状況が裂いた部屋

音楽と映画と生活

小旅行の夜

フロントのおじさんに鍵を渡し、外に出る。雨が降っていたので、フロントに戻り「傘って借りれますか?」と聞くと、少々お待ちください、と言われたので壁に貼られた地図を眺めながら待つと傘を持ってきてくれた。「他のお客様が使われたので少し少々濡れておりますが…」「全然大丈夫です、ありがとうございます」受け取った傘は触ると確かに濡れていたが、どうせこれからまた濡らすし。『濡れない傘はない』というフレーズを思いつきながら外に出る。街灯に翳して時計を見ると19時半。とりあえずあてもなく歩いてみる。左手に駅があるのは来るときに見えたので、そちらへ歩くと1分も経たずに高岡駅前に出た。左手に食事ができそうな店があったがチェーン店感があったので候補に入れず、ビジネスホテルの前まで戻り駅から離れる道を歩いてみる。一軒居酒屋があったが宴会向けのでかい店舗だったのでこれも通り過ぎる。コンビニに入りGoogleマップを見ると、繁華街は駅の反対側にあるらしい。外出る前に調べるんだったな、まあこれも一興、と思いつつ最寄りの居酒屋を探し、そこに決めて向かう。着くとこじんまりした個人経営の居酒屋、という感じなので思い切って入る。雨も降ってるし。


一人です、というとカウンターに通される。メニューを見ると普通の居酒屋の価格で安心する。おしぼりを渡された時に生お願いします、と言ったが店員さんに聞こえなかったらしく行ってしまった。恥ずかし、と思いながらメニューを眺め、揚げ物食べたいな、たこ唐揚げだな、と思い別の店員さんに注文する。しばらくテレビを眺めながらビールを飲む。せっかく富山に来たんだし魚を食べるか、でも昼間一応寿司食べたしなあ、と思ってるうちに隣に客が来たのでひとつ席を詰める。見渡せば狭い店内はカウンターしか空いていないほど混んでいた。入ってくるときは混んでる感じなかったのに。入ってきた男女はどちらもレモンサワーを頼んで、お互いの携帯を見せ合いながら仲睦まじく盛り上がっている。左手はこの時間でもうベロベロのおじさん二人、右手はカップル、囲まれたな、と思いながらアイコスの電源を付ける。ひとり飲みの人がいたら話しかけようと思ったのに。まあ仕方ないかとiPhoneをつつく。聴こえてくる会話のイントネーションがかなり関西寄りで、西に来たなと感じる。ここへくる途中立ち寄った糸魚川の展示館的なところでこの地点が東西の文化の境目である、と書かれていたが、言語では少し実感した。あたしの彼氏、出身が新潟なんだけど、と右の男女の女性の方が言うのが聞こえて、いやあんたらカップルじゃなかったのかよ…と思う。男の方が彼女の愚痴を話し出す。それぞれ彼氏彼女がいてそれでもサシ飲みできる親しい友達か、素敵じゃないか、wouldn't it be nice、と連想しながら芋焼酎に切り替える。さっきからマスターと呼ばれてるおじさんが目の前で作業してるのでおすすめのお刺身でも聞こうとしたら奥に行ってしまう。どうも店員さんと間が悪いな、と思いながら携帯をつつく。時間がないときに見つけ、リーディングリストに登録していた読み物を片っ端から読む作業。当たりもあればつまらないものもある。「孫悟空とは何者だったのか」「vaporwaveとその観察者的効果」あとは新作映画のレビューや「ハン・ソロ」のあるシーンにBACK TO THE FUTUREへのオマージュがあった、という話題などなど。なかなか読み応えがあって、少し酔いも周りいい気分になってくる。これまで触れてきた映画や小説でも気付かず見過ごしてきたオマージュが沢山あっただろうけど、それで作品の魅力が損なわれるわけではないし。でも知ってたほうが面白いしなあ、玄人ぶる人たちはそういった小ネタや舞台裏の話を語ることですぐ通ぶるんだから…でもそれはそれで楽しいしなあ、最近思うこととして、最高の創作物に触れたら余計な御託を垂れずただ「最高!」っていう感想、それだけでいいのでは?ディテールを語るのはある意味野暮な行為では、などと考える。でも語りたいものは語りたい、飲み会であるシーンを同じように捉えた人を見つけてブチ上がりたい…会話の中でそれを全て伝え合うのは難しい、やっぱり文章に書き出して、残る形にすることが一番いい手段か、でも会話の形態でしか出てこない言葉もある訳で…などとぐるぐる考えてるうちに2時間以上経っていた。お会計をして、意外と高く付いてうむ…と思う。レジの店員さん可愛かったなあと思いながらコンビニで話題のチューハイとつまみを買い、ホテルに帰り、傘を返し、シャワーを浴び、テレビをBGM代わりにして文章を打って今に至る。

