状況が裂いた部屋

旅行と読書と生活

2020年4月の短歌

 

引っ越しに

慣れた自分がすこし悲しい

大人になるってこういうことか

 


退屈に

向き合うのにも飽きてきて

なにかを始める

きっかけが欲しい

 


窓の外

陽のあたる場所に憧れて

どこにもいけない

四月の終わり

 


新しい

靴を買おうとしたけれど

馴染んだボロが

まだ捨てられない

 


どこへでも

行ける気がした

ハタチの自分

どこにもいけない

現在のぼく

 

 

5つともいま1時間くらいで考えた。短歌って楽しいかもしれない。人の作品を見るのは好きだったが自分で作るという発想がなかった。

少し前から小説を書こうと取り組んでいるんだけれど完成しない。文章を書くのが結構好きだと気付いてから、このブログに旅行記やら日々の雑感やらを書いてはいるんだけれど、やはり物語を書きたいなとずっと思っていた。学生時代から書き溜めてきたプロットを膨らまそうと手を付けるんだけれど、なかなか小説として書き上げることができない。作曲も出来ないし絵も描けないので(映像表現はまだ諦めていないけれど)、苦しんでもなんとか一本書き上げたい。しかし自分が好きな文章を書く人たちは小説だったりエッセイだったり記事だったりとどんな形態、どんな題材でも面白い文章を書いているので、小説にこだわらなくてもいいのかもしれない。もう少し粘ってみるけれど。自分が納得できる最高の文章をいつか書きたい。

SuiseiNoboAz 『HAVE A NICE DAY BABYLON TOKYO』

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ボアズのライブDVDを買った。2017年9月3日渋谷O-NESTでのライブを収録したもの。2017年から2018年にかけて、ボアズはほぼ1年に及ぶリリースツアーを行った。自分は山形と東京でその内の2本を観た。特に東京で観た回はその年観たライブの中でベストに挙げたい桁違いの格好良さだったと思う。


3曲目の「tokimekinishisu」とそれに続く「14」を聴いて、もうこのDVDの元は取ったな…と思った。凄すぎる。どちらも前体制の3ピース時代からある曲だけれどこのバージョンが格段に良い。

ブレイクのキメはもうザゼンボーイズ54-71のようなバンドの域にあるようだ。石原さんの取る独特な間を他の演奏陣が完璧にキメまくる。しかも単純な超絶技巧バンドというだけでなく、演奏の上手さが表現の手段になっているのが凄い。mizukamakiriのイントロ、ギターのハーモニクスをほぼ完璧に鳴らしていて美しい…。何故かこの曲で石原さんはテレキャスを2本掛けて演奏しているんだけれど、体の軸の安定感が凄くて体幹の強さが伺える。曰く「音を歪ませるのは筋肉」。

石原さんは少し歌い方が変わった気がする。これまでライブによっては全然出ていなかったハイトーンがかなり出ていて別人のようだ。特に1st収録の名曲my discoを伸びやかに歌い上げていてびっくりした。my discoのアウトロはこのライブのひとつのハイライトだ。でもT.D.B.Bやgakiamiではがなり散らすように暴力的に突き刺さる声で変わらず良い。

「新宿の歌をやります」と言って始まる「elephant you」を聴いて気付いたが、この曲のイントロで石原氏が弾いているブリッジミュートしたギターで弾いているリフは「64」と同じアイデアのものだ。そしてこのリフが自分にとっての東京、新宿のイメージになってしまっている。

環状線甲州街道彼岸花…とこのバンドが繰り返し登場させるモチーフと共に、自分の中での都会感を象徴するものとなったボアズの曲。おそらく就活や旅行で何度も東京へ行っていた大学2〜4年にかけて熱心にボアズの2ndと3rdを聴いていたから、自然とそう刷り込まれたのだと思う。

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ちなみに「14」の歌詞にある「甲州街道と井の頭通り、そして水道通りが交わりそうで交わらないそんなエアポケットみたいな地点」を調べてみた図がこれ。

赤色が甲州街道、緑色が井の頭通り、青が荒川水道道路。曲の後半で「おまえ」は群青色の気配に掴み取られながら中野方面(地図の右上方面)へ歩き出す。こういう野暮な調べものが好き…。道路上の地点オタクなのでこのエアポケットは是非訪れてみたい。「14」はボアズの中でも特にドラマチックな曲だ。


ダブルアンコールのラスト、E.O.Wで「SuiseiNoboAz from Shinjyuku,Tokyo,Japan,to everywhere. 」と台詞を吐く石原氏。かつてT.D.B.B(高田馬場)で活動していたバンドはSXSWへの出演、台湾でのツアーなど新宿から世界へ活動を展開している。こんな最高のバンドが存在しているという事実だけで胸が熱くなる。今年中に新譜を出してくれたら嬉しい、めちゃくちゃ期待している。

 

救済小説

エピソードが3つある。ひとつは高校3年の2月下旬のこと。大学の前期入試に失敗した自分は高校の図書室にいた。誰かと話をしたかったけれど、人気のない部屋には同じように辛気臭い顔をした人間しか居らず、一体これからどうしたらいいのかと気持ちはひたすら沈んでいた。

そこで気分転換に本でも読むか、とたまたま手に取ったのが金城一紀の『レヴォリューションNo.3』だった。読み始めると止まらなくて、そのまま借りて家に帰り、その日のうちに全部読み切ってしまったのを覚えている。とんでもなく面白く、笑えるけど切なくて、登場人物たちが全力で生きている姿に心を動かされた。そして何より、物語に熱中している間は全ての煩わしい事を忘れさせてくれる、そんな事実が当時の自分には新鮮な体験だった。高校生活の終わりというタイミングで読んだからあんなにも心に響いたのかもしれない。

 

