状況が裂いた部屋

音楽と映画と生活

香港旅行記②

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香港旅行の続き。

 

◯ 2日目夜

ついに夜の廟街へ繰り出すぞ!と元気よく外に出ようとしたら雨が降ってきた。仕方なく適当な近くの飲み屋に入ってハイネケンを飲んでいたらすぐ止んだので、徒歩で移動する。

 

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夜の廟街はとても良かった。活気があって、通りに人の熱が満ちていた。雑多な品物が並ぶ屋台は見ていて飽きず、面白い。しかし、3ブロックほど屋台を見物しながら通り抜けると閑散とした普通の路地に出る。あれ?終わり?と思って今度は違う路地から入ってみると、今度は2ブロック分くらいで屋台が途切れた。深夜特急だと屋台が延々と立ち並んでいる描写だったんだけれど。70年代と比べたら街の範囲が狭くなったのかもしれない。自分の目で確かめてやろう、と歩き回って簡単に調べた。

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香港の中心地、尖沙咀の北側にある佐敦という場所に廟街はある。洗練されたオフィスビルが並ぶ尖沙咀の海沿いや九龍駅周辺とは違い、窓に洗濯物がぶら下がってるアパートが立ち並ぶような下町的な雰囲気。その通りが歩行者天国のようになっていて、夜になると簡易的な屋台が建ち並ぶ。それも、青い線で括った数ブロックの範囲である。少し範囲がズレている所もあるけど。観光客を相手にしている店もあるんだろうが、普通の食堂や野菜や果物を売る店も多くて、なんだか商店街的な庶民的の街、という感じだった。

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入った店でビールと炒飯っぽい料理を頼むと、店員が何事か言ってくる。全く分からなかったので適当にイエスエスと言ってるとまずポットに入ったお茶が出てきた。これが飲茶ってやつなのか?ポットの蓋を開けておくと無限に継ぎ足してくれるやつか?と深夜特急しか香港の知識がない自分は思ったがよく分からない。ほうじ茶みたいな味がした。

 

◯ 3日目

前日に廟街を満喫したので特に思い残すこともなく、なんか満足してしまったのでぐだぐだすることにした。日帰りでマカオに行ってみようかとも考えたがやめた。正直疲れていた。やはりひとり旅なので少し気を張っていたのだろうか。10時に宿を出て、近くにある歴史博物館へ行った。

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全部で8部に分かれている展示のうち、第7部が日本占領下の香港の歴史だったので一番見ごたえがあった。10ドルで日本語の解説音声が聞けたのでレンタルする。携帯電話のような機械で、耳にかざして聞きながら展示を見る。

 

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近くのチェーン店で朝昼兼用のご飯を食べたけれど、この不味そうなお粥がかなり美味しかった。ここでもオクトパスカードで会計できた。どんだけ便利なんだこのカード。街には何箇所か国旗が掲げてあったけれど、観た限り全て中国の国旗が中心で一番上、次に香港の旗が来る。少し前に雨傘革命についての映画を観たこともあって、香港という特殊な地域の立ち位置が表れているように思えた。

荷物が邪魔だったのでさっさとチェックインすることにした。googleマップで場所を探すと何故かチョンキンマンションを指す。昨日エクスペディアで予約した時は違う路地のビルを指していたのに。よくよく調べると、前日の地図がバグっていたのか、今晩の宿はチョンキンマンションの4階にあるらしかった。まあそれも面白いからいいか、と一昨日ぶりにビルへ行った。

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受付に着いてやたらテンションの高いゴツい黒人にフォローミー!と言われるのでついていくと、まあまあ綺麗な部屋で安心する。一人部屋とは思えないほど安いんだけれど。ヤマハがどうとかアジノモトがどうとか、エレベーターを待つ間に黒人のお兄さんは知ってる日本語を並べ立てくる。適当に返事をしながらなんか前読んだブログでもこんなこと書いあったなと思い出す。昼寝をして、夕方から飲みに出ることにした。

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バンコクのカオサンロードと同じくバックパッカーの間で有名であろうネイザンロードは、尖沙咀の中心を走る幹線道路だった。路地というより大通りである。思っていたのと違って少し意外。他にも通り名が書かれた看板をたくさん見つけたが、なんとなく元からの中国語の地名に英語の読みを当てたものと、イギリス統治時代に英語の地名ができたところに後から中国語を当てたっぽいものがあるなと思った。

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最後の夜は繁華街で飲み、夜景を見るためだけにまたスターフェリーに乗った。毎晩8時からのライトアップも船の上から観れた。フェイスブックが協賛してるっぽい。宿に帰ってぐっすり寝た。翌朝高速鉄道で空港へ行き、余った香港ドルでいくつかお土産を買い無事に帰国した。思ったよりお金を使わずに楽しく旅行できたので、気分転換くらいの軽い気持ちでまたふらっと行きたい。

 