禁断の多数決に首ったけ

 


禁断の多数決「トゥナイト、トゥナイト」
輝くネオン、打ち上がる花火、アンニュイな感じの女の子、謎のコンテンポラリーダンス、怪しさと華やかさ、危険な香りと劇薬のような刺激、ミステリアスでエロティック、ロマンチックでどこかグロテスク、めちゃくちゃに見えて計算されつくした絶妙なバランス、ミニマルさと壮大さ、果てしない遊び心。どこまでも無邪気でかつ幻想的な世界観。語り尽くせないほどの魅力が詰まっている。

あらゆる創作物をごちゃ混ぜにして、それをこんなに美しい表現として映像に落とし込むセンス。なんなんだろうこの人たちは。


初めてこのPVを観たときには、全く脈絡のない画のカオスな連続が脳内で処理できないという若干の拒絶感を感じ、しかし同時に矛盾するようだけれど「全ての画が強い、そして美しい」という魅力に惹きつけられて、気がついたら狂ったように繰り返し観ていた。どうやって思い付いて、どうして撮ってしまったんだ、というナンセンスとも言えるシーンの応酬。全てがやたらと色っぽい。カットが加速する終盤から笑顔に収束するラストまでの流れが最高。あと登場する女の子がみんな可愛い。

そして自分の記憶にどこか引っかかるものを感じて思い出したのが、小さい頃に観た深夜番組だ。夜中に目が覚めた時、ふと横を見ると親の肩越しにテレビが見える。画面に映っているのはキラキラした女の人ばかりで、時々出るデカい文字や(まだテロップを知らなかった)派手な音楽から、なんとなくあやしい雰囲気を感じ取った。内容は全然わからないけれど、自分の知らない世界を覗いてしまったという畏れと少しの興奮。大人たちがこんな夜中にわざわざ起きてまで見るなんて(そして子供にはもう寝なさい、と言って絶対見せてくれないなんて)さぞかし面白いものが放送されてるんだろうな、と思い込んでいた。あの頃のおぼろげな記憶の中にある「大人たちの好きな怪しい世界」と「サブカルチャー的な何か」という謎に包まれていた概念が、ついに形となっていきなり目の前に現れた、という受け取り方をした。

 


tonight, tonight R18+vanilla night - kindan no tasuketsu

ちなみにこのPVにはR18版と銘打った別バージョンがある。割と怖い。兎丸愛美が美しい…。殆ど同じ映像の編集でここまで不気味になるものか。


この「トゥナイト、トゥナイト」が2013年。YouTubevimeoにはPVの他、ゆるいアルバム紹介や全く訳の分からない映像まで合計50本以上が上がっている。その全てが独特の雰囲気を持った凄い完成度の作品で、本当に面白い。中心人物であるほうのき氏が監督を務めることが多いが、グループ外の人が撮ったものやイラストレーターでもある大島智子の作品もある。

あらゆるアイデアをぶち込んで、こんなにぶっ飛んだ傑作を生み出してしまうほうのきかずなりという人間はどんな人なんだろう。創作の根源みたいなものはどこにあるのか。曲や映像のはどこから着想を得ているのか、どんな人生を送ったらこんなものが作れるのか。一時期ネットに上がっているインタビュー記事を片っ端から追って読んだ。ツイッターやインスタをフォローしているけど、かなりの映画フリークらしい。確かに知識のない自分にもこれはあの映画へのオマージュかな、とか、あの作品の雰囲気が出てるな、とか連想できる映像がいくつかある。一度飲んで話してみたい。