大学2年の冬、完全に暇を持て余していた自分はまたしても図書館にいた。大学の図書館はそこそこ綺麗で、居心地も悪くなかった。3年になりゼミ室に居場所を見つけるまではよく通った。僅かしかない913の分類から良さそうな文庫本を選んで、少しずつ読む毎日。その中に金城一紀の名前を見つけ、『対話篇』という短編集を借りて帰った。家で読んで正解だったと思う。あまりに号泣してしまい、ページが涙で濡れてしまって乾かさなくてはいけない程だった。確か「花」という名前の短編があって、どうしようもなく泣けた。余命僅かな弁護士と主人公が南へ旅をする話。

 

社会人になってからは、あまりの忙しさに読書から遠ざかってしまった。それでもバス通勤をしていた2年間は常に文庫本を鞄の中入れ、短編集やエッセイ本などを読んでいた。そんな時にブックオフで見つけたのが、またしても金城一紀の短編集『映画篇』だった。そしてこれが、現在まで自分の中で一番大切な本になっている。

収録されている短編はどれも傑作で、読み返すたびに何度も泣きそうになるんだけれど、「太陽がいっぱい」が一番好きだ。親友との友情と、少年の頃一緒に観た沢山の映画の記憶に救われる、ある小説家の話。

自分の人生の中で、どれだけこの人の小説に励まされてきたか分からない。「太陽がいっぱい」で描かれる「良い映画や物語に感動した記憶は、何度でも人を救うことができる」というテーマを、まさにいま自分が体験しているという状況に痺れてしまう。そして、父親がいない自分の境遇を少しだけ誇りに思えるようになった。スティーブ・マックイーンにも父親はいない。同じモチーフが繰り返し登場して、短編同士が緩やかな繋がりを持っているのも美しいと思う。


金城一紀といえば直木賞を受賞した『Go』が有名だろうし、柴咲コウ窪塚洋介の映画は最高だった。2001年頃の窪塚洋介は世界で一番カッコよかったと言い続けてる。

直木賞を取っていながら、もしかしたら脚本家としての方が有名なのかもしれない。映画化までされたドラマ「SP」や、再び岡田将生主演のドラマを書いたりと凄いキャリアだ。

近年は脚本ばかりで、金城一紀は全然小説を書いていない。上の文章で名前を挙げた本が刊行されている小説のほぼ全てである。『レヴォリューションNo.3』はゾンビーズ中心の短編集としてシリーズ化されているが、やはり第1巻の3編があまりに面白く、続編はこれを超えられていないと思う。

 

作家の読書道:第6回 金城 一紀さん

このサイトで本人が作家になるまでの半生を語っているんだけれど、学生の頃書こうとしたけれどまだ今じゃない、と判断して小説や映画を観る生活をしていたそうだ。「ニムロッド」書いた上田岳弘もそんな事を言っていた。


ちなみに今この文章を書くために本人のツイッターを見にいったところ、コロナウイルスで外出自粛中に観れる映画を30本も紹介していた。『アラビアのロレンス』『がんばれ!べアーズ』『スティング』『宇宙からの遊体X』…。どれも配信で観れるそうなので観なくては。

 

3,4年前も同じように小説を書いている、とツイートしていた気がするが、もうここまできたらじっくり腰を据えていつまでも待ちたい。ぶっ飛んで面白い小説で、また自分を救ってほしい。

半地下の匂い

「そうじゃなくて」長女のギジョンは言う。

「半地下のにおいよ。ここを出れば消える」

 

映画「パラサイト 半地下の家族」を観た。本当に面白かった。この映画にはポン・ジュノ監督からネタバレ禁止令が出ているけど、以下の文章はがっつりネタバレあり。

 

 

半地下の家で暮らす貧乏な家族が社長一家の豪邸に取り入って寄生したら、豪邸には更に凄まじい「地下」があった、という話。

主人公の家族は狭い半地下の家で暮らしている。わずかに路上に面した小窓からは立ち小便する酔っ払いが見え、散布される殺虫剤が舞い込んでくる酷い環境の貧しい家。夫婦と長男、長女の仲の良い4人家族。長男が友人の代役として裕福な社長の家で家庭教師を務めることになり、それをきっかけに一家は豪邸に寄生していく。

映画の前半はテンポよく寄生の様子が描かれていてただ笑える。貧乏家族が前任たちを蹴落として社長の家の家庭教師や運転手、家政婦に収まっていく(ソン・ガンホは2017年の映画「タクシー運転手」でも運転手役を演じているのでニヤッとなった)。貧乏家族の思うまま、「計画」通りに流れるように物事は進む。常に完璧に美しくあることが「普通」である社長の家では、家族の周辺の人間関係も完璧でないといけないという強迫観念に襲われているかのようだ。貧乏家族が少しの不穏さを仕込むだけで、何かに不安になり、「それはいけない」と囁くだけで簡単に不安は決定的な欠陥とみなしてしまう。特に社長夫人は病的なほど不安要素を排除することに躍起で、結果的に簡単に人をクビにしては貧乏家族の人間を登用することになる。奥様はヤングアンドシンプルだ、と序盤で評されるが、単純で頭が弱い、との意味に取れる。社長一家の長女ダヘは家庭教師でやってくる男たちを次々と手玉に取る魔性の女子高生なのかと思ったがそうでもなく、普通に半地下家の長男と恋仲になっていた。てっきり寄生計画の破綻はここから起こると思ったのに。

中盤、社長一家がキャンプで外出した日、豪邸でやりたい放題に酒を飲んでいた貧乏家族は地下シェルターに男が隠れ住んでいることを知る。豪邸の元家政婦の夫で、男は借金取りに追われ、食料を盗み食い(家政婦がこっそり持ち込んでいた)、社長一家に気づかれることなく何年も前から寄生していた。裕福な社長一家が住む「高台の」豪邸、貧乏一家の住む「半地下」、そして外を出歩くこともできない状況の男が住み着いているのが「地下」。単純な貧乏人対金持ちの構図と思いきや、豪邸のすぐ下に3段目の階層があるという仕掛けだった。住処がそのまま社会的な構図になっている。