香港旅行記①

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ひとりで香港をぶらついた旅の記録。

雑な旅行だったけれど、結構楽しめたので文章を書く。

昨年、ブックオフの100円コーナーでたまたま手に取った沢木耕太郎の『深夜特急』シリーズに魅せられた自分は、1巻で沢木が訪れた香港の廟街を観たいと思った。世間ではGWは10連休、と盛り上がっていたが職場は全然そんなことはなかったので、3連休に1日有休をつなげて4日間で行くことにした。ひとりの旅行は気軽でいい。しかし自分は計画を立てるのが極めて苦手な人間なため、飛行機のチケットを取った以外はまたしてもほぼノープランだった。よって廟街に行くこと、あとスターフェリーに乗って香港島を散策したいな、くらいの漠然とした予定しか立てていない。1日目の宿だけ出発前日に予約した。日程は4月26日〜29日、の3泊4日。

 

◯ 1日目

成田空港で搭乗のチェックインを済ましたあたりで、wi-fiルーターを持っていないとまずいのでは?と気付く。その場で検索し、見積もりを取ると4日間で6,000円程度だった。特定のサイトから予約サイトへ飛ぶと数%割引になる。地図すら買ってないし、Googleマップが使えないと色々上手くないだろう。その場で申し込みをして受け取りカウンターで一式貰う。充電器の変換プラグも手に入った。少し荷物が増える。

 

飛行機に乗ると自分の座席には既に30歳くらいの男が座ってスマホでアニメを観ている。香港の人かもしれない、と思い、この席はあなたの席ですか、的なことを英語で尋ねるとイエスエスと言われる。多分この人間違えてるけどまあいいか、と男の2つ隣の窓際の席に座る。しばらくすると男が申し訳なさそうにあー、すいません僕が窓側と通路側間違えてました…と日本語で言ってきた。普通に日本人だった。荷物が面倒なんでこのままでいっか、となって窓際の席で景色を見れてよかった。

旅先で読む本として『深夜特急』の香港・マカオ編である第1巻と、チャック・パラニュークの『ファイトクラブ』を持っていった。何故ファイトクラブなのか。この4月は仕事が尋常でなく忙しく、月の残業時間が100時間を超えると"上"からの指示で残業代を付けられなくなる、というバグを発見することとなった。帰宅は毎日23時、日付が変わることもしょっちゅうで土曜も出勤、食事は昼しかまともなものを食べていない、そんな滅茶苦茶な状況で自分を救ってくれたのが、絶望感で溺れそうなある日曜に観た映画『トレインスポッティング』と『ファイトクラブ』だった。どちらも何度も観ている大好きな映画だけれど、この精神的に参っている時期に観たのは正解だった。鬱には犯罪と暴力とドラッグにまみれた映画が効く。適当に仕事を終わらせ(完成はしていないが)荷造りをしている時に、本棚の脇に『ファイトクラブ』の原作小説があるのを見つけた。前に文庫本をまとめ買いしてから積ん読状態の山で忘れていたものだった。とりあえず鞄に入れ、旅の移動中はほとんどこれを読んでいた。本当に面白い。

その他行きの機内ではスパイダーバースを観た。ペニーパーカーちゃん可愛い。あとトイレにあった赤いボタンに「召喚  空中服務員」と書いてあるのを見てなんか笑ってしまった。中国語だとこういう表記になるのか。

 

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5時間のフライトで香港に到着。時差で1時間戻っている。とりあえず少しだけ円を香港ドルに両替する。

 


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エアポートエクスプレスで中心地へ。安いので往復券を買った。確か30日以内なら復路もこれが使える。

出発直前にネットで「オクトパスカード」なるものを買うといいぞ、との記事を読んだので九龍駅構内で買う。右のやつ。この旅行で一番感動したのは香港の交通の便利の良さなんだけれど、このカードさえあれば地下鉄もバスもスターフェリーもトラム(路面電車)も全て乗れてしまう。すごい。suicaみたいにチャージして使う。残額はチャージ機の横の機械にかざすとすぐ見れるし、カウンターに行けば残額は返金される。とにかく楽で良い。

とりあえず中心地をぶらぶらと歩く。かなり暑い。この日の気温は29度だった。荷物もあるので汗をかきながら歩いた。繁華街は飲食店やコンビニ、薬屋などが密集している。街には電線がない。ビルの建設現場の足場が全部竹なのが面白い。

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チョンキンマンションに着く。両替のレートが良いと聞いたので。この時は最終的にここへ泊まることになるとは思ってなかった。客引きのアラブ人に声を掛けられるのをかわしながら奥のレートが良い両替所を使った。

せっかく有名なビルに来たんだし探検しよう、と1,2階を歩き回る。一階は半分くらいが換金所で、あとは飲食店とか時計や携帯周辺機器を売ってる店など。アラブ人とインド人っぽい人が多い。

腹が減っていたのでカレー屋に入ろうと迷っていたらインド人ぽい店員に話しかけられる。メニューの写真と値段を見てまともそうだったので適当に入った。店員に日本人かと聞かれるのでイエスと言うと自分は昔鹿児島で暮らしていたことがある、と言う。じゃあ日本語通じるかな、と話してみると「うん?」みたいな顔をされる。結局カタコトの英語で少し喋った。なんで香港まで来てインド人と鹿児島の話をしているんだ…。カレーは美味かった。


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その後は街を歩き回り、沢木耕太郎が地図を貰うだけに入るペニンシュラホテルを見つけた。一番目立つ交差点にあるので絶対見つかるのだが。ちなみにとなりは百貨店のそごうだった。博物館的な建物に入ってプラネタリウムを観た。めっちゃ良く寝れた。

