状況が裂いた部屋

音楽と映画と日常について

「ただ座っている老人」についての考察

   街を歩いていると時々見かける、何をするでもなくただじっと座っている人。大抵が老人で(どちらかと言えばおじいさんの場合が多い)、普通の民家の前などで、椅子だったり、玄関の石段だったりといった場所に腰をかけて、ぼうっとしている。目の前の道を行き交う人を眺めている訳でもなく、ましてや本を読んだり煙草を吸ったりもせず、ひたすらに何もしていない。いや、生きている以上何かをしている筈であって、究極的に言えばそれこそ「生きている」とか「呼吸をしている」としか言いようが無いんだけれど、客観的に見たら彼らが何をしているかを説明しようとしたときに結局「ただ座っている」としか形容しようがない、そんな人たちがいる。

   彼らは何をしているのだろうか、いや、何もしていないことをしているのだろうか…。彼らを見かける度に考える長年の謎だったのだけれど、最近これなのかな、という自分の知らない概念を知った。

 

 

   このツイートを見た瞬間浮かんだのが、何もせず椅子に座り、ぼんやりと佇んでいる老人の姿だった。そうか、あの人たちは“ケイフ”をしていたのか…。まずこの概念が目から鱗だった。毎日を忙しく、何かに取り組んでいないと不安になるような世知辛い典型的な日本人とはかけ離れた、仙人のような生き方の極致ではないか。「何もしない」、という幸せ。欲にまみれた自分には相容れない価値観だけれど、少しわかる気がする。

   今後は街で座って何もしていない人がいたら、「あのじいちゃん呆けてるのかな…」ではなく、「ああ、ケイフを実行されてる方だ」と多少の尊敬の念を込めて捉えておこうと思う。

 

読書の時間

  恩田陸の著作に「小説以外」というエッセイ集がある。その中に収録されている「読書の時間」という一編は読書というメディアの真理を短い文章でこれ以上なく端的に言い表しており、初めて読んだとき心の底から感服してしまった。短いので思い切って全文を引用する。

読書とは、突き詰めていくと、孤独の喜びだと思う。 人は誰しも孤独だし、人は独りでは生きていけない。 矛盾してるけど、どちらも本当である。書物というのは、 この矛盾がそのまま形になったメディアだと思う。 読書という行為は孤独を強いるけど、独りではなしえない。 本を開いた瞬間から、そこには送り手と受け手がいて、 最後のページまで双方の共同作業が続いていくからである。 本は与えられても、読書は与えられない。 読書は限りなく能動的で、創造的な作業だからだ。 自分で本を選び、ページを開き、 文字を追って頭の中で世界を構築し、 その世界に対する評価を自分で決めなければならない それは、群れることに慣れた頭には少々つらい。 しかし、読書がすばらしいのはそこから先だ。 独りで本と向き合い、自分が何者か考え始めた時から、 読者は世界と繋がることができる。 孤独であるということは、誰とでも出会えるということなのだ。
 