禁断の多数決は目まぐるしくメンバーが入れ替わるグループで、最近wikiが更新され(多分スタッフの手で)、何年に誰が参加したかがやっと判明した。現在第4期が始まっているらしい。アルバム1枚取っても曲ごとにボーカルが変わるし、曲調もバリエーションがありすぎて明確なジャンル分けなどとてもできない。しかも1枚20曲とか入っている。おそらくライブより飲み会が多いゆるい活動スタンス、毎回やたらとコンセプトが強いイベント、ツインピークス的世界観、ほうのき氏が撮る映像や映画、ZINEに載っているシノザキサトシ氏の独特の音楽レビュー(たまらなく好きな文章だ)、そして新倉のあガチ恋オタクな自分としてはブラジルの癖の強い可愛さなどあまりにも色々な面から語りたいグループなんだけれど、ここでは映像に、それもほうのき氏の作品にフォーカスして書く。

 


禁断の多数決 - さようならマイワールド

禁断の作品の中でも一番好きなのがこれ。初期のアルバム「禁断の予告編」に収録されている。遊ぶ子供たち、夕暮れの海岸、一面の雪原を歩く女の子、闇に浮かぶモノレール。特別な撮影方法が使われているわけでもなく、遠景とぼかしだけでこんなに美しい映像に仕上がるものなんだろうか…。いつも感心しながら見ている。ほうのき氏は富山在住とのことで、スケートリンクの場面などは富山のスケート場のものっぽい。禁断の映像によく登場する風景は「こんな画がほしい」と思ってロケに行くわけではなく、彼がどこか行ったときに「これ使えるな」と思ったものをその場で撮ったりしている気がする。インスタでガソリンスタンドの絵を気に入って撮影させてもらったとか言ってたし。メンバーが登場する映像は彼が上京した時に撮っているらしい。照明と影がクリーンな質感で、とにかく美しい映像。

 


禁断の多数決 - Great World of Sound

最高のアルバム導入曲。禁断のPVには時々、何故か元ふぇのたすのみこが出演している。恍惚とした女性の表情がエッチすぎる。初期のやたら森に行ってなんかやってる変な人たち、というあの感じが見事にぶち込まれている。禁断の活動にはお化け屋敷の開催や近所の子供たちとのペイント遊びなどがあったが、ハロウィンに仮装行列行進をやってみたり、EPのタイトルにクリスマスやお正月を入れちゃう、などイベント行事が好きらしい。「Santa Claus Is Coming Back」「Merry Christmas Mr.Walken」などやたらクリスマス推しなのが良い。

 


禁断の多数決 - The Beach (Original Ver)

映像もボーカルも、輪郭がおぼろげで重なり合う感じが良い。「午後の冒険者」でも主演してるけれど、当時高校生であったはずの阿部はりか、佇まいとか表情とか惹きつけられる。初期の中心だった尾苗愛&ローラーガールが脱退し、その後メンバーが入れ替わった2014年に「エンタテイメント」EPが出て新生禁断が始まる、というタイミングで脱退してしまったので当時は結構悲しんだ。2015年に出るはずだった新譜が吹っ飛んだのはなんだったのか。阿部はりかはその後は演劇の表現に向かっていったけど、今年公開の監督映画「暁闇」をめちゃめちゃ楽しみにしている。

初期の代表曲。サビが完全にペットショップボーイズ「Home and Dry」だと指摘されていたが確かに完全にそれ。阿部はりかとお馴染みの人形たちの行進のシーンで、いつもフレーミングリップスの「Do you realize??」のPVを連想する。ほうのき氏の謎のダンステクはなんなんだろう本当に最高。曲としても名曲。中盤の間奏のベースラインがシンプルに好き。「アニバーサリー」や「ココアムステルダム」などベースがめちゃめちゃ良い曲が時々あるけど誰が弾いてるんだろう。

 


禁断の多数決 - In The Mouth A Desert (Pavement cover)

Pavementの名曲カバー。なんとなく青春、って感じがする。セピア色のフィルム越しの尾苗愛が美しい。気怠いボーカルも良い。時々観ては何故か泣きたくなる。

 

貼った動画を見返したら2013年頃のものばかりになってしまった。最近の活動も面白く見てるんだけど。この半年は第3期を総括するようなライブをやっていたようで、「真夏のボーイフレンド」を数年ぶりに披露したらしい。観たかった。ちなみに曲で一番好きなのは加奈子ボーカル曲の「Blue」。ブラジル作詞のシューゲイザーソング「チェリーフォールズ」(ほうのき監督作品ではないが)や、作曲陣が手がけているJC+The Mechanicsの「Night Breeze」など、シューゲ要素のある映像もすごく良い。あと割と最近の映像はVaporwave風味で良さがある。もともと活動初期はコラージュ画をHPに多く上げていたりしたし、そういった方面に接近するのも納得。第4期の新曲がもうすぐリリースされるらしいのでずっと楽しみにしてる。また初期のぶっ飛んだあの感じ、訳がわからないけどなんか面白そうなことしてる集団、って感じの表現をやって欲しい。