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繁華街である尖沙咀の先端に来たので、香港島を眺めながらしばらくぼーっとしていた。スターフェリーが行ったり来たりしている。かなりでかい客船も浮かんでいた。昨日まで働いていたと思うと、随分と遠くまで来たものだ。これから3晩も時間がある。何をしようか。とりあえず廟街に行ってみよう、今晩の宿も廟街に近いし、とバスに乗って移動する。

 

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廟街に辿り着く。観て回る前にまずチェックインを済ませたかったので、泊まる宿を探すとなかなか見つからない。ようやく見つけると、廟街の本当にど真ん中だった。1階はセブンイレブン。我ながらいい場所に宿を取った、と思いながらシャワー浴びてちょっと横になったらいつの間にか朝になっていた。そんな事ってあるのか…。

 

◯2日目

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廟街の夜の散策を割と楽しみにしていたのに、宿から一歩も出ずに終わるなんて…と呆然としながら目覚めたけれど、朝の閑散とした廟街も良かった。路上の屋台は朝には骨組みだけに解体されるようだ。スイカレストラン、みたいな名前のチェーン店で朝食セットを頼むとマカロニみたいな太い麺とソーセージとミルクティーが出てきた。

 

やや疲れていたので、10時近くまで部屋でゴロゴロした後に香港島へ向かうことにした。

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まず星光花園という場所へ行くと、ブルース・リーの像があった。観光客っぽい白人に写真を撮ってくれ、と言われ、はい、チーズは通じないよな、と思ったのでスリー、ツー、ワンとカウントして撮る。Have a wonderful day!的な事を言われたのでそのまま返す。この通り自分は英語はまるで喋れないのだけれど、道の標識の中国語は漢字みたいなものなので大体理解できるし、カタコトの英語で道を聞けばどの人も丁寧に教えてくれるので割となんとかなった。ひとりの海外旅行でも全然不自由しないな、と思えたのは大きな収穫だった。まあヨーロッパとかならそうもいかないだろうけど。香港は海外初心者にとってハードルが低い。

 

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スターフェリーで香港島に渡り、海事博物館を少し観た後にバスでヴィクトリア・ピークへ。隣の席に観光で来ているらしい日本人のおばあさんが座ったので道中喋った。前回香港に来たのは1980年頃だった、その時代はまだここまでビルは凄くなかったし、空港も今と違う場所にあったんですよと言う。ヴィクトリア・ピークは景色を見に行ったんだけれど、曇り空だったため特に感動はない。バスは片道40分ほどかけて500メートルくらい山を登る。アジア全般に言えることだが運転がやや荒く、スターフェリーより揺れた。


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その後は香港島の中心部を散策した。動く歩道に乗るなど。

 


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スターフェリーに乗って尖沙咀へ戻り、今晩の宿を探そうとしたらgoogleマップが繋がらない。ポケットwi-fiの充電が切れたのだった。まずいぞ、と思ったがこれも旅の一興ということで適当に探すことにした。時間もたっぷりあるし。しかしこれがなかなか大変で、2時間くらいぐるぐる同じ路地を歩くことになった。スクショしてあった予約ページにはビルの名前と5Floorにある、と書いてある。これかな、と思うビルを見つけても、宿の名前が見当たらない。警備員のおっちゃんやその辺で煙草を吸っているおばさんに何度も聞いて、ようやく辿り着いた。受付の若い男に、この場所を探し出すのは私にとってとても難しかった、と伝えると、笑いながらそんなはずはない、何故なら香港はとても狭い街なのだから、と言われた。

物語を創るという物語

 

映像研には手を出すな!(1) (ビッグコミックス)

映像研には手を出すな!(1) (ビッグコミックス)

 

「映像研には手を出すな!」を3巻まで読んだ感想。

虚構の物語を創り出す制作の現場は、どうしようもなく現実だ。様々な問題が起こり、必要な条件も多い。時間、お金、労力、そしてそれらを注ぎ込む情熱。ありったけのエネルギーを注ぎ込んだ傑作の裏には、作った人間のドラマがある。そんな舞台裏の現実を徹底的に描くという「創作をする現場を描く」物語の構造。「バックステージもの」という呼び方があるのかわからないけれど、映画「カメラを止めるな!」はまさにこれだったと思う。もちろんゾンビ映画を撮っている「舞台裏の現場」もフィクションであり、そこが本編という二重の構造なんだけれど、エンドロールの本編のオフショットが「『カメラを止めるな!』を撮っているスタッフたちの現実」という三重の構造であることに昨日金ローで観てようやく気付いた。

 

さて「映像研」、前から読みたいと思いつつようやく読めた。素晴らしかった。

 舞台は高校、主人公たちは入学直後の1年生。小学生の頃からアニメを作りたくて設定画を描いてきた浅草と相棒の金森が、アニメーターになりたくて人物画を描いている水崎と出会い、銭湯のコインランドリーで初めて合作をする。2人の絵を光に透かして、「アニメっぽい」画が出来上がる。ここが出発点となり、「映像研」がスタートする。

