここだよ!」と嬉しそうにする。今調べたら発祥の店はどうやら違う店のようだったけれど偶然話題にできたので良かった。
夜は三条付近で適当に飲んだ。あと通りがかった青蓮院門跡でやってたライトアップを観るなど。
ゲストハウスのオーナーさんが経営している銭湯にタダで入らせてもらえるサービスがあったので参加する。フランス人の男性とアメリカのユタから来た女性、フィンランドから来た女性と自分の4人で行くことになった。フランス人はマーティンという名前で、ヒゲ面で大柄な優しい人だった。貸出用のシャンプーのボトルが彼に託されたので2人で並んで身体を洗い、サウナに入って片言の英語で話した。どのくらい日本に滞在するのか聞くと、もう来てから1週間になる、この先2週間滞在すると言う。どこを見てきたか聞くと広島のピースフルモニュメントとミヤジ…なんとかに行った、とのことで原爆ドームと宮島の厳島神社だねと理解する。あと大阪にも行ったらしい。職業を聞かれ、パブリックサーバント!パブリックオフィサー!と言ってみたが何故か伝わらず、あっ…ビジネスマンです…と適当になってしまった。彼はエンジニアだそうだ。3週間もまとまった休みが取れるなんて羨ましいがフランスではきっと当たり前なんだろう。風呂を出てからグーグルマップでフランスを表示し、ホームタウンはどこ?と聞いたらパリの北東にあるランスという街を拡大して示してくれた。シャンパンが有名らしい。
銭湯はとても良かった。昭和初期からやっているとのこと。帰り道で女性陣がエレクトリックバスが良かった!と興奮した様子で言ってて、暫く考えて電気風呂のことかと分かり笑った。
◯ 3日目
朝食がバイキング形式でめちゃ良い。素泊まり3,300円でこのサービスはすごい。というか素泊まりで宿泊してるのだから食べれない筈なのに、ご主人が「食べちゃってください」と言うので普通にお腹いっぱい食べた。自分は国道ファンであると同時に海外の硬貨収集もしているため、壁に貼られた紙幣や硬貨に興奮した。
徒歩で国道8号線の終点五条交差点へ。
片側4車線の十字路というお化け交差点だ。右折、左折用にもう一車線レーンがあるため横断歩道では9つの車線を横切る形となる。ここは8号線と1号線の重複区間のため、道路標識では1号線と表記されている。目印は時計台くらいか。8号の終わりを示すものはないか探し回ったが特に見つけられない。管理者は京都国道事務所になるようだ。
車に乗り、ついに本格的に本来の旅程がスタート。国道8号線をなぞりながら北上し、沿道を観察しながら新潟を目指す。しかし平日朝の国道はやはり交通量が多く、トラックやバスなどでかい車ばかりで走りづらい。非常に殺伐としていて怖い。やっぱ琵琶湖の湖畔をのんびり走りたいな...と早々にさざなみ街道(滋賀県道2号線)に切り替える。161号線もそうだけれど、琵琶湖周辺には湖面近くを走る道路が整備されており、かなり良いドライブになる。
安土城址。石段を登るのが面倒で入場はしなかった。
彦根城は天守まで登った。最大60度以上という急な階段が怖い。ひこにゃんさんがいた。
8号線の距離標。始点からの距離が表示されている。あと484キロかと考えると死にたくなるので考えない。
あと滋賀県の北部には「酢」とか「今」とか一文字の面白い地名がいくつかあった。
この日は夜まで走り続けて、福井駅近くのゲストハウスに泊まった。敦賀から福井市街地へ向かう途中の河野という道の駅で綺麗な夕焼けが見れた。敦賀港は山に囲まれた地形で、海の際を走る国道305号線は山と海の境目のような凄い崖道だった。マジックアワーにこの道を通れたのはラッキーだった。
宿ではドミトリーで相部屋になった船乗りの方と一緒に夕飯を食べながら喋った。数ヶ月海の上に出て働き、帰ってきては1,2ヶ月の休み、そしてまた海の上、という働き方らしい。数ヶ月まとめて働き、数ヶ月休暇がある、という極端な働き方は船乗りか自衛隊員くらいしかできないんだろうか。最近本格的に旅行をライフワークにしたいと考えているので、そういう生き方が選べる職業に興味がある。自営業なら可能なのか。それかノマドワーカーになってパソコン抱えて仕事しながら旅するか。自分としては旅行は完全な非日常であってほしいので、仕事の延長線上で旅行もするのはちょっと違う気がする。難しい。
◯ 4日目
朝は中心地を散歩した。福井駅は恐竜推しだった。この日は恐竜博物館に行きたかったが休館日だったので断念。今度リベンジしたい。福井県庁は福井城跡のお堀の中にある。新潟古町にもある焼き鳥の名店秋吉は実は福井発祥らしい。知らなかった。
宿の方におすすめされたので、海沿いにある越前町へ向かう。
街の中心部に織田(おた)という地区があり、織田信長の先祖はここの出身らしい。信長の像が立っており、近くには劔神社、その隣には織田文化歴史館があった。
国道365号線で越前海岸へ出る。途中に8番らーめんがあった。別に8号線の沿線だけに限って出店してるわけではないらしい。道の駅越前に寄ったり、カニミュージアムを見るなどする。