  

Silver Scooter 「Pumpkin Eyes」


Silver Scooter - Pumpkin Eyes

When you walk away
Take my hand to stay
Think of what you've been dying to, been dying to, been dying to say
Pumpkin eyes you are a dream
Look away from everything
Seems like what you wanted, isn't what you wanted anyway

Later on, we're on the porch
Saying horror stories of ghosts

Think of what you've wanted
Been dying to say, dying to say

Pumpkins eyes, were on the swing
Look away from everything
Seems like what you've wanted
Fell on over me


Pumpkin eyes you are a dream
Pumpkin eyes you are a dream
Pumpkin eyes you are a dream
(Seems like what you've wanted, isn't what you wanted anyway)
Pumpkin eyes you are a dream
Keep away from everything
(Pumpkin eyes you are a dream)
Seems like what you've wanted, isn't what you wanted anyway

Pumpkin eyes
Pumpkin eyes
Pumpkin eyes
Seems like what you've wanted, isn't what you wanted anyway
(Pumpkin eyes)
Pumpkin eyes

Seems like what you've wanted
Fell on over me

 

(和訳)

君が歩き去っていくなら

僕の手を取って連れて行ってくれ

ずっと言いたくてたまらなかったことを想像してくれ

橙色の目をした君は夢

一切から目を逸らしてくれ

君が望んだものは、どうしても君が欲したものじゃないように思える

後で一緒にベランダでホラー映画の話をしよう

ずっと言いたくてたまらなかったことを想像してくれ

揺らいでいる橙色の目よ、

一切から目を逸らしてくれ

本当はその視線を僕に注ぎたかったんじゃないのかい

 

橙色の目をした君は夢

橙色の目をした君は夢

橙色の目をした君は夢

君が望んだものは、どうしても君が欲したものじゃないように思える

橙色の目をした君は夢

一切から目を背けてくれ

君が望んだものは、どうしても君が欲したものじゃないように思える

橙色の目よ

橙色の目よ

橙色の目よ

君が望んだものは、どうしても君が欲したものじゃないように思える

橙色の目よ

本当はその視線を僕に注ぎたかったんじゃないのかい

 

国道8号線を巡る冒険

国道8号線は、新潟県新潟市から京都府京都市へと続く国道である。一般国道の長さとしては日本第6位の距離であり、そのルートの起源は古くは北国街道にまで遡ることができる。北国街道といえば、とある地方大学の文系学生が「北陸新幹線のルート選定に関する歴史的経緯」という卒業論文を書いた際に大きく取り上げ、院生であるゼミの先輩に添削を依頼したところ「(近現代史ゼミが主にテーマとして扱ってきた明治〜昭和初期の政治史と)あんま関係なくない?」と突っ込まれ、それを無視して3万字あまりを書き上げた、というエピソードがある。論文としてはまあまあ面白いし割と良い出来だと思うんだけど。

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(地図:wikipedia国道8号線」のページより引用)

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/国道8号

新潟県民にとって「8号線」は生活に深く根付いている。新潟市民からすれば「新潟バイパス」のイメージが強いだろう。「白根を通って燕のほうに抜けるあの道」くらい認識の人もいるかもしれない。長岡市民にとっても市街地から新潟方面へ移動する際は必ず通る道である。十日町方面の人間には同じく国道の「253号線」の方が馴染み深いかもしれない。上越の人間は大抵上越JCから高速道路に入るためあまりイメージがないかもしれないが、下道で新潟市へ出ようとすれば1度は経由する。とにかく面積のでかい県を南北に縦断する、主要な幹線道路として機能してきた。

 

最近車も手に入れて、自分の中でロングドライブの機運が高まっていたため、8号線を使って新潟県を縦断してみることにした。特に目的や意味はない。上越-長岡-新潟という上中下越の中心となる街を通過し、その間のパチンコ店と中古車屋ばかりの車窓を観察して、これぞ地方都市の幹線道路だ、という雰囲気を味わうのはなかなかに良かった。