浅草みどりの「私の考えた最強の世界。それを描くために私は絵を描いているので、設定が命なんです。」という台詞に表れているように、設定の鬼である浅草は目にした面白いもの全てを自分の中でイメージを膨らませ、最強の世界を創り上げる。最初に見開きで出てくる設定絵「凡庸有人飛行ポッドカイリー号」に乗って、3人は作中で空を飛び、「最強の世界」を見る。ここまでが第1話。テンポが良すぎる。この後3人は部室や顧問の確保、予算の調達といった部活を立ち上げる際のリアルな問題を乗り越え、映像制作にのめり込んでいく。

監督兼設定、演出、背景作画担当の浅草と、作画全般担当の水崎を、プロデューサー的立ち位置の金森が仕切ることで制作は進行する。全員がアイデアマンというのも強い。あと3人ともキャラが強烈なため、部室でワイワイやっているやりとりだけで十分楽しいんだけれど、次々と事件は起こる。

 1巻の最後、予算審議委員会で生徒会に詰められ押し問答の末、浅草氏の「細工は流々!仕上げを御覧しろ!だろ!」という絶叫で押し切って上映するシーンが熱い。ストーリーなしのハッタリでも、作品のクオリティーで相手を黙らせる。痛快。圧倒される聴衆を尻目に壇上で反省会を始める3人。そして最後の台詞、「なんだか知らんが、面白くなってきやがった。」ワクワクさせられる終わり方。

立体的な吹き出しや、「一コマの中で奥にピントが合っているとき、手前の人物や会話をぼかして奥行きを出す」という自由な(まさに映像チックな)アイデアが詰め込まれているのも凄い。「巻末のふろく」には部室の俯瞰図、2巻以降は本の帯にまで設定と解説が載せてあるのが最高。これは作者の言葉として載っている感があるので、三重の構造と言えるかもしれない。

  

作画のこだわりを語るシーンでの水崎の台詞「私はチェーンソーの刃が跳ねる様子を観たいし、そのこだわりで私は生き延びる。」「大半の人が細部を見なくても、私は私を救わなくちゃいけないんだ。」は至言だと思う。誰のために作っているかといったら自分のためだし、結局は自分を救うために創作をする。承認欲求とか自己顕示欲なんて言葉や御託を並べるまでもなく、「作りたいから作る」を自然体でずっとやり続けている姿はかっこいい。

こんな名言のオンパレードなんだけど、3巻の経営の話題で金森が言われる「お金を稼ぐためには、お金が必要なんだよ。」とか刺さる。しかし「ツイッターは遊びじゃねえんだよ‼︎」と「ロボアニメ業界ってのは半分が敵で、もう半分は将来の敵なのだ!手間を惜しめばロボット警察にすぐバレる‼︎」って台詞はめちゃ笑った。あと舞台は一応公立高校なんだけれど、図書館の運営を民間委託してたり、バリアフリー部やロボ研、録音部と独自すぎる部活があったり、校風が自由すぎて絶対に楽しい。でも大学って割とこんな感じだったなと思い出す。

 

「映像研」で漫画という媒体の特性が一番上手く使っていると思うのが、「登場人物の想像するイメージの世界が、想像しながらにコマに描かれる」という点。どういうことかというと、飛行ポッドのアイデアを閃いた浅草がそのディテールを語りながらその場でポッドを組み上げて、ギミックをどんどん付け足し、3人で乗り込んで飛び立ってしまう。飛びながら周囲の設定も加速して背景として描かれ、操縦で障害物を避け最後には空高くから遠くの景色を見る。作中の実際は銭湯で浅草が妄想しているだけなんだろうけれど、漫画とは便利なもので、人物のイメージの膨らみをノータイムでそのコマに描いてしまう(背景に描くとかじゃなく、話の流れを無視してすでに妄想の世界にいることにする)ことで、凄い説得力を獲得している。この手法で3人が思いついたアイデアを共有して、汚い部室小屋と妄想の世界を自在に行き来することで、テンポよく物語は進行していく。例えばこれが小説だったら、「浅草みどりは目を閉じて想像する。4枚の羽で飛ぶ飛行ポッド。動力は超効率リニアモーターで、羽にソーラーパネルをつける。構造上軽いものじゃないといけないだろう。乗員は2~3名。キャノピーはヘルメットのバイザーのように開くのがいい。支羽はそれぞれバラバラに動くようにしよう。他の2人を乗せて、空へ飛び立つ。用水路をくぐり抜け、高度を上げて上空へ飛び出すと、はるか彼方の地平が見える。『これが私たちの考えた、最強の世界だ。』」…って感じになるんだろう。長い。映像研は漫画で、これを数コマと見開きのイメージボードで片付けてしまう。誰かの妄想の話なんて、文章で書かれたら読んだ人の数だけ様々なイメージが出てくることだろう。初めから絵で示される方がはるかに効率よくディテールが伝わる。なんか漫画と小説というメディアの違いの話になってきた...。

いまふと浮かんだけれど、子供の頃読んだ「エルマーの冒険」や「ゲド戦記」のような本の冒頭に、舞台となる世界の地図や絵が載っているのを眺めるのが好きだった。映像研の作中に出てくる設定図にワクワクさせられるのは、「この絵の中にこれから始まる物語が詰め込まれている」と直感的に感じさせる、同じような興奮なのかもしれない。