「小説以外」 新潮社 p.179
 
 「小説以外」は自分がこれまで読んだエッセイ集の中で不動の一位である。まずタイトルがいい。エッセイを出すならこれ、と決めて温めていたらしい。一編ごとのタイトルも秀逸だ。「予感と残滓の世代」「すべてがSFになったあとは…」「四人姉妹は小説そのものである」など。
   「六番目の小夜子」と「夜のピクニック」がそれぞれテレビドラマ化、映画化されているので世間では青春モノの人、と認知されてる節があるが、実際はミステリやSFといったジャンルも幅広く書いている。しかしどのジャンルを書いても共通しているのが、主人公(自分)の世界への憧れや期待、子供に誰もが懐く漠然とした憧憬だと思う。何編かのエッセイで自身の読書遍歴を語っているけれど、こういった読書がライフワークになっている人間がああいった美しい文章を書けるんだな…と凄い説得力を感じる。大学の講義中にキングの「ファイアスターター」を読み始めたところ面白すぎてやめられず、喫茶店に移動して夜までかかり一気に読んだという話(『ブラザーサン・シスタームーン』の琴音のエピソードのモチーフと思われる)、OL時代に司馬遼太郎の『坂の上の雲』に夢中になって一日で全編読み切る話、仕事に忙殺されていた社会人時代のある日、酒見賢一後宮小説』を読んで僥倖を得て、一気にデビュー作を書き上げた話など、本との幸せなエピソードが多く収められていてこちらも幸せになる。ちなみに酒見健一は第1回ファンタジーノベル大賞受賞者で、恩田陸のデビュー作『六番目の小夜子』は第3回の最終候補作品である。その他映画や漫画、日本文化への評論、転校が多かった子供時代の思い出、世の中を俯瞰した随筆など、どれも視点が素晴らしい。あとは酒への執着も。ビール党らしい。
   2005年に「夜のピクニック」で本屋大賞を受賞したときの挨拶文が最後に収められている。あれから10年が経っているので、そろそろ雑誌に掲載されてきたエッセイも溜まっていると思われる。文芸誌は立ち読みがしづらい上にいまひとつ買う気にもなれないので、また素敵なタイトルで単行本として世に出してほしいと願っている。

マタギの話

「大宴会in南会津」というローカルなフェスに行ってきた。空気公団、ミツメ、スカートなど、ちょうど見たかったバンドが全部見れて本当に大満足だった。が、ここではあえて同会場で開催されたマタギの方のトークライブについて書く。

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会場はこんな感じ。話者は地元のマタギ、菅屋藤一さん。話し方がとても丁寧で、かつとても面白かった。

 

    以下、語りの内容のメモ書き。主に後半の質問コーナーの回答から。

 

マタギという語の語源について。どうやらアイヌの言葉からきたらしい。「カワハギ」からきたという説もある。自分たちはマタギ、という言葉はあまり使わず、「殺生人」と言っている。

・昔は皮が高く売れたが、いまはそうでもない。胆嚢が高く売れる

・猟ができるのは3ヶ月くらい

・猟師というのは、出会い
生活の為にやっている面はあるが、喜びも悲しみも全て山がくれる。マタギになるのを決めたきっかけは、山に生きたいという気持ちがあったから。あと一番大きいのは親父の影響。

・猟師だけで生業は成り立たない、伝統を残そうという意味合いでやっている

・クマは本当に頭がいい
巣の近くの草を踏んで匂いを残す、他の動物が近寄らないように(?)

・足跡を消す。行った道をそのまま帰る、足跡を1筋しか残さない

・穴に入る際もジャンプして飛び込み、巣穴の前に前足や後ろ足の跡を付けない
・猟をするにも、何日も泊まりがけでしか行けないような山奥には入り込まない、無理はしない

・クマは1月から2月に子を産む。1匹か2匹。子クマは5月の連休くらいに穴から出てくる。
巣穴に近づくと親は怒って威嚇するが、30メートル以上巣から離れようとしない。

・親(オス)が子を殺すこともある。そういう習性がある。よってクマの頭数はあまり増えない。

・シカもいるけど狩らない。仕事が忙しくて

・最近は山仕事をする人がいないため、クマが住むラインが里に近づいてる。

・クマは押す力は強くないが、引く力はものすごく強い。巣をつつくとものすごい力で引き摺り込まれる。

・クマに遭遇したら、向かって立っててはいけない。地べたにうつ伏せになること。

・死んだふりはあんまり意味ない。多少喰われるのはあきらめよう。

・山に入るときは、ヘルメットをすること。クマに限らず、大きな枝が落ちてきたりする。

・地元のマタギで一番若いマタギは50歳近い。3人ほどしかいない。

・(半分冗談で)弟子になりたい人は名乗り出てほしい。 

 ・いつでも遊びに来てほしい。山へ案内する

 