国道マニア憧れのポイント、305号線が直角に曲がり海に迫り出す地点を通過した。2018年7月の西日本豪雨で土砂崩れが発生したため、コの字型に海に橋を架ける形の迂回路が作られたもの。この箇所の事業費は4億円とのこと。自分では上手く写真を撮れず残念。以前から絶対行きたい地点だったので通れて感動した。
305号線をそのまま北上し、福井県坂井市にある観光名所、東尋坊に着く。結構賑わっていた。駐車場に入り料金を先払いするときにおじさんから「ちゃんと帰ってきてね〜」と声がけをされて笑った。投身自殺しそうだと思われたのだろうか。ブラタモリでやっていたのでこの岩は安山岩の柱状節理、と呼ぶことだけ知ってた。崖近くには自殺を思いとどまらせるための電話ボックスがある。東尋坊タワーは8号線沿いに時々見かけるドライブインのようないい寂れ感を出していて良かった。
東尋坊に着いた時点で車のメーターはちょうど400キロになった。この日はすでに50キロ以上走っていたけれど、ここからさらに8号線を延々と120キロ運転した。山道が多い。いい加減うんざりした頃、石川県を通過し富山県高岡市に着く。
この日泊まったゲストハウスはやや癖が強く、とても良いところだった。
着くと挨拶も早々にまあ座ってと言われ、ご主人が本格的な茶の湯の道具でお抹茶を出してくれる。外国人客にはとても喜ばれるそうだ。宿泊した部屋は昭和の間と呼ばれていて、昭和17年、大日本帝国時代の世界地図が飾ってあるレトロな部屋だった。文字は右から読む。スリランカはセイロン、ミャンマーはビルマ、パキスタンはベルチスタンと表記されている時代。イギリスの植民地がそこらじゅうにある。がっつり占領しちゃってるので韓国人の方はこの部屋泊められないかなと主人は言ってた。夜は路面電車を眺めつつ街を歩き、中華料理屋でビールと餃子とラーメンを食べ、銭湯をキメて満ち足りた気分になった。さらにビールを買い込み宿に戻り、他の宿泊客にいたトラックのドライバーさんから物流業界の話を、ご主人からはバイクで日本一周した時の話を聞いた。
◯ 5日目
雨が降っていたので観光する気にならず、のんびり帰ることにした。
富山の8号線は片側2車線の部分が結構あり、バイパス部分はとても走りやすい。滑川市あたりに PLANT-3があった。店名の後に着く番号は売り場面積の大きさを表すらしい。
一応国道8号線の旅だったということで、最後の昼食は8番らーめんの新庄店で締めた。味は普通。
魚津市の海沿いにある埋没林博物館だけ立ち寄った。2000年前のものもあるというスギの原生林跡。展示は大したことないんだけれど、でかいシアターで蜃気楼の原理についての詳しい解説が見れて良かった。
魚津より東はルールに則り高速を利用してすっ飛ばして帰ってきてしまった。なので、以前富山東部〜県境、親不知、糸魚川地域を旅行したときの写真を貼る。
カモンパーク新湊という道の駅には、名産であるシロエビが展示されている。そして自分のために作ってくれたのか?ってほどいい案内表示があった。ここから各都市への8号線を使った所要時間の一覧。
旧北陸街道の難所、親不知は結構見所があって面白い。8号線と高速のどちらからも入れる道の駅、親不知ピアパークには翡翠ふるさと館という展示スペースがあり、ヒスイ関係の展示のほかに最高のジオラマがある。この地点は海と山のわずかな隙間にJR北陸本線、国道8号線、高速の北陸道が3本並んで通っている。高速に至っては立体で8号線と交差し、完全に海に迫り出しているのだ!この手の構造物が好きなのは何マニアと呼ぶのかわからないが自分は大好きである。
ちなみに富山から新潟へ入って最初の地名は市振といって、ここにも小さな道の駅がある。2階の資料館に糸魚川ジオパーク関連の展示がある。この地域は地理の分野で結構有名で、糸魚川-静岡構造線で日本東西の分かれ目になっていたり、珍しい地層が見られたりと知るほどに面白い。フォッサマグナミュージアムは2回行った。2018年の秋には「宝石の国」展があり、各種鉱石の展示とその石に因んだキャラクターのパネルが並んでいて見応えがあった。
福井県内の道の駅では「道の駅カード」なるものが購入できた。1枚200円。スタンプラリーもやっていたけれど道沿いにない駅は行かなかったので制覇はできなかった。全然関係ない奥只見ダムカードはダム近くにある電力館でもらえる。付近に電源神社という面白い神社があった。
帰宅した時のメーター。車で移動した4日間の走行距離691.9km、船も含むと5日間で1,200kmほど移動したことになる。国道観察より普通に旅行に夢中になってしまったが多分正解だった。これから冬になり長距離ドライブはしなくなると思うけど丁度良いテーマを見つけてまたやりたい。あと最近友人のフォレスター(X-break搭載)に乗ったら超快適だったので頑張って新車を購入したい。なんちゃってジムニーにはロングドライブは無理がある。