 

作中で印象的なのが、執拗に出てくる「匂い」の描写だ。

貧乏家族はそれぞれ見事に役をこなして社長一家に寄生するが、半地下での生活で染み付いた匂いは消えない。社長が「運転手の匂いが我慢できない」と言うのを聞いた貧乏家族の父親は、無表情に自分の匂いを嗅いで確かめる。思えば社長一家の長男が「同じ匂いがする」と運転手・家政婦として寄生中の夫婦を指摘したのも「寄生がバレるかもしれない」とヒヤリとするシーンであるだけでなく、貧乏人が纏う「匂い」、つまり2人が半地下の住人であることを無意識に見透かしていたようにも取れる。

クライマックスの惨劇シーンにも「匂い」は現れている。

豪邸でのパーチィーの日、地下シェルターで暮らしていた男が長男を殴り倒し、半地下一家の長女ギジョンを刺す。社長が床に落ちた車のキーを拾おうと、反撃に遭い倒れた「地下」の男をどかす。その際に男の発する匂いに顔をしかめて鼻を覆う。まるで人間を汚物のように扱うその姿を見た運転手は、ナイフを手に取り、社長に深々と突き立てる。自分の娘を刺した犯人ではなく、匂いを嫌悪し、刺された娘(社長にとっては絵画の先生だが)を気にもかけなかった金持ちのIT社長の方を刺すのだ。血飛沫が飛び、人が逃げ惑う地獄絵図のスローモーションの中で、怒りが振り切れて限界を超えた父親の顔は凄みがある。

匂いに対して思わず臭い、と思わず反応するのは人間の反射的な行動だ。だからこそ、社長の鼻をつまむ仕草は無意識下での差別に思える。互いにどんなに取り繕っても、染み付いた貧しさを象徴する匂いは消えず、またその匂いを忌み嫌う金持ちの仕草も出てしまう。意識的な差別や階層意識と、無意識的なそれとでは、後者の方が怖いと思う。

ポン・ジュノ監督は「現代の資本主義社会において格差を題材にすることはクリエイターの使命」と言っていたそうだけど、単純にエンターテイメントとしての面白さがあって良かった。自分は韓国映画は数えるほどしか見ていないけれど、これまでぶっちぎり一番だった「The Witch 魔女」を超えたと思う。もう一回観たい。

 

黒部峡谷探訪記

11月上旬、黒部峡谷パノラマ展望ツアーに参加した記録。

国内、国外を問わず、自分は旅行でツアーというものに参加したことがない。旅行のプランを立ててもらえて場合によっては安く上がるのは良いかもしれないが、時間や行動を制限されて聞きたくもない説明を聞くのが面倒だからだ。

今回黒部峡谷へ行きてえな、と思って調べるとトロッコ列車に乗れるツアーがあると知った。正確に言うとトロッコ電車は誰でも乗れるけれど、ツアーではその先の一般客が普段立ち入れない関西電力の施設が観れるという。バックヤードツアー的なものに興味があった自分は即予約を入れてしまった。黒部方面には日本唯一のトロリーバス(関電トンネル無軌条電車が運行していたのに2018年で運行が終わってしまった。いつか乗ろうと思っていたのに。代わりにせめてトロッコに乗って無念を晴らしたい気持ちもあった。

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黒部ICで高速を降り、黒部川沿いに県道13号線を上流へ進む。しばらくするとJR富山地鉄の終点である宇奈月温泉駅があり、すぐ隣には黒部峡谷鉄道宇奈月駅がある。今回乗車するのは黒部峡谷鉄道のトロッコ電車。ちなみに北陸新幹線が停車する黒部宇奈月温泉駅というものもあるため、「宇奈月」駅は3つも存在する。近くの駐車場に車を停めて駅の2階でツアーの受付をした。終点欅平駅までのトロッコ列車往復券を含んで代金は6,000円だった。

 

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かわいいサイズの列車に乗り込み、欅平駅まで80分程度の移動を楽しむ。先頭にある客車を牽引する電車は228馬力とのこと。窓無しの車両だったためひどく寒い。顔に直接風が当たって耳が痛いがだんだん慣れる。基本的に左側は崖、右側は黒部川の景色が見られる。

 

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列車が動き出してすぐに、室井滋のナレーションが始まり沿線の名所や地名の由来を紹介してくれる。最初に見えてくるクッパが住んでる城みたいなやつが新柳河原発電所。川の色は見たことないような緑がかった青だった。当然ながら深さによって色が変わっていく。時々山に入る引き込み線がある。川にはいくつか橋が架かっているが、途中に一本猿専用の細い橋が架かっていて面白かった。実際に渡っているところは見れなかったけれど線路沿いに普通に猿はいた。

 

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ツアー以外ならいくつか途中下車できる駅がある。インスタの隆盛に乗っかってなのか顔はめパネルが沢山ある。鐘釣駅で少しスイッチバックした。線路と並行して冬季歩道がずっと通っている。幅は人ひとりが通れるくらいしかない。このトロッコ列車は11月で運行は終わり、一部は雪対策の為枕木まで外すそうだ。雪崩の威力は凄まじく、ホウ雪崩というものはマッハ3の速度で鉄筋作りの建物を吹き飛ばすこともある。そのため、運休期間には最奥地にある発電所の管理者は数時間かけてこの歩道を歩いて仕事場へ向かうらしい。しかし関西電力は社員を猿として表記するとは恐ろしい会社だ。

 