トークライブが終わってからクマの皮を触らせてもらった。爪までしっかりそのまま。毛は結構柔らかかった。

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あと菅屋さんから名刺を頂いた。「間方生活工芸技術保存会」の会長という肩書きだった。脇に奥会津編み組細工というのだろうか、木で組んだバスケットが置いてあった。

 

マタギについては前から興味があり、図書館で民俗学の本をちょっと読んでみたりしていた。なぜ自分が興味を持ったのか考えると、マタギや山伏みたいな「境界」の向こう側とも呼ぶべき独特の場所を持っている人たちに関心があるようだ。マタギの人たちは山でしか使わない言葉、マタギ特有の言葉を持っていて、それを村など山以外の場所で使われるのを嫌ったらしい。あとマタギ以外に口外されない儀式を持っていたり、獲物を屠るときに呪いを唱えたりと、まるで物語の中の話みたいな行いをやっている。現代では流石にそこまでやってる人がいるかはわからないけれど、僕がパソコンに向かってるいまでも、同じ地続きの日本のどこかの山奥でそういった全く違う価値観と文化が生きてるのだなと考えるとワクワクする。ドキュメンタリー映画とかあったら観たい。

 

『エウレカセブン ハイエボリューション1』を観た

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エウレカセブン ハイエボリューション1』、公開初日に観てきた。新劇場版全三部作の第一弾。

テレビシリーズが終わったのが2006年、そこから11年を経ての劇場版。以前にストーリーや設定がだいぶ改編された『ポケットに虹がいっぱい』という劇場版もあったので、2度目の映画化になる。『ポケット』はレントンのモノローグが多く、総集編というにもなんか違うし、正直言ってそこまで…といった感じだった。他にもCRエウレカセブンやら漫画版とか(AOには触れない)コンテンツとしていろいろ使われてきたけれど、本編から12年経った現在でも、こうして劇場版を3作も制作するなんてなかなかに凄いことだ。


映画の感想。オープニングからの30分の戦闘シーン、これだけでお腹いっぱいだし大満足だった。というかぶっちゃけ、これが全てである。LFOが追跡弾を例のウネウネ軌道で避けまくり、暴れまくるド迫力の戦闘。音もこれでもかというくらい凝ってて良かった。アドロック・サーストンが英雄となった「サマー・オブ・ラブ」における「エイフェックス作戦」(!)の壮絶な闘いと、軍属時代のタルホ・ユキのTV版とまた違う髪型(最高)を映画館で観ることだけで満足できる人間には観る価値がある。タルホ、軍学校主席卒業の指揮官だったのかよ。ホランドがアドロックを「師匠」と呼んでいるところにグッときた。正直冒頭以外はレントンの 目線のテレビシリーズの再構成なので大して見ることない。レイとチャールズとのエピソードがメインで、懐かしいな〜と感傷に浸って終わった。ちなみに俺たちの永遠のヒステリックヒロイン、アネモネは全く出てこない。おそらく来年公開2から登場する。

 

 せっかくなのでテレビシリーズの方を振り返って書きたい。王道のロボットアニメでありながら、人と星の共生、正義とは何か、といった深いテーマに触れ、美しいメカニックと戦闘シーンの迫力ある映像、90年代サブカルチャーへの愛にまみれた小ネタ、そしてsupercarの「storywriter」をはじめ、数々の名曲がOP、EDや挿入歌として使われたという語る要素が多い名作アニメだ。「王道は全部やる」という気概と全50話という恵まれた環境から、伝説の第39話、謎のサッカー回が生まれた。