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夜20時半に上越高田を出発。少し雨が降っている。

バイパス(国道18号線、南へ進むと長野市へ続く)で直江津方面へ出て、すぐに8号線に乗ることが出来た。ここから道沿いにひたすら北へ進む。

郊外へ出るとすぐに片側2車線が1車線に減少する。大きな交差点前では2,3車線に増えるが、またすぐに1車線。時々工事中の表示の先で交互通行になったりするが、夜も遅くなると大抵解除されていた。闇に半分溶けて立って警棒を回している人形が、なかなか不気味で良い。

柏崎方面へ順調に進み、しばらく海沿いを走る。柏崎刈羽原発の灯りが遠くに見える。湾曲した海岸線のため海越しに見えるので、さながら漁船の篝火のようである。そういえば夜景としては優秀なのに、夜の工業地帯みたいな夜の原発の写真はあまり見ないなと考えながら運転する。崖と海の狭間のカーブが多い道。土日はバイク乗りたちが多く走っている。

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8号線ファンにとって重要なスポット、8号線と116号線が分かれる分岐点。116号線はここが始点である。角度的に一つの三叉路にはならなかったようだ。面白い。

ここより海から離れ、方角的には北東の、内陸の長岡市街地方面へ進む。

8号線で北へ向かうと、途中数回も北陸自動車道と交差・接近する場所があり、「下道疲れたから高速乗っちゃおうぜ」と言わんばかりにインターチェンジを示す緑の看板が登場する。長岡ICや中之島見附ICは特に乗りやすい位置にあるので誘惑が強い…が、なんとか最後まで下道で行った。

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長岡あたりではこの道が新潟と高崎へ続くような標識を多く見かける。高崎へ行こうとすると17号線そして117号線を経る必要がある。長岡の郊外へ出ると、高架のバイパスになる8号線と17号線に分かれる分岐があった。このあたりの沿線には飲食店や薬局、コンビニなどが数多くあり結構賑やかだ。

見附を通過し、三条あたりに到達したところで一旦8号線から離脱し、真っ暗な農道を走って116号線へ乗り換える。この時点で23時くらい。知る人ぞ知る最高にディープな自販機がある店に行くためだ。

 

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「公楽園」。前から行きたくてしょうがなかった場所だ。深夜のためお化け屋敷感がすごいが外観は実際そんな感じである。1階がゲームコーナー、2階が宿泊所になっている店。

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トーストサンドの自販機…初めて見るしここ以外で見ることは無いのでは、と思う。いや、供給してる業者がいるということは他もまだあるのかもしれない。いくつか壊れているものもあったが品数はなかなかに充実している。トーストを試して見たかったが長岡で食べたラーメンで満たされていたため断念。

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ゲームにあまり興味がないので他は覗いた程度だけど、なんとなく昭和な光景が良かった。おじさんたちが煙草を吸いながら没頭している。

この後は8号線に戻るのが面倒だったのでそのまま116号線で北上する。沿線のラブホテルを数えつつ、全てローソンになってしまったセーブオンに思いを馳せる。日付が変わった頃、ようやく巻・岩室を経て新潟市へ到着した。休憩しつつのんびり運転して3時間半ほど。長旅だった。

 

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翌日に古町の本町交差点へ行き、国道8号線の始点を確認した。新潟市中央区本町通七番町1054番2。7号、8号、116号、113号、17号、289号、402号、350号という一般国道8路線の起終点となっている地点。日本最大らしい。田中角栄万歳。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/本町交差点_(新潟県)

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すぐ隣には道路元標があった。

 

角栄といえば、国道350号線という新潟市佐渡市上越市を結ぶ、海上の航路も含む珍しい国道がある。これを発案し建設省に作らせたのは角栄らしい。1975年国道認定。

陸上を通る日本最長の国道は東京-青森を結ぶ国道4号線だが、海上区間を含むと鹿児島-沖縄を結ぶ国道58号線(884.4 km)である。これは国道350号を真似たのか?と調べたらそうでもなく、58号線の認定の方が早かった。アメリカ占領時「Highway No.1」と呼ばれた道路が起源らしい。この辺りの歴史を調べるのも面白い。調べていると行きたくなってしまうんだけれど。

 