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欅平駅に到着し、案内人である関電のおじさんたちが出迎えてくれる。一般観光客が入れないトンネルや関電施設に入っていく。ヘルメットを被り、途中までは工事用の凸型(トツガタ)機関車に乗り換えて進む。トンネルにはダイナマイトで爆破した素掘りの跡が残っていた。竪坑エレベーターで200m登り、展望台へ辿り着く。

 
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エレベーターを降りた地点の展望台から更に10分ほど登ると、白馬鑓ヶ岳や毛勝三山が見える地点がある。見渡す限り360°全てが巨大な山。ちょうど紅葉していて見事な景色だった。こんなところにも鉄塔は立っていて、電気が使える。この後出てくる黒部ダム建設現場でも思ったが、必要があれば人間はどんな困難な工事でもやってしまう。今でこそ近辺の発電所は大きな電力を供給する欠かせない存在であるけれど、昭和中期の開発当時、こんなに困難な工事に膨大な費用と労力を費やすモチベーションを持てたことが凄い。

 

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欅平駅の真下には黒部川第三発電所がある。世紀の難工事と言われた黒部ダム及び黒部第四発電所(通称クロヨン)はさらに上流の地下にあり、黒部峡谷ロッコの沿線から見ることはできない。黒部ダムの建設では171人の犠牲者が出たとのことだ。工事用車両に付いている関電のマークはボルトのVとアンペアのAを掛け合わせたもの。そもそも富山県北陸電力の管轄なのに、何故この周辺の発電所は関電なのかというと、この発電の送電先が関西で、関電が主体となって建設したからということだった。2001年放送のプロジェクトXでクロヨンを取り上げていただいて、2002年の紅白で中島みゆきさんがここから中継で歌ったんですよー!と関電のおじさんが写真を見せてくれる。

 

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欅平駅にはレストランやビジターセンターなどが併設されており、帰りの電車まで時間を潰せる。センターの2階にはいい感じのジオラマがあった。帰りのトロッコもナレーションで沿線の解説がある。猫又駅の由来の話になり、猫に追われた鼠が岸壁を登ろうとしたところ、急すぎて登れず、追ってきた「猫もまた」、登ることができなかった→猫又、なのだそうだ。本当かよ。また、黒部という地名はアイヌ語で狂う川、魔の川を表す「クルベツ」が転じてクロベとなったらしい。

 

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宇奈月へ帰還。近くにあった電気記念館に入ってダム建設の映像を見るなどする。温泉街を歩いたら銭湯(一応温泉か)があったので入る。外観が綺麗すぎて一見銭湯には見えなかった。3階が男性風呂で、湯から上がったあと涼もうと4階に行ったら謎スペースで笑ってしまった。階段前のわずかな場所にマッサージチェアが1個だけ置かれ、使いづらいことこの上ない。風呂は良かった。外に足湯もある。

 次は黒部ダムも見たいと思う。立山黒部アルペンルートは鉄道・ケーブルカー・ロープウェイと幾つも乗り物を乗り継ぐことになるので楽しみ。あと先日奥只見ダムへ行きダムカードをゲットしたので、黒部ダムカードも何としても手に入れたい。

続・国道8号線を巡る冒険

国道8号線を走破する企画の続編。以前、始点である新潟市古町の本町交差点を確認したので、今回は終点の京都市下京区の烏丸五条交差点を訪れることを目的とした。ルートは新潟港からカーフェリーで敦賀港へ向かい、烏丸五条交差点を見た後8号線を使って京都→滋賀→福井→石川→富山→新潟と戻ってくる流れ。

 

ぐだぐだにならないよう、一応のルールを設けた。

・可能な限り国道8号線を使用する。しかし目的があって国道を外れるのはOK

・既に一度通った部分は省略できる(高速利用可)

・終点(京都市下京区五条交差点)を訪れる

・沿道にある道の駅になるべく寄る

 

◯ 1日目

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16:30、曇り空の新潟港を出発。船は「らいらっく」だった。新潟から船に乗り込んでいた車のナンバーは群馬、福島、庄内など様々。船内は不気味なほど静かだ。早速歩き回って探検したが大したものはない。ソファーでゴロゴロする。

 

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甲板に出てみるともうかなり暗い。この日の日の入り時刻は16:42だった。月明かりと遠ざかっていく街の灯りを眺める。学生の頃に新潟港から小樽港まで船で行ったことがあったけれど、その船と内観はあまり変わらないようだった。シアターがあり一日2本映画を上映している。大浴場が良かった。揺れるので波の出る温泉プールみたいだ。サウナまである。

船内を探検し風呂に入るともうすることもないので、自分のベッド(2段ベッドの下だった)でひたすら本を読んでいた。ジャック・ケルアックの「オン・ザ・ロード」。1940年代のアメリカ放浪記。訳者の巻末解説で「ビート・ジェネレーション」の語源や意味に詳しく触れており面白い。本文中のbeatは「くたびれた」という訳され方が多いが、「ビートな取引」のような使われ方(クスリを手に入れようと売人と取引したが家に帰って見たら砂糖だった、みたいなこと)や、「至福の」(ビーティフィック)のビート、さらにジャズのビートなど、様々な意味を内包しているらしい。いま辞書でbeat generaitionを引いたら「1950-60年ごろ米国社会に幻滅し脱社会的放浪生活を送った若者たち;cf.beatnik」とあった。

ケルアックは1947年から放浪に出て、1951年29歳の時、わずか20日で36mのペーパーに約17万5千字のこの文章を一気に書いた。しかし出版までに6年を要し、1957年に35歳でようやくこの本を出したらしい。深夜特急を読んだ時も思ったが、旅行記に言えることとして「実際に著者が旅行した時代と、出版された時代にタイムラグがある」問題がある。これについては言っても仕方がない部分はあるが。60年代のヒッピーがこれを読んで大陸を放浪したとき、果たして期待通りの旅ができたのか、いや目的はそこではないのか...と色々考えてしまう。読み物としてはかなり刺激的で面白かった。