    サッカーはともかく、第26話「モーニンググローリー」や第48話「バレエメカニック」などいわゆる“神回”に辿り着くまで、月光号から家出したり、ウジウジ悩んで失敗するレントンや何度か容姿が変わってしまうエウレカ、性格最悪ですぐ暴力を振るうホランドのやりとりなどを見させられることになり、有名な割に観る人を選ぶ作品かもしれない。特に中盤はだれるし、戦闘シーンを求める人には厳しい。その分第26話「モーニンググローリー」で1話以来のstorywriterが流れ、戦闘の中でレントンエウレカの気持ちが通じる瞬間は今思い出しても鳥肌が立つ。コーラリアンとは、スカブコーラルとは、ヴォダラクという宗教とは。レントンの姉ダイアンはどの世界にいるのか。プロトタイプのLFOであるニルバーシュはどうやって生まれたのか(これは一応明らかになってる?)。謎は多く考察もきりがないほどだし、今後の劇場版でもそれら全てが明かされることは1を見る限りなさそうな気がする。

それでもこれだけのファンが今でも離さない理由があるが故に、こうして何度もリメイクされるアニメなんだと思う。ボーイミーツガールなストーリーでありつつ、細かい作画と迫力ある戦、人を信じること、愛することといった普遍的なテーマに触れた、ロボットアニメのロマンの全てが詰まった永遠の名作。

 

最後に僕が一番好きだったエンディング曲を貼っておく。


お気に入りED曲

 

 

 

無題

・まとまった文章を書けなくなった。読むにも書くにも体力がいる。思い返せばきちんと書けたことなんて一度もなかった気がするけれど。ここで言う“体力”というのは能動的に何かに取り込む時に必要なモチベーション、知識の引き出し、そしてそれを人に見せる勇気、などを引っ括めて指している。自分には全部が足りないんだけれど、特に最後のそれに関しては全くない。故にこうして誰に向けるでもなく駄文を書いて、後で見返してひとりでどうしようもない気分にさせられる。今からでも何とかしたいところなんだけど。この薄い鬱みたいなモードがいつ晴れるのか、不安で仕方ない

 

・誰に見せるわけでもない文章の断片みたいなメモ書き、書きかけで投げられたプロット、中途半端な創作欲の残骸みたいなもの。さっさとこのつまらない自意識みたいなものを捨て去って楽になりたい

 

・読めなくなった、に関して言えば読書のペースも圧倒的に落ちている。新しいものを咀嚼して自分の中に納める、といった作業がつらく、もう何度も読んだものを読み返しては安心している。一時期はそのストレスなようなものが毒となって自分の中に溜まり、それを上手く吐き出せれば何かしら作れるのでは?という機運も感じていたけれどそれも薄まってきて、いよいよもう自分は駄目なのでは、と暗い気持ちに至る

 

・どうしようもないこの暗い気持ちをこんな駄文として書き出す事くらいしかできない、しょうもない自分を受け入れる自己肯定感、どうしたら手に入るんだろう。お酒や煙草、手っ取り早い気分転換ではどうにもならない現状、どうしてこうなったかなとか言いながらお酒と煙草をやってこの文章を書いている

愛と笑いの夜

 iPhoneのメモ帳に残っていた、今年の5月頃の飲み会の記録。ゼミの同期、後輩と男3人でただ集まって飲んだだけなんだけれど、単純にとても楽しい夜だったので文章にしておく。

 

 

 ある金曜日の夜、その飲み会は新潟の古町で決行された。古町は駅から徒歩15分はかかるし、僕以外の2人はまだ学生なので、街まで出てきてもらうのはちょっと遠くて悪いな、と企画して思ったが、案の定2人とも大幅に遅刻してきた。到着した2人はボロボロだった。後輩の方は右膝の十字靭帯を断裂しており、若干足を引きずって歩いていた。バイト中の事故だったらしい。もうひとりの方は2留しており、3度目の大学3年だったが、その日の講義をサボったせいで今期で受講が5回目となる必須を落としたとのことだった。ボロボロの学生2人が揃ったところで、とりあえず乾杯し、焼き鳥屋で一次会が始まった。