映画「64(ロクヨン)」

「君は悪くない」。

15年間部屋に閉じ篭った男は、そう一言だけ書かれたメモを読んだ途端、声にならない叫びを上げて涙を流す。自分を責め続けたひとりの人間が救われて、止まっていた時間が動き出す瞬間だ。

横山秀夫の警察小説「64」の劇場版。前編と後編に分かれる総計240分の大作だが、クライマックスは間違いなく前編の終盤、この引き篭もりになった元警部が主人公から救いを与えられるシーンだ。


15年。あまりに長い時間だ。

昭和天皇崩御により一週間しかなかった昭和64年、その間に起きた小学生の身代金誘拐事件。身代金は奪われ、犯人は逃走し、少女は無残に殺されるという最悪の結果に終わった。

それから14年が経過し、時効が迫った平成14年の県警が本作の舞台である。事件当時「ロクヨン」を担当していた三上という刑事が主人公。三上は現在刑事部から異動され、報道官として記者クラブとの交渉に明け暮れている。

警視庁長官の事件視察のため、被害者の家を久々に訪れた三上は、真っ白な髪に生気のない目をした、廃人のような被害者の父雨宮芳男に会う。被害者の母は既に死んでいた。

 

この映画にはいくつもの象徴的なシーンがある。

だだっ広い空き地に立つ公衆電話。この作品では電話が重要な意味を持つ。この公衆電話と、雨宮の家に無造作に置かれている電話帳、そして雨宮の指紋が削げ落ちた指先が結びついた時、三上はこの父親が背負ってきた15年間という地獄のような時間を思い知る。58万件という途方もない数の家から声だけで犯人を探し出した雨宮の執念。犯人に復讐する、ただそれだけに執着して生きた15年という時間。目崎の声を聴いた途端、目を見開いて驚き、そのまま電話ボックスで崩れ落ちて笑い泣いた姿。ある意味、この瞬間雨宮は救われたと言える。胸が張り裂けるようなシーンだ。

三上の苗字が「ま行」で目崎より少しだけ早い、というのも伏線である。

事件当時、娘を誘拐した犯人の身代金の受け渡しに奔走する雨宮が、スーツケース乗せたセダンを必死に運転する姿も印象的だ。一度雨宮が三上の前を横切る瞬間、スローモーションになる演出があるが、この時の鬼の形相で前を睨む父親の顔は、「後編」で吉岡秀隆演じる幸田が車を運転する時の表情に重なる。「幸田メモ」を闇に葬られ、15年間雨宮と共に苦しみ続けた幸田の全てを投げ打った行動は、善悪を超えた凄みがある。


原作小説に忠実な(ラストは違うが)ストーリーの良さはもちろん、刑事たちの人間ドラマらしい生々しい台詞も良い。三上が廊下ですれ違った同期で出世頭の二渡に対して投げつける「次は俺をどこに飛ばすか、人事の頭でも捻ってろ」という台詞。さらに、記者クラブと広報室の飲み会で秋川が三上に対して「美雲はまだ誰にも抱かれてないですよ」と囁くシーン。刑事モノはこうあってほしい、という生々しさが詰まっている。

 

しかし改めてキャストを見ると、この人も出ていたのか!と驚くほど豪華だ。三浦友和奥田瑛二は渋くてやはり刑事は似合うな…と思う。記者に吊るし上げられる第二刑事課長が柄本佑なのも似合いすぎてる(安藤サクラと結婚したので奥田瑛二の義理の息子である)。広報室係長は綾野剛だし、事件から引き篭もっていた若い刑事役は窪田正孝だった。そして顔を髪で隠しているので全然気づかなかったが、三上の失踪中の娘は芳根京子が演じていた。


敢えて言うことがあるとすれば、ポスターがダサい所くらいか。これだけ豪華なキャストなら顔を出したいんだろうけれど、先述した象徴的なシーンとタイトルのみ、みたいな思い切った絵にして欲しかった。とにかく内容は、特に前編は素晴らしいので全ての人に観てほしい。

64-ロクヨン-前編
 

 

 

追記:「豪華版」のDVDはカバーがまさに自分が切り取ってほしい風景とロゴのみのデザインで、これだ、と声を上げてしまった。何故最初からこれにしなかった… 街と街灯、廃車が投棄されている空き地と鉄塔。作品の雰囲気が表れている良いデザインだと思う。