 

◯ 2日目 

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5:30、福井県敦賀港着。ここから琵琶湖の西側を南下して京都へ向かう。

琵琶湖の一番北側までは8号線を使ったが、そこからは国道161号線で湖畔を走った。朝焼けが見られていいドライブになった。途中、道の駅を2つ見つけたものの開店前だったので素通りする。1つはマキノ追坂峠という場所だった。

8号線と1号線が重複する部分を通る。あまりに混むため車で京都観光は無理、と聞いて覚悟していたけれどやはり朝のラッシュに巻き込まれてしまう。単純に交通量が多い。

8:30、なんとか駐車場に到着。車旅行のいいところは、多くの荷物を持ち運べること、泊まる場所がなければ車中泊もできることだ。財布と携帯だけ持って適当に京都を観光する。清水寺二年坂→八坂神社→知恩院と歩ける範囲で見て回る。清水の舞台は工事中だった。今年の漢字を募集中。謎の表札が出ている家屋があった。中国人観光客がとても多い。

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夕方、ゲストハウスにチェックインしてオーナーさんと喋る。この宿はもうすぐ7周年で、オープンした頃は京都市内にゲストハウスは20数戸しかなかったが、ここ数年で一気に増え、今では300くらいあるとのことだった。

ドミトリーで相部屋だったのは札幌から来た50代くらいのおじさんと、愛知に住んでいるという中国人のツアーガイドの方だった。おじさんは夕飯はにしんそば発祥の店に行く、と言ったのでさっきニシンそば食べました、と写真を見せると「ここだよ!」と嬉しそうにする。今調べたら発祥の店はどうやら違う店のようだったけれど偶然話題にできたので良かった。

 

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夜は三条付近で適当に飲んだ。あと通りがかった青蓮院門跡でやってたライトアップを観るなど。

ゲストハウスのオーナーさんが経営している銭湯にタダで入らせてもらえるサービスがあったので参加する。フランス人の男性とアメリカのユタから来た女性、フィンランドから来た女性と自分の4人で行くことになった。フランス人はマーティンという名前で、ヒゲ面で大柄な優しい人だった。貸出用のシャンプーのボトルが彼に託されたので2人で並んで身体を洗い、サウナに入って片言の英語で話した。どのくらい日本に滞在するのか聞くと、もう来てから1週間になる、この先2週間滞在すると言う。どこを見てきたか聞くと広島のピースフルモニュメントとミヤジ…なんとかに行った、とのことで原爆ドームと宮島の厳島神社だねと理解する。あと大阪にも行ったらしい。職業を聞かれ、パブリックサーバント!パブリックオフィサー!と言ってみたが何故か伝わらず、あっ…ビジネスマンです…と適当になってしまった。彼はエンジニアだそうだ。3週間もまとまった休みが取れるなんて羨ましいがフランスではきっと当たり前なんだろう。風呂を出てからグーグルマップでフランスを表示し、ホームタウンはどこ?と聞いたらパリの北東にあるランスという街を拡大して示してくれた。シャンパンが有名らしい。

銭湯はとても良かった。昭和初期からやっているとのこと。帰り道で女性陣がエレクトリックバスが良かった!と興奮した様子で言ってて、暫く考えて電気風呂のことかと分かり笑った。

 

◯ 3日目

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朝食がバイキング形式でめちゃ良い。素泊まり3,300円でこのサービスはすごい。自分は国道ファンであると同時に海外の硬貨収集もしているため、壁に貼られた紙幣や硬貨に興奮した。

 

徒歩で国道8号線の終点五条交差点へ。

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片側4車線の十字路というお化け交差点だ。右折、左折用にもう一車線レーンがあるため横断歩道では9つの車線を横切る形となる。ここは8号線と1号線の重複区間のため、道路標識では1号線と表記されている。目印は時計台くらいか。8号の終わりを示すものはないか探し回ったが特に見つけられない。管理者は京都国道事務所になるようだ。

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車に乗り、ついに本格的に本来の旅程がスタート。国道8号線をなぞりながら北上し、沿道を観察しながら新潟を目指す。しかし平日朝の国道はやはり交通量が多く、トラックやバスなどでかい車ばかりで走りづらい。非常に殺伐としていて怖い。やっぱ琵琶湖の湖畔をのんびり走りたいな...と早々にさざなみ街道(滋賀県道2号線)に切り替える。161号線もそうだけれど、琵琶湖周辺には湖面近くを走る道路が整備されており、かなり良いドライブになる。

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安土城址。石段を登るのが面倒で入場はしなかった。

 

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彦根城天守まで登った。最大60度以上という急な階段が怖い。ひこにゃんさんがいた。

 

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8号線の距離標。始点からの距離が表示されている。あと484キロかと考えると死にたくなるので考えない。

あと滋賀県の北部には「酢」とか「今」とか一文字の面白い地名がいくつかあった。
 

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この日は夜まで走り続けて、福井駅近くのゲストハウスに泊まった。敦賀から福井市街地へ向かう途中の河野という道の駅で綺麗な夕焼けが見れた。敦賀港は山に囲まれた地形で、海の際を走る国道305号線は山と海の境目のような凄い崖道だった。マジックアワーにこの道を通れたのはラッキーだった。 

宿ではドミトリーで相部屋になった船乗りの方と一緒に夕飯を食べながら喋った。数ヶ月海の上に出て働き、帰ってきては1,2ヶ月の休み、そしてまた海の上、という働き方らしい。数ヶ月まとめて働き、数ヶ月休暇がある、という極端な働き方は船乗りか自衛隊員くらいしかできないんだろうか。最近本格的に旅行をライフワークにしたいと考えているので、そういう生き方が選べる職業に興味がある。自営業なら可能なのか。それかノマドワーカーになってパソコン抱えて仕事しながら旅するか。自分としては旅行は完全な非日常であってほしいので、仕事の延長線上で旅行もするのはちょっと違う気がする。難しい。