 2人の近況やゼミの状況(“2留”はゼミに出てないのでわからないようだったが)、大学周辺の飲み屋の変遷などひととおりの話題が終わった頃、入り口からうちの課の課長が入ってくるのが見えた。僕は職場では真面目な新卒2年目の爽やかな青年を演じているため、口には煙草を咥えた状態で、右側にはどう見てもカタギではない外見の体重90キロの元アメフト部、向かいには25歳なのに大学3年の引き篭もり(外見ではわからないだろうけど)を従えて飲んでる構図。あまり上司に見られたくない状況だった。しかし逃げ場は無かったので立ち上がって挨拶すると、課長は一瞬かなり驚いた顔をしたけれど、片目を瞑ってにっこりし「お互い、他人のふりな」と言った。いい人だと思う。その後もしばらく飲み、次の店に移動した。

 

   学生2人にわざわざ街中まで来てもらって飲む目的は、シーシャ屋に行くことだった。前回学生街でゼミ飲みをした際、シーシャ屋に行きたいな、と言ったらこの2人が乗ってきた訳だ。しかし2軒目にはまだ早いかな、と近くのクラフトビールが飲める店に入る。

   その店には結局3時間近く滞在した。後輩がつい昨日女の子にフラれたことをぶちまけたので大いに盛り上がり、気付けば店員の女性と店長さんの5人で恋愛談義になったからだ。完全に酔っ払た後輩はその子とのLINEの会話を見せてきたので4人で携帯を回してじっくり鑑賞したが、なかなかになかなかな内容だった。店長さんはかなり経験豊富らしく、デートの誘い方、一緒に出掛けた翌日の接し方、距離の詰め方、などなど様々なテクを教えてくれた。どれも成る程と思えるアドバイスだったが、あくまで僕のパターンですけどね、と一つの手段として参考までに、というスタンスなところが好感が持てた。一方の僕は大した経験もないのでアドバイスなど持ち合わせてなく、一般論しか言えなかった。こういう話題は専ら聞き役に回るのがいい。2留は爛れた恋愛しかしてこなかったようで、店員ちゃんとジョジョの話に興じていた。いよいよ酔って呂律が回らなくなった後輩が話題の女の子の写真を見せてきたが(専用のフォルダがあった)、めちゃめちゃに可愛かったので店長とプロレス技を掛けようとしたが2人とも簡単に組み付されてしまった。アメフト部は強すぎる。ドイツの黒ビールが美味しかったが名前を忘れた。シュトロハイムは2部に出てくる軍人だしな…。

   時間は確か11時に近かった。終電で各々の家に帰るなら駅に向かわなくてはならない。かなり酔っ払った状態で通りに出ると、肩を貸さないと歩けない人、側溝に半分落ちた状態で寝ている人、客引きのお姉さんと会話にならない会話をしている人など、金曜の夜の飲み屋街はカオスな活気に満ち溢れていた。お酒に飲まれた学生が駐車場に行き倒れてたり、喚き散らしたりしていた学生街の風景が思い出された。2留がどこも変わらねえな、と言って煙草に火を点けた。僕はなんだかとても楽しい気分だった。ここでなんとなく写真を撮ったんだけれど、全部ぼやけている。

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この写真は僕も写っているため、自分で撮った訳ではないのだが、誰が撮ったのか全く記憶にない。サニーデイサービスのアルバム「愛と笑いの夜」みたいで気に入っている。

 

   終電に乗らない選択をし、3軒目は念願のシーシャ屋へ入った。注文の仕方もさっぱりわからなかったので教えてもらいつつ、適当にシナモンとバナナのフレーバーと、ミントのフレーバーを注文した。あのインドっぽい吸入パイプのついた金具に火をくべ、フレーバーを入れていたが器具の観察より隣のソファで乳繰り合ってたカップルが気になった。そのカップルはすぐ居なくなり、狭い店内のほかを見渡すとなかなかに独特でいい空間だった。Macで何かの作業をしている人、ジェンガをする女の子たち、ポロポロとアコギを弾いてる男、などなど、煙の向こうでみんな気怠そうに何かの作業をしていて、でも取り組んでいるものはあくまで暇つぶしで心ここに在らず、という雰囲気が共通していた。僕にそう見えただけかもしれないが。