 4巻が5月に出るそうなので楽しみ。

 

語りの場

用事があって東京へ行く度に、友達と新橋や新宿で朝まで飲むのがお決まりになってきており、本当に楽しい。昨晩もそうだった。朝方、4軒目を出て新宿駅前で解散し、飲み会終わりの少しの寂しさを感じながら銭湯へ行き、サウナに入り少し寝た後に上野をぶらついて帰ってきた。

大人数でのガヤガヤした飲み会もたまにはいいんだけれど、やっぱり自分は3、4人でしっぽりと、一つの話題を延々と話したり、ひたすら好きなものを語る飲み会が好きだ。昨晩も三次会以降はそのモードでの飲み方だったので良かった。まあ何の話題を話したかといえば大して覚えてなかったりするのだけれど。誰かが好きなものについて熱っぽく語っているのを聞くのは楽しいし、同じ作品を見ていても、それぞれで受け取り方が違って、その解釈の違いを語り合っていく過程で、その自分と違う見方、考え方を理解した時に違う景色が見えるあの感じがとてもいい。ある一人がよくわからない独自の概念みたいなものを提唱し始め、みんなで質問を重ねて説明を聞いていくうちに、ある点で急にストンと腑に落ちて「ああー!」と共感した時のあの感じ。そしてその後の会話でその概念をやたら使いたがる一連の流れ。

恩田陸が「残滓と予感の世代」という文章の中で、男子の話は常に細部へと向かっていくものであるのに対し、女子の話は結局「自分の感じていること」がメインであり、最後までそこから踏み出すことはない。男の子の話は、物事のディテールを語っているうちに、そのディテールに捕らわれて狭いところへ入り込んでいってしまう、と書いていて、自分はここで言っている典型的な男の子の話し方なんだろうなと思い当たってしまった。あのアニメの何話のこういうシーンあるじゃないですか、ここでのヒロインのこのセリフって最初見たときこういう意図だと思ったんですけど実はこういう伏線になっていたんですね最近見直してやっと気付きました、同じ原作者のこのアニメのあの話の中で...あれ、今なんの話題でしたっけ...?細部に凝って脱線し、そして大して言いたいこともないので落とし所もないただただシーンの回想をしてそこ好き...みたいな話しかできない。考察を言葉として喋れる人って素直にすごいと思う。自分のように喋りがあまり上手くない人間にとって、語りたいことを人に伝える手段としては、こうして文章を書くというのは一番手っ取り早い手段のように感じる。いや、手っ取り早くはないか。まあまあ時間も労力もかかる。でもメリットもあって、誰かに言葉として伝えることでは会話ではそれで終わりだけれど、文章として書き出せば形として残り、後から読み直すことができる。そもそもこのブログも自分の中での忘備録として始めたものだし、文章を書いた方が頭の中が整理される感じがあるのでその場としてやっている。それでも、面と向かった会話の流れ、やりとりの中でしか出てこない言葉、というのも確かにあるわけで、さっき書いた概念の件がまさにそれの気がする。とにかく好きな人と好きな話題で心ゆくまで喋るのは楽しい。

でもオールナイトで集まってワイワイ喋れる場ってなかなか限られる。二十代半ばの皆さんは忙しく、集まるとしたら大抵が週末の夜で、誰かの家にでも集まれない限りは飲み屋で過ごすことになり、必然的に酒を飲むしかない訳で、延々とアルコールを入れながらしゃべり続けるのはいいんだけどそこまで飲まなくてもいい気分の時もあるわけで、アルコールなしで朝まで過ごせる場所が欲しい。駅前に朝までガヤガヤできる居心地のいい場所が欲しい。需要あると思う。

 

○追記

昨晩の四次会あたりで百合漫画の話になった時、頭で考えたけれどうまく話せなかった話として、人と人の関係性とかは言葉にして説明することはできるけれど、人が誰かに対して抱く感情は言葉として還元するのがとても難しいよね、という話があるので誰かといま語りたい。名前がついていない感情ってまだ様々あると思うし、大抵が混ざり合って現れてくることが多いと思うので説明が難しい、という話。「純粋に嬉しい」とは時々いうけれど、例えば何か失敗をした時にいう「悲しい」って、往々にして「自分への失望」「期待に応えられなかったことへの申し訳なさ」あたりが混ざった感情だったりする訳で、その辺りを漫画なら表情の微妙な描き方、小説なら文章による状況の説明、なんかで表現しているといったところでしょうか。誰かこのあたり文章にしてないかな。

 

 

 

出発の年齢

 

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

 

一体どれほどの人を放浪の旅へ誘ったかわからない、傑作旅行記深夜特急』。バックパッカーたちのバイブルである。沢木耕太郎が2万キロ以上に及ぶ壮大な旅に出たのが1970年代前半のこと。

当時携帯電話はもちろん無く、ミャンマーはまだビルマと呼ばれている。最初に訪れた香港はまだイギリスの領土であり、放浪する人々はトラベラーズチェックを使っているような時代だ。インドのデリーからロンドンまで乗り合いバスで行く。これは目的というより手段の話のように思える。友人と賭けをしたから、以上の大した理由もない。「真剣に酔狂なことをやる」という面白さ。あと単純に文章が上手くて、風景描写や街の人との会話や出来事が目に浮かぶようだ。