 

◯ 4日目

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朝は中心地を散歩した。福井駅は恐竜推しだった。この日は恐竜博物館に行きたかったが休館日だったので断念。今度リベンジしたい。福井県庁は福井城跡のお堀の中にある。新潟古町にもある焼き鳥の名店秋吉は実は福井発祥らしい。知らなかった。


宿の方におすすめされたので、海沿いにある越前町へ向かう。

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街の中心部に織田(おた)という地区があり、織田信長の先祖はここの出身らしい。信長の像が立っており、近くには劔神社、その隣には織田文化歴史館があった。

国道365号線で越前海岸へ出る。途中に8番らーめんがあった。別に8号線の沿線だけに限って出店してるわけではないらしい。道の駅越前に寄ったり、カニミュージアムを見るなどする。

 

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画像引用元:https://trafficnews.jp/post/81882

国道マニア憧れのポイント、305号線が直角に曲がり海に迫り出す地点を通過した。2018年7月の西日本豪雨で土砂崩れが発生したため、コの字型に海に橋を架ける形の迂回路が作られたもの。この箇所の事業費は4億円とのこと。自分では上手く写真を撮れず残念。以前から絶対行きたい地点だったので通れて感動した。

 

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305号線をそのまま北上し、福井県坂井市にある観光名所、東尋坊に着く。結構賑わっていた。駐車場に入り料金を先払いするときにおじさんから「ちゃんと帰ってきてね〜」と声がけをされて笑った。投身自殺しそうだと思われたのだろうか。ブラタモリでやっていたのでこの岩は安山岩の柱状節理、と呼ぶことだけ知ってた。崖近くには自殺を思いとどまらせるための電話ボックスがある。東尋坊タワーは8号線沿いに時々見かけるドライブインのようないい寂れ感を出していて良かった。

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東尋坊に着いた時点で車のメーターはちょうど400キロになった。この日はすでに50キロ以上走っていたけれど、ここからさらに8号線を延々と120キロ運転した。山道が多い。いい加減うんざりした頃、石川県を通過し富山県高岡市に着く。

この日泊まったゲストハウスはやや癖が強く、とても良いところだった。

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着くと挨拶も早々にまあ座ってと言われ、ご主人が本格的な茶の湯の道具でお抹茶を出してくれる。外国人客にはとても喜ばれるそうだ。宿泊した部屋は昭和の間と呼ばれていて、昭和17年大日本帝国時代の世界地図が飾ってあるレトロな部屋だった。文字は右から読む。スリランカはセイロン、ミャンマービルマパキスタンはベルチスタンと表記されている時代。イギリスの植民地がそこらじゅうにある。がっつり占領しちゃってるので韓国人の方はこの部屋泊められないかなと主人は言ってた。夜は路面電車を眺めつつ街を歩き、中華料理屋でビールと餃子とラーメンを食べ、銭湯をキメて満ち足りた気分になった。さらにビールを買い込み宿に戻り、他の宿泊客にいたトラックのドライバーさんから物流業界の話を、ご主人からはバイクで日本一周した時の話を聞いた。

 

◯ 5日目

雨が降っていたので観光する気にならず、のんびり帰ることにした。

富山の8号線は片側2車線の部分が結構あり、バイパス部分はとても走りやすい。滑川市あたりに PLANT-3があった。店名の後に着く番号は売り場面積の大きさを表すらしい。

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一応国道8号線の旅だったということで、最後の昼食は8番らーめんの新庄店で締めた。味は普通。

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魚津市の海沿いにある埋没林博物館だけ立ち寄った。2000年前のものもあるというスギの原生林跡。展示は大したことないんだけれど、でかいシアターで蜃気楼の原理についての詳しい解説が見れて良かった。 

 

魚津より東はルールに則り高速を利用してすっ飛ばして帰ってきてしまった。なので、以前富山東部〜県境、親不知、糸魚川地域を旅行したときの写真を貼る。

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カモンパーク新湊という道の駅には、名産であるシロエビが展示されている。そして自分のために作ってくれたのか?ってほどいい案内表示があった。ここから各都市への8号線を使った所要時間の一覧。

 

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旧北陸街道の難所、親不知は結構見所があって面白い。8号線と高速のどちらからも入れる道の駅、親不知ピアパークには翡翠ふるさと館という展示スペースがあり、ヒスイ関係の展示のほかに最高のジオラマがある。この地点は海と山のわずかな隙間にJR北陸本線国道8号線、高速の北陸道が3本並んで通っている。高速に至っては立体で8号線と交差し、完全に海に迫り出しているのだ!この手の構造物が好きなのは何マニアと呼ぶのかわからないが自分は大好きである。

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ちなみに富山から新潟へ入って最初の地名は市振といって、ここにも小さな道の駅がある。2階の資料館に糸魚川ジオパーク関連の展示がある。この地域は地理の分野で結構有名で、糸魚川-静岡構造線で日本東西の分かれ目になっていたり、珍しい地層が見られたりと知るほどに面白い。フォッサマグナミュージアムは2回行った。2018年の秋には「宝石の国」展があり、各種鉱石の展示とその石に因んだキャラクターのパネルが並んでいて見応えがあった。

 

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福井県内の道の駅では「道の駅カード」なるものが購入できた。1枚200円。スタンプラリーもやっていたけれど道沿いにない駅は行かなかったので制覇はできなかった。全然関係ない奥只見ダムカードはダム近くにある電力館でもらえる。付近に電源神社という面白い神社があった。