   後輩は火の鳥を手に取ったがすぐに眠ってしまった。僕たちもやっぱ望郷篇だよな、わかる、でも未来編も好き…と推し篇の話をしつつ少し読んだが、結局オセロをやった。2留はさっきオセロ世界一の人の試合ユーチューブで観たんだ、と言って僕を圧倒した。

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    オセロを何ゲームかしたあと、2人で様々な話をした。漫画の話、小説の話、就活の話、旅行の話、などなど。2留は地元には数人友達がいるらしく、最近大洗へガルパン聖地巡礼に行ったんだ、と楽しそうに話した。僕が7月にタイに行くんだ、と言うと大麻やるなら絶対バレないようにうまくやれよ、と言われた。あとハングオーバー2を観ることをおすすめされた。

 

   居心地がよく、シーシャもずっと吸ってられるのでかなり長い時間いたが、結局後輩を叩き起こして外に出た。夜の街のカオスは治まって静かだった。近くのラーメン屋にはいる。当然のように大盛を頼む2人に現役学生の若さを見せつけられた。

    信じられないことに、このラーメン屋に3時間くらい滞在した。映画の話で盛り上がったからだ。

   2留のスマホの待ち受けは口が裂けたピエロの写真だった。僕がヒース・レジャーだ、と指摘すると彼はめちゃめちゃ嬉しそうにわかるか、もう死んじゃったけど、とダークナイトの話をし始めた。バッドマンシリーズでも一番の傑作だと思う。ヒース・レジャージョーカー役の役作りの為、ホテルの部屋に閉じこもったエピソードなどを語り合った。一瞬でラーメンを食べた後輩が暇そうで悪かったので、エイリアンの話をした。エイリアン1のラスト、宇宙船に穴が空きエイリアンが掃除機の吸引みたいに外に吸い出されるシーンの最高さ加減について真剣に語り合った。これ以上ない最高のスプラッタ映画だ。しかし2001年宇宙の旅然り、スターウォーズのローグワンのラスト然り、生身の人間が一瞬ハッチの向こう、宇宙空間に出るシーンがあるがその辺判定甘いのどうなんだ、絶対死ぬしダメでしょ…。しかし後で見返したところローグワンはダースベイダーだったし、奴の服は宇宙服も兼ねてるらしいと結論付けられた。そこから、我々が小学生の頃金曜ロードショーでやっていた名作を語り合った。コマンドー、ハムナプトラ、バックトゥーザフューチャー、ダイハード、ホームアローンタイタニック、タクシーシリーズ、ミッションインポッシブル、マトリックス… なんであんなに面白かったんだろう、いやいま見ても面白いんだけれど、なんか小学生の頃リビングで夜更かしして観たあのワクワク感ってなんだったんだろう。あの頃のシュワちゃんってこの世で最強だと思ってたし2015年にはホバーボートをみんな乗り回してると信じてたよな、あの感じってもう帰ってこないんだろなあ…と最終的に感傷的になってしまった。

   2留は映画クラスタであり、ネットフリックスに入ったことが引き篭もりに拍車をかけているようだった。あの24が全部見れちゃうんだぜ、とジャック・バウアー役のキーファー・サザーランドが子役時代スタンドバイミーの不良グループのボス役として出演していたことを教えてくれてまじかよと愕然とした。そしてしきりにロードオブザリングの「王の帰還」で呪いが解けた王が目覚めるシーンのモノマネをするのだった。ちゃんとして卒業してほしい、と思いつつこいつにはずっと学生やっててほしいとも思う。

 