64-ロクヨン-前編/後編 豪華版Blu-rayセット

64-ロクヨン-前編/後編 豪華版Blu-rayセット

 

 

宮本輝「青が散る」

 

 そうしてこんなにも哀しく、寂しいのだろう。テニスに打ち込む主人公を描いた青春小説だというのに、読後まず浮かぶのは「寂しい」という感想だ。これは初めて読んだ学生の頃から変わらない。むしろ読み返すほどにこの寂しさ、無常感は強まるばかりだ。

 ストーリーからはこの寂しさは伝わらない。関西に新設されたとある大学へ気の進まぬまま進学した主人公・椎名燎平は、入学手続きの日に大手洋菓子店の令嬢、夏子に一目惚れする。巨漢に眼鏡という出で立ちの男・金子と出会いテニス部に入部した燎平は、夏子とは微妙な関係のまま、ひたすらテニスに打ち込む毎日を送る。テニス部の同期やライバルのほか、薄暗い喫茶店にたむろする学ランの応援団、野球を諦めたフォーク歌手など、学生生活の中で出会いながらかけがえのない日々を淡々と過ごしていく。

 

 主人公はテニスに熱中しており、猛烈な練習の末にインカレ出場まで果たすというのに、この小説の主題はスポーツのみにあるとは思えない。明らかに燎平の生活はテニスを中心に回っており、試合のシーンや練習風景はしょっちゅう描かれている割に、印象に残るのはどうでもいいような別の場面ばかりだ。それは練習終わりの溜まり場である喫茶店で語られる、とりとめもない会話や、ふとしたときにモノローグのように語られる、燎平の心情だったりする。登場人物は皆ことごとく影を持っており、燎平に向けて、あるいは自分へ言い聞かせるようにそれぞれ勝手に言葉をこぼすが、それらは燎平の心に留まり続け、ふとした瞬間に頭を過ぎり、不思議と心に残る。

 

青春小説とは、「場」を語る話だとある人が言っていた。

この小説で言えば、大学という場、更に言えば灼熱のテニスコートだったり、善良亭という食堂だったり、あるいは喫茶店「白樺」の薄暗い地下の空間なのだろう。

また、長い人生の中でほんの一時期訪れる、好きなことに純粋に熱中できる大学生活の4年間という時代、この特異な時間自体を「場」と捉えることもできる。

そしてこの時間は、当たり前だが有限で、限られたものだ。終わりがないように思える楽しい時間もいつか終わりを迎え、誰しもが卒業と同時に退場しなければならない。

全ての青春小説に言えることだが、あらかじめ終わりが決まっている、というこの設定がもう寂しい。

 

小説を通じて一番印象的なのは、夏子が永遠に失った「何か」。言葉としてそれを捉えるのは難しいが、この小説の本質はここに尽きると思う。

先の見えない恋愛の末に、心身ともに堕ちてしまった夏子と、それでもどうしようもなく夏子を好きな燎平のやるせない心情。夏子は最後まで美しいが、喪ったその「何か」は、二度と戻らない。

自分の勝手な妄想だが、なんとなく夏子は「ノルウェイの森」のハツミさんのようにいつか自殺するんじゃないか、と心配になる。

 

この小説の根幹にある「寂しさ」は、青春小説が往往にしてそうであるように、この物語が何かを喪う小説だからだと感じる。それは「若さ」や「潔癖さ」という言葉、あるいは夏子の眼の奥にあった緑色の色彩として描かれているが、物語のラストシーンである以下の文章に集約されている。

燎平は夏子の目を見つめ、夏子は若さとか活力とかいったものではないもっと別な大切な何かを喪ったのかもしれないと思った。いや、夏子だけではない。金子も貝谷も祐子も、氏家陽介や端山たちも、自分のまわりにいた者はすべて、何物かを喪った。そんな感懐に包まれた。そして燎平は、自分は、あるいは何も喪わなかったのではないかと考えた。何も喪わなかったということが、そのとき燎平を哀しくさせていた。何も喪わなかったということは、じつは数多くのかけがえのないものを喪ったのと同じではないだろうか。そんな思いにひたっていた。

そして燎平は遠ざかっていく夏子の姿を見ながら、ある登場人物の「人間は、自分の命が一番大切だ」という言葉を思い出し、この小説は終わる。

 