 

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帰宅した時のメーター。車で移動した4日間の走行距離691.9km、船も含むと5日間で1,200kmほど移動したことになる。国道観察より普通に旅行に夢中になってしまったが多分正解だった。これから冬になり長距離ドライブはしなくなると思うけど丁度良いテーマを見つけてまたやりたい。あと最近友人のフォレスター(X-break搭載)に乗ったら超快適だったので頑張って新車を購入したい。なんちゃってジムニーにはロングドライブは無理がある。

伊豆大島旅行記

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2019年9月21日〜22日の日程で、伊豆大島を旅行した記録。

 

伊豆大島へは船で渡った。JR浜松町駅近くの竹芝桟橋から東海汽船に乗ることができる。このほかに静岡の熱海や下田からも就航しており、大島へ渡る一番定番の手段がジェットフォイルのようだ。この日は7時台に2本、8時台も2本と結構本数があり、自分は8:25発の切符を買った。例によって今回の旅行を決めたのが前日だったため、ネットや電話でできる事前予約をしていない。それでも普通に窓際の席が取れた。3連休の初日なのでかなりの混雑を覚悟していたのに拍子抜けだった。

釣竿とクーラーケースを背負った釣り目的の集団と、ロードバイクが入っているであろう大きなバッグを抱えたサイクリング目的の集団に挟まれながら搭乗する。2階建の1階席。九州あたりに台風が来ていたが大した影響はなく、そこまで揺れなかった。

 

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ジェットフォイルには「セブンアイランド」という名前が付いており、今回自分が乗ったのは「愛」という名前だった。これを含めて現在4隻が就航しているようで、いくつかの船は名前とペイントが非常にダサくて好感が持てる。この船が一番マシだった。特に「大漁」がなかなかすごい。漁船みたいな名前とまさに大漁旗みたいなデザイン。

前日に大島行きを思いついた時、船がどこから何本出ているかはすぐ調べられたけれど、万が一欠航しないか、という点が心配だった。東海汽船のサイトによると出港当日の朝にしか情報が出ないようだ。調べていくうちに、大島在住の気象予報士の方がやっている就航予想のサイトがあった(伊豆大島 気象と交通 )。出発、帰着日に丸が付いていたのでひとまず安心して乗れた。就航予想以外も、気象関連の詳しい解説があったり、経営している鶏園の卵の販売状況を無人カメラで中継していたりと面白い。一般の人が完全に趣味でやってます、って感じが良い。

 

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 竹芝桟橋から120キロ、1時間45分で大島へ到着。着くとすぐにガラス張りの綺麗な建物がある。帰る際に入って知ったが、船の切符売り場やお土産物屋が入った施設だった。津波が来た際の避難場所にもなっているようだ。

出口には船の到着に合わせて2台のバスが来ていた。一台は三原山の山頂口へ、もう一台は元町港へ向かうらしい。前日に予約した宿は元町ってとこにあったな、と思いそちらに乗る。

バスの車窓を見える景色は、ちょっと田舎な普通の街だ。まるで人がいない場所を想像していた。後から知ったが住民は7,500人ほどいるらしい。自動車学校まであって驚く。パチンコ屋もあった。風が強い地域のためか家は平屋が多い。空港には小型のプロペラ機とヘリがあるのが見えた。

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元町港に着く。後に出てくるタクシーの運転手さんに聞いてようやく分かったけれど、大島には島の北側にある岡田港と西側の元町港という2つの港があり、その日の風向きによって船が出帆する港が変わるらしい。ちなみに自分が滞在した2日間は岡田港だった。朝にならないとどちらを使うかわからない。はずれの側の港にいても、出帆港行きのバスが出るので時間が合えばなんとかなる。あとすげえ雑なポスターが良かった。

 

今回も例によって特にこれといった旅の目的を持たずにここまで来てしまったため、観光案内所でパンフレットをもらいようやくどこへ行こうか考える。そもそも何故大島に来たかといえば、本当に思いつきで「島に行きてえ」と思ったからだ。遠くに行きたい、遠くといえば島、絶海の孤島へ行ってやろう…。そう、正直に言えば青ヶ島のような孤島、自然しかないポツンとした島へ渡りたかった。が、時間と費用が足りないのは明らかなためすぐ断念。しかも翌日熱海で友達と合流する予定まであったので、気軽に行ける島でのんびりできるところ、というわけで近場の大島に落ち着いた。近場でもないけど。宿だけ予約して勢いで来たため、本当になんの予定もなかった。この時点で遠くに来るという目的はある意味達成している。

さっき三原山を登るバスに乗れば観光気分を味わえたのかな、でも天気も微妙だしな、と考えているうちに「火山博物館」なるものがあると分かり、徒歩で向かう。

 

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外観が割と立派な建物。 500円払って入館すると、ガイドの者が居りますが解説聞きますか、と言われる。せっかくなのでお願いすると、登場したおじさんにどれくらいで見て回りますか、と聞かれるので1時間くらい、というとそれなら十分ですねえと嬉しそうに言う。三原山は30~40年に一度ほどのペースで小規模な噴火すること、それを観察するため観測所が至るところにあること、噴火時は研究者や観光客が押し寄せるので島には割と恩恵があること、1986年の大規模な割れ目噴火では全島民が一時避難したこと、などを1時間フルに使って丁寧に解説してくれた。噴火というと生活を破壊される天災のイメージが強かったけれど、島の人からしたらそうでもないらしい。私の親父なんかは子供の頃流れてる溶岩を木の棒でつついて遊んでいたらしいですよ、などという。割れ目噴火でも起こらない限り、三原山は基本穏やかな噴火のため、地形が変わり被害が出るような噴火は数百年に一度らしい。2階にあるシュミレータ・カプセルは大したことなかったけどなんか笑えてよかった。結局1時間半くらいいたけど、その間自分以外の来場者は来なかった。