   朝方、始発前の駅まで歩いた。帰り道にウォークマンomoide in my headとアパルトの中の恋人たちを聴きながら帰った。時々でいいから、またこんな夜があればいいなと思う。

喫煙所の話

   先日遊園地に行った。中学生の頃にディズニーランドへ行った以来なので10年ぶり。田舎にポツンと建っているその遊園地は、いい感じに寂れていてなんとも言えない情緒があった。店員さんもシルバー人材センターから来ました、みたいなおじいさんばかりで、皆さんアロハシャツを着ており、非常にのんびりとした空気が流れている。適当にジェットコースターに乗ったら割とスリルがあった。スピードの恐怖よりも老朽化の心配からくる部分が大きかったかもしれない。クライマックスの景色が良く、調子いいときのバンドでの演奏中みたいな無敵感を味わえた。滞在2時間くらいだったがなかなか楽しめた。

   遊園地の隣にボートレースのチケットが買える施設があった。正式名称は競艇場外発売場というらしい。スポーツ新聞を小脇に抱えたジャージ姿のおじさん、アル中の雰囲気を漂わせた爺さんなどが賭け事に興じようとウロウロしている空間だった。親子連れが遊びに来る夢の国である遊園地と、何処となく退廃的な空気を醸し出す競艇場が駐車場を共有して隣り合っている構図が、なんとも趣深いな、と思った。

 

   退廃的、なんて書いてしまったがその競艇場はとても綺麗で、窓際に広い喫煙所があった。遊園地への待ち合わせに遅れた連れを待つ間、僕はその喫煙所に座り、2本ほどタバコを吸いながらボートレースを観戦した。

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   ベランダは遊園地の入場ゲートが正面に向いており、父親が家族サービスの一環なのか子供たちの手を引いて向かっていくのがよく見えた。この喫煙所を作った人に他意はないと思うが、競艇場と遊園地、というあまり相容れない2つの構図の断絶を見せつけられているようで、昼間から賭け事に興じている親父たちに何を見せつけてるんだ、と思ってしまった。別に競艇を悪く言っている訳ではない。こっちに来る家族もいるし、全く健全な趣味だ。ボートレース観戦面白かったし。というわけで(?)喫煙所に興味を持った。

 

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   時々行く大型銭湯の喫煙所。広くてよい。風呂に入った後の綺麗な体で喫煙所に入り煙に巻かれるのは嫌だが、大抵風呂上がりは煙草を吸いたくなる。食事の後に吸いたくなるのもそうだけれど、物事や作業が終わったタイミングで吸いたくなるのはなにかメカニズムがあるのだろうか。ただ単に席を立ち喫煙所にいくのに区切りがいいからか。わからない。

   

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  自転車で行ける距離にある銭湯に併設されているコインランドリー。実質喫煙所になっている。好きなくたびれ方をした空間だ。平成一桁年代のジャンプが置いてある。誰か捨てろよ。背表紙は日焼けがひどくもはや読めない。

 

 

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   好きなバーガーショップの喫煙スペース。あまり煙が充満しているところでハンバーガーは食べたくないので、別の席で食べてからアイスコーヒーだけ持って来ることが多い。ずっとビートルズが流れてる。狭くて落ち着く。

 

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    俺たちのコメダ珈琲の喫煙所に、1人掛け用でやたら勉強部屋みたいになってる席がある。あまり座ろうとは思わない。

 

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    少し前に山形の酒田へ行ったときに泊まった宿。素泊まり3,000円の安さの割に快適だった。こういう日当たりの良い縁側的スペースが大好きだ。よく旅館とかにある窓際の椅子とテーブルが置いてあるあのスペースも。正式名称は「広縁」というらしい。

 

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最後に最近見つけた一番好きな喫煙所。某新潟市内の映画館の入り口横に、普通は気付かないくらいの隙間があり、半楕円?みたいな形のスペースとなっている。映画を観終わってぼうっとしたい時に一服するのに丁度良い。