自分が海外旅行をする度に旅行記を書いているのは、きっとこの本が頭にあるからだと思う。


僕が一番気に入っているのは単行本版の1巻である。沢木が香港の廟街を訪れたときのあの描写、旅の醍醐味の全てが凝縮されている。あれほどに熱気と興奮を伝える文章にはなかなか出会えない。人の賑わいが作る見渡す限りの喧騒。「体の芯まで熱くなる」感覚を味わいたくて、この街を見るまでは死ねないな、と思っている。僕には8歳年上の従兄弟がおり、彼はいくつもの旅行代理店業界を渡り歩き自身もアジアの観光地はほぼ制覇している旅行フリークだ。少し前にベトナム料理屋でこのシリーズについて語りまくった結果、やっぱり1巻が最高、と意見が一致した。

1巻を読んで一番感銘を受けたのはなんといっても廟街のシーンなんだけれど、もう一つは沢木が心の底から自由を実感する、旅に出て間もない香港の朝の場面だ。

周囲に誰も自分のことを知る者がおらず、何かしなくてはならない予定など何もない。どこに行っても、何をしてもいい。怖いほどの自由に身震いする。こんな体験をしてみたい。

僕も何度か海外旅行に出たことはあるけれど、あくまで「旅行」であり、放浪とは程遠い。どこに何泊、ときっちり予定を組み、それに縛られているただのミーハーな観光である。時間も仕事も家族も気にせず、するのはお金の心配程度、期限も行き先も決めてない、そんな旅に出てみたい。…いや、多分一週間程度で根を上げて帰ってくると思う。自由すぎる怖さに精神をやられてしまう。


この旅行記が新聞連載を経て本として出版されたのが1986年。旅行を終え、帰国してから10年以上経ってからここまで詳細な風景や会話まで記録された文章を書けるなんて、沢木氏は映像記憶でもできるのだろうか。沢木耕太郎の著書「246」には深夜特急第一便の出版について書かれている。流石本職がライターなだけあって道中で多くのメモを取っていたようだし、旅先から手紙もかなり送っていたようだ。1986年には『深夜特急』の「第一便」と「第二便」が出版されるが、最初に連載していた新聞には1年間の期限があったため、イランのイスファハンで一区切りすることになり、その時点までの文章をまとめたものらしい。

タイトルを決めるにあたり、トルコの刑務所の受刑者の隠語「ミッドナイト・エクスプレス」=「脱獄」を採用した話も載っているが、直訳すれば「深夜急行」であることを気にしている。

 

ようやく本題。シリーズ最高傑作である『深夜特急』第1巻、香港・マカオ編のあとがきに「出発の年齢」という対談が収録されている。話者は沢木耕太郎と『香港世界』を書いた山口文憲。ここで沢木は「旅に出るには26歳が最も適している」という持論を展開する。

本編第2巻でも、乗り合いタクシーに揺られシンガポールに辿り着いた沢木がベッドに横になりながら、初めて身の上話というか出発前夜の自身の回想をするのだが、ここではフリーライター時代に出会った「最も鮮烈な個性を持った人」に「旅に出るなら26歳だ」と言われた、とある。そして第3巻のあとがきでようやく、それが黒田征太郎というイラストレーターの言葉だったとわかる。最も、26歳に黒田氏がアメリカに渡った、というだけの何の根拠もない話である。

沢木と山口は同じ年の生まれで、二人とも26歳で旅に出ている。山口文憲は26という年齢を「最後の自由のぎりぎりのいい見当」と語り、沢木も「世間知とか判断力がついていて、いろいろなことに対するリアクションができる」年齢だと言う。大学を出て、なにが面白いか、つまらないかを知り、異性のことを知る、などのプロセスが必要だと。確かに世間に無知な18歳とかがユーラシア大陸縦断しても、日本の社会との比較とか出来ないだろうし、単純にひとりで危険もある国を渡り歩くことなんてよっぽどじゃないと無理だろう。中東あたりでテロリストに拘束されそう。

対談では後半「ハワイはいいよね」みたいな話になり、最後に二人で26が旅に出る適齢期、と年齢の話題に回帰してオチにしている。

しかしこういった「根拠はないが、こうだ」と力強く言うだけで、実際に行動を起こした人たちの言葉であるが故になんだか説得力がある。26歳。先日25歳になってしまった自分にはもう来年。一度仕事に就いてしまった自分にはドロップアウトしてバックパッカーになる勇気はないけれど、ニュージーランド旅行中にしょっちゅう見かけた旅人たちは20代から50くらいの人まで様々だった。海外では高校を卒業してから暫く放浪して、大学に入り直し社会に出る人、ふと思い立って30くらいで仕事を辞めて放浪に出ちゃう人、などはいくらでもいるようだ。


最近、身近な26歳が海外で一年暮らしてみる、と言ってビザの手続きなどを進めてるのを見ながら、自分はこの先この地方都市で一生を終えるのか、となんとも言えない感情を抱えている。仕事、家族、世間体、結婚など面倒くさい問題はいくらでもあるけれど、それはあくまで「行かない理由」として一括りにして無視できるものだと思う。度胸さえあれば。その度胸が無いのと、特に手に職がある訳でもないので行かないのだけれど。