外へ出ようとすると、これからどうするのと聞かれどうしましょうかと答える。天気が良かったらせっかくだし山でも登るんですが、と言うと今日は天気は持ちそうだし火口を見てきなよ、と三原山頂口へのバスを調べてくれた。親切。すると10分後のバスで元町港から岡田港へ戻れば山に登れる、と分かり急いで出発する。

 

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岡田港で食べたべっこう丼。めっちゃ美味しい。岡田港から山頂口へ向かうバスはこの便が最終だったためか乗客は自分だけだった。運転手さんのすぐ後ろに座り、道中ずっと喋っていた。

山の中腹あたりで猿を見つけて、猿いる!と言うと野生のが結構いるんだよ、と平然と言う。そういえばバス停に「キョン捕獲について」という役場の通知が掲示されていたので調べると、鹿の一種が動物園から脱走したものが野生化して島に一万頭ほどいるらしい。島の人口より多い。なんでもありかよ…。

 

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山頂口に着き、火口を目指して歩く。45分かかる、とあったけど30分ちょっとで登れた。かなり風が強い。所々に噴火時の逃げ場となるシェルターがある。登り切ると、溶岩と草に覆われた大地が一望できる。日本じゃないみたいだ。三原神社にお参りしてから、さらに10分ほど歩いて火口の展望スポットへ。

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火口付近では煙が登っている地点もあった。ゴジラみたいな岩がある。チャリで来た強者もいるようだ。お鉢めぐりという火口を歩いて一周するコースもあったけれど、疲れてたのでパスした。日本で唯一「砂漠」と表記される「裏砂漠」はちょっと見たかった。

また30分ほどかけて山頂口へ戻る。お土産物屋でアイスを買って食べていると、店のおばさんにあんたどうやって帰るの、もうバスないよ?と心配される。スカイラインを歩いて元町へ向かいます、と答えると、それは大変だよ…と心配される。あと4,50分したら店閉めるから車載せてあげようか、と言ってくれた。せっかくの親切を断るのも気が引けたが、博物館のおじさんが徒歩でも1時間で降りてこれると言ってたので歩いて戻ることにした。この選択をすぐ後悔することになる…。

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山から元町へ降りる道は「御神火スカイライン」というらしい。先日の台風の影響で木がなぎ倒されており、車両は通行止になっていた。しかし歩いては通れる、無理をすれば。かなりの急勾配で20分くらいで足が攣りそうになる。おまけにスニーカーの底が破けたのか一歩ごとにパフッ、と幼児の靴みたいな哀れな音がする。街灯もないので、なんとか日没までに下山せねば、と必死に足を動かす。気分転換の観光目的で来たちょっと南の島で、俺は何故こんなに難儀な状況なんだ、と自問しながら歩く。結局1時間半くらいかかり、ボロボロで街へ降りてきた。

夕飯時だったので目の前にあったホルモン焼きの店に入ってビールを飲む。ラジカセから流れる上方落語を聴きながら肉を焼く。メニューに「盛若」という焼酎があるのを見つけた。昼間のバスの運転手さんが絶対に飲んでおけ、とオススメしてたやつだ、と嬉しくなって注文してみる。めっちゃ美味しい。焼酎は全然詳しくないけれど、これは相当美味い部類のやつな気がする。ラベルには神津島酒造とあり、神津島といえば「天気の子」のすぐ銃撃つ主人公の出身地だと思い出す。

宿に帰る途中、すぐ後ろを歩いていた酔っぱらいが大声で猥談をしていたのに突然「うわ星めっちゃ綺麗だ!」と叫ぶので見上げると雲の隙間から星空が見えた。虹とか星空とか、こういう突然遭遇してちょっと得した気分になる風景っていいなと思う。高速道路を運転していたら通りすがりの街で花火が上がるのが見えたとか、朝方に目的地へ着く飛行機の機内で朝日が見ることができた、みたいなやつ。

 

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翌朝は晴れていた。自分が泊まった元町ではなく岡田港から船が出るとのことで、バスを逃したのでタクシーで移動する。この運転手のおじさんが博識で、喋っていて楽しかった。自分が新潟から来たというと、大島は佐渡の9分の1、淡路島の6分の1くらいの大きさでねえという面積の話に始まり、ここにきて大島情報がどんどん入ってくる。本土からの運搬の都合でガソリンは180円、乗ったタクシーはハイオクのため190円もするらしい。島の車は全部品川ナンバー。大島には一部東北の出身者がいる、なぜなら昔は冬場東北で仕事がない時期、島に来て木を焼き炭を作る仕事に来る人たちがいて、その人々が住み着いた結果だという。元町港と岡田港の出帆港の変わり方もこの人が教えてくれた。「外国人のお客さんにこれを説明するのは面倒でしてね、まあsafer portを使うって言っとく。以前はpeaseful portって言ってたけどそれじゃ幼稚だと言われましてね」と笑っていた。

 

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ジェットフォイルに乗り、昼前に熱海に着く。ここから友人と合流して伊豆半島を旅行したり、東京近郊を数日ふらふらと彷徨ってから帰宅した。車があると交通機関の時間に縛られずに自分のペースで旅行できるので良い。最近は大して目的もなく適当な旅行をすることが自分の中で救いになっているので、気軽に行けるようにもっと時間とお金の余裕が欲しいと思う。気ままに知らない土地へ行って、何をするでもなくのんびりと過ごしたい。それなら近場の適当な温泉でも良い気がしないでもない。でも本当に心を休めるには、忙しない日常を送っている自分が住む街から物理的に遠い距離を移動する、ということが案外重要な気がする。自分にとっての旅行は日常からの逃避だ。いつも遠くへ行きたい。