人生の中で、大学生活とは特別な時間だとつくづく思う。

モラトリアムの終わりと、社会に押し出される瀬戸際にぽっかりと現れる空白。気楽な学生生活というぬるま湯の生活と、長い長い仕事勤めの社会人としての先の人生。気の合う友達とひたすらだらだらと怠惰に過ごしてもいいし、趣味に熱中してもい。気ままに旅に出てもいい。こんなに制約のない自由な時間は、この先の人生できっと二度とない。

でも、そんな時間にもいつか終わりがある。

誰も口には出さないが、なんとなくこの時代に終わりがあり、否応なしに世の中に出て行かなければならないことにみんな気付いている。この自由もほんの儚いもので、社会に出ればこの場での出来事も思い出になり、やがて忘れ去ってしまうのだろう。

優れた青春小説は、そんな寂しさを常に感じさせる。だからこそモラトリアムという時間は尊くて、愛おしい。そんな大学時代の特別な寂しさが描かれたこの小説を、僕はこの先もずっと好きなんだろうなと思う。

 

 

きっかけについて

久々に旅行に出たり、友達と楽しく飲んだりしたおかげか、ここ数週間の過労で参ってしまっていた心が回復し、少しだけ前向きになれた。夏が近づき暖かくなったせいかもしれない。同時に創作へのモチベーションが上がってきたので、この機を逃さぬよう文章を書く。

 

恩田陸はOL時代、酒見賢一の『後宮小説』を読み、著者が自分と一歳しか違わないことにショックを受け『六番目の小夜子』を書いてデビューした。小説『ブラザーサン・シスタームーン』の第1章の主人公・綾音は、バイト先の飲み屋で客に「やっぱり、書いてるんでしょ?」と尋ねられ「いいえ、まだです」と答えたことで、初めて自分が小説家になりたいと思っていることを自覚する。金城一紀の短編『太陽がいっぱい』の主人公は親友から数年振りの電話を受けた日、かつて親友と観た映画の原作を偶然手に取り、それがきっかけで小説を書く。

 

そういった僥倖と言えるようなドラマチックなきっかけは、24年間生きてきて、自分の人生に訪れたことはない。残念ながら今後も訪れない気がする。そして今更気づくこととして、そしてきっかけなんて必要ない、と思う。

 

正直に言うとこんな創作へ向かう個人的な内面の変化、みたいな文章は書きたくなかった、普通に恥ずかしいから。それに本当に憧れる作り手にはひたすら作品だけを作り続けてほしいし、私生活や創作の裏側の苦労なんて知りたくない、創作物と名前だけを残して死んでいって欲しい、という人間なので。しかし真っ向から矛盾するけれど、創作の裏側のリアルに迫ったドキュメンタリーは大好物だし、そういった「生みの苦しみ」みたいな側面を知った方がその人が創った創作物もより身近に、より血の通った美しい物に見えることもある。

 

多くを語らず、作品だけで勝負する、なんて仙人みたいなカッコいい人間になれないこともよく自覚している。どこまでも俗っぽく、欲も惨めさも全て曝け出すつもりで、とりあえず残りの二十代をジタバタと過ごすつもりだ。あと最近になって、のんびりすぎる自分の性格もようやく把握し始めたので、生き急ぐくらいが丁度いいのかなと思ったりする。

そのうち、この文章も含めて、また過剰な自意識のせいで全てが恥ずかしくなり、全部消してしまうかもしれない。それでも何か始めないことには何も始まらないし、つまらない人間のままこれ以上歳を重ねるのは苦痛で仕方がない。いや、苦痛どころか何も感じないまま、ゆっくり死んでいくんだろう。学生の頃からずっとそうだった。ステージ上で必死に表現している人をどこか冷めた目で見てしまう自分、そしてそんな自分を俯瞰して観察している自分。何か頭に引っかかったまま、けれど自分は人前に出るような人間じゃないし、と言い訳したり、こんな人間のやることなんて誰も見向きもしないし、誰も喜ばない、と決めつけてしまう。そう、誰も喜ばないだろう。そもそも誰かを喜ばせようなんておこがましい考えは要らない。自分の創った何かで、自分が満足できればそれでいい。実際、自分が過去に書いた文章や音源を見返したとき、救われたような気持ちになったことが何度かある。過去の自分の創作に救われる、こんな素晴らしいことがあるだろうか。全ては自分のため、自分を救済するためにやろう。文章を書こう。