放浪の旅に出るとまでは言わないけれど、26歳を目前にして、少し生き方を変えてみようかな、と思い始めている。

物語の導入

 

ネトフリで久々に「マトリックス」を観た。1作目。当時は映像の凄さやアクションシーン、特に例の時間が圧縮されて弾丸避けるやつが話題になったと記憶してたけれど、改めて観た感想は「導入が良すぎる…」だった。完璧だと思う。

 

冒頭のトリニティー国税局に侵入するシーンについては割愛。

男が自宅で寝ていると、自分のPCの画面に突然何者からかのメッセージが表示される。

「起きて、ネオ。

   マトリックスが見ている

    白ウサギの後を追え」

悪そうな連中がドアを叩き、取引をする。ネオと呼ばれた男がフロッピーを渡し、ディスコへ誘われるのを断りかけたところで、女の肩に”白ウサギ”のタトゥーを見つけ、行くと返事をする。    

そしてディスコで何故か名前や男の裏の仕事を知っているトリニティーに会い、先ほどのメッセージの主と気づく。そして耳元で「彼を捜してるのね」「私も昔、彼を探してたの」「彼は言ったわ”君が探しているのは俺ではなく『答え』だ”」と言われる。

 

この時点で男はマトリックスというワードを知っているし、次のシーンで突然届いた電話の声の主がモーフィアスだということも何故か知っている。つまりここでは語られていない、物語が始まる以前に描かれていない組織からの接触がすでにあったことがわかる。ここからストーリーは流れるように進んで行き、突然現れるエージェントからの逃亡と捕捉そして脅し、臍に謎の生物を挿入されたと思いきやベッドの上、夢かと思いきや電話で再び呼び出され謎の生物の除去とモーフィアス本人との遭遇、カプセルを飲んで本物の”現実世界”への転送、と怒涛の展開である。

怒涛の展開、と言っても男がカプセルを飲むシーンまでちょうど30分ほどある。ソファーのある部屋でのモーフィアスとの会話が5分ほどなので、映画開始から25分でとあるサラリーマンがよくわからない組織と合流し異世界へ向かう選択をするのだ。この短時間に一切の無駄なく、観ている側にもある程度理解できる選択の動機と「マトリックスとは何か」という謎を示している。まあもちろんこれは映画であり、ここでキアヌリーブスが「やっぱ冴えなくても普通の日常がいいので青いカプセル飲んで帰ります」とか言って何も始まらなかったらずっこけるけど。

オープニング時点では男は「起きてもまだ夢を見ているような感覚」に襲われており、この現実にどこか違和感を感じている。そこに「”答え”が知りたいか」という問いかけ、日常に突如現れる敵、違和感の答えを与えるというモーフィアスから示される選択肢、そしてトリガーとなるのが「2つのカプセルのうちどちらかを選ぶ」という儀式…一連の流れが異世界への誘いとして見事すぎると思う。

 

異世界の存在とその入り口が示されたとき、主人公が子供だったら、単なる好奇心から扉を開けばいいだけの話だ。もしくは事故で本人に自覚のないまま、訳もわからず転送された、という設定もよくある。しかしこの映画の主人公は平凡なサラリーマンである(ハッカーという裏の顔を持つが)。いま主人公が生活している世界は仮想現実の偽物”マトリックス”で、本物の現実世界では他にある」ことが提示されたとき、普通だったらもちろんこの世界観を受け入れられないだろう。同じ顔の黒服の男たちであるエージェントの出現という非日常と、トリニティーたちの示唆に富んだセリフでぐいぐいと引き込んで行く感じが本当に凄い。ここで重要に思えるのが"主人公が平凡なサラリーマンである"ということ(キアヌリーブスが演じているせいで格好良すぎる問題は置いておいて)。誰もがクソみたいなに日常に疲れ果てている今の時勢に(映画公開から20年近く経っているが)サイバーパンクな"現実"世界が別に広がっているとしたら?これはもう、赤いカプセルを飲むしかない...。誰もが救世主になりたい。

 

冒頭のキーワードに"白ウサギ"があるが、ソファーの部屋でモーフィアスが「今の君は"不思議の国のアリス"の気分だろう 妙な世界に入り込んだ?」という台詞があり、設定からやはりファンタジーを意識した作りになってるのかなと思う。転生シーンで何度か穴に落ちるし。

 あと"黒服の男たち"がやって来て連れ去られる、という設定もよくあるストーリーだが、この映画が面白いのが悪役であるエージェント・スミスが全く同じ顔の黒服たち、なのは納得できるとして、同志であるモーフィアスたちも黒服(やたらスタイリッシュな革ジャンに黒いコート)で、二者がどちらも黒服、という点だ。普通の世界で暮らしていた転生前の主人公からすれば、どちらも異世界の人間であることに変わりはないのでこれを暗示しているのでしょうか。ただの深読みで本当は単純に「黒服には銃が映えるから」という理由だったら笑う。

他にも、モーフィアスたちは主人公をハッカー時代の名前「ネオ」と呼ぶが、エージェント・スミスは必ず「アンダーソン君」と呼ぶ点が気になっていたが、地下鉄での戦闘シーンで「俺の名前は...ネオだ」と言って打ち勝つシーンで「過去を捨て、救世主となる自覚を得た」意味なのかなと受け取った。導入以外にもこの映画には考察し甲斐のありそうな部分がたくさんある。

 

トラックに轢かれたりビルから飛び降りたりともすれば寝て起きただけで異世界に転生しちゃうような、ある意味雑なファンタジーの導入が氾濫する今の時代、20年も前の映画に完璧な導入があったことを思い出せて良かった。

 

小旅行の夜

フロントのおじさんに鍵を渡し、外に出る。雨が降っていたので、フロントに戻り「傘って借りれますか?」と聞くと、少々お待ちください、と言われたので壁に貼られた地図を眺めながら待つと傘を持ってきてくれた。「他のお客様が使われたので少し少々濡れておりますが…」「全然大丈夫です、ありがとうございます」受け取った傘は触ると確かに濡れていたが、どうせこれからまた濡らすし。『濡れない傘はない』というフレーズを思いつきながら外に出る。街灯に翳して時計を見ると19時半。とりあえずあてもなく歩いてみる。左手に駅があるのは来るときに見えたので、そちらへ歩くと1分も経たずに高岡駅前に出た。左手に食事ができそうな店があったがチェーン店感があったので候補に入れず、ビジネスホテルの前まで戻り駅から離れる道を歩いてみる。一軒居酒屋があったが宴会向けのでかい店舗だったのでこれも通り過ぎる。コンビニに入りGoogleマップを見ると、繁華街は駅の反対側にあるらしい。外出る前に調べるんだったな、まあこれも一興、と思いつつ最寄りの居酒屋を探し、そこに決めて向かう。着くとこじんまりした個人経営の居酒屋、という感じなので思い切って入る。雨も降ってるし。


一人です、というとカウンターに通される。メニューを見ると普通の居酒屋の価格で安心する。おしぼりを渡された時に生お願いします、と言ったが店員さんに聞こえなかったらしく行ってしまった。恥ずかし、と思いながらメニューを眺め、揚げ物食べたいな、たこ唐揚げだな、と思い別の店員さんに注文する。しばらくテレビを眺めながらビールを飲む。せっかく富山に来たんだし魚を食べるか、でも昼間一応寿司食べたしなあ、と思ってるうちに隣に客が来たのでひとつ席を詰める。見渡せば狭い店内はカウンターしか空いていないほど混んでいた。入ってくるときは混んでる感じなかったのに。入ってきた男女はどちらもレモンサワーを頼んで、お互いの携帯を見せ合いながら仲睦まじく盛り上がっている。左手はこの時間でもうベロベロのおじさん二人、右手はカップル、囲まれたな、と思いながらアイコスの電源を付ける。ひとり飲みの人がいたら話しかけようと思ったのに。まあ仕方ないかとiPhoneをつつく。聴こえてくる会話のイントネーションがかなり関西寄りで、西に来たなと感じる。ここへくる途中立ち寄った糸魚川の展示館的なところでこの地点が東西の文化の境目である、と書かれていたが、言語では少し実感した。あたしの彼氏、出身が新潟なんだけど、と右の男女の女性の方が言うのが聞こえて、いやあんたらカップルじゃなかったのかよ…と思う。男の方が彼女の愚痴を話し出す。それぞれ彼氏彼女がいてそれでもサシ飲みできる親しい友達か、素敵じゃないか、wouldn't it be nice、と連想しながら芋焼酎に切り替える。さっきからマスターと呼ばれてるおじさんが目の前で作業してるのでおすすめのお刺身でも聞こうとしたら奥に行ってしまう。どうも店員さんと間が悪いな、と思いながら携帯をつつく。時間がないときに見つけ、リーディングリストに登録していた読み物を片っ端から読む作業。当たりもあればつまらないものもある。「孫悟空とは何者だったのか」「vaporwaveとその観察者的効果」あとは新作映画のレビューや「ハン・ソロ」のあるシーンにBACK TO THE FUTUREへのオマージュがあった、という話題などなど。なかなか読み応えがあって、少し酔いも周りいい気分になってくる。これまで触れてきた映画や小説でも気付かず見過ごしてきたオマージュが沢山あっただろうけど、それで作品の魅力が損なわれるわけではないし。でも知ってたほうが面白いしなあ、玄人ぶる人たちはそういった小ネタや舞台裏の話を語ることですぐ通ぶるんだから…でもそれはそれで楽しいしなあ、最近思うこととして、最高の創作物に触れたら余計な御託を垂れずただ「最高!」っていう感想、それだけでいいのでは?ディテールを語るのはある意味野暮な行為では、などと考える。でも語りたいものは語りたい、飲み会であるシーンを同じように捉えた人を見つけてブチ上がりたい…会話の中でそれを全て伝え合うのは難しい、やっぱり文章に書き出して、残る形にすることが一番いい手段か、でも会話の形態でしか出てこない言葉もある訳で…などとぐるぐる考えてるうちに2時間以上経っていた。お会計をして、意外と高く付いてうむ…と思う。レジの店員さん可愛かったなあと思いながらコンビニで話題のチューハイとつまみを買い、ホテルに帰り、傘を返し、シャワーを浴び、テレビをBGM代わりにして文章を打って今に至る。