状況が裂いた部屋

旅行と読書と生活

煙草を吸うシーン

   傑作である「踊る大捜査線」シリーズ(※劇場版3作目を除く)のスピンオフ映画は何本かあるが、その中でも特に好きなのが「交渉人・真下正義」(2005年、フジテレビ)だ。主演はユースケ・サンタマリア

   この映画の終盤、事件が一応の解決を見て、登場人物たちが歓声をあげて湧く中、國村隼(鉄道会社の総合司令室指令長の役)が喫煙室へ素早く駆け込んで吸う煙草。最初にこの映画を見た当時小学生だった僕は最高に美味しいんだろうなと思いながら観ていた。
 
   あともう一つ、映画で渋い俳優が美味しそうに煙草を吸い、憧れた覚えがあるが思い出せない。
 
   最近吸った煙草の中で一番美味しいと感じたのは、バンドのレコーディングにてベースを全曲撮り終えて、ドラムと缶コーヒーで乾杯しながら吸った煙草だ。ひと仕事終えた後の煙草ほど美味しいものはないな、とひとりニヤニヤしながら深々と一口吸い、しかしそれがひと月ほど禁煙した後最初だったために酷いヤニクラになり酷い眩暈を喰らった。それでも美味しかった。
 
追記:

働く意義の研究

   定期的に鬱になる事がある。病院に通うほど深刻なものではなく、せいぜい「鬱モード」と呼べるくらいのもので、誰にも会いたくなくなり何も考えられなくなる。取り留めもなく不安な考えに取り憑かれて全てを投げ出して遠くへ逃げたくなるが動く気にもなれない。それでもDVDを大量に借りてひとり部屋に篭って布団を被ってじっとしていればいつの間にか(長くても3,4日)おさまってしまうので、誰にでもあることだろうと深刻に考えてはこなかった。始まったのは20歳になった大学2年頃からだったと思う。こういう時こそ誰かに話を聞いてもらう方がすぐ楽になれるんだろうな、とはなんとなく思っていたが、あいにく恋人はいないし、友達にも弱っているところを見られたくないという変なプライドのせいでいつも映画でやり過ごすのだった。


    半年ほど前から社会人になってからも、この「鬱モード」は時々やって来た。以前と違うのは、「平日は仕事をしなくてはいけない」という当たり前の問題だ。学生の頃は講義なんてサボろうが誰にも咎められず、バイトだって代わりを立てれば休めないこともなかったので何日か家に引き篭もっていようが許された。
   しかし社会人は違う。給料が発生しているのだ。お金を貰うことには責任が発生する。どんなに気分が落ち込んでいようが、朝6時半には起きて自分をなだめすかして出勤し沢山の人とはなしパソコンを打たなければならない。どうなに嫌であろうと自分を騙してでも。


   公務員試験の勉強をしている時も考えたが、何か行動するときの「モチベーションの維持」というのは難しい問題だ。「22歳を過ぎれば働くのは当たり前」と自分に信じ込ませて仕事に向かうか、きつい時はどうしても出てくる。なにか報酬があれば頑張れるかもしれないと、「週末にあの漫画読もう」とか「あの映画観に行こう」などの『小さな楽しみ』(週単位で手に入るもの)と「来月はあそこに旅行へ行ける」とか「ボーナスでiPadを買う」みたいな『大きな楽しみ』(数ヶ月〜半年単位のもの)の楽しみを励みにする事にした。こうして書き出すと物欲って大事なんだなと感じる。

   それでも最近はこういった楽しみを仕事へ打ち込む動機に変えられなくなってきた、特に「鬱モード」へ突入してしまったときには。
   時折来る鬱が少し強くなったのか、それとも目先の楽しみでは根源的な辛さを解決出来ない事に気付いてしまったからか。(本当はもっと前から自覚してていたが。)

   ここまで来ると、自分の為に働くことは無益な気がしてきて、かといって結婚したり家庭を持ったりして「家族の為に働く」とか、まあせっかく公務員として働いている事だし「人の為に立つ仕事をする」ことに生きがいややりがいを見い出さなければいけないのかいやそもそも「働くことの意義」とかの話を… その前に仕事は生活の手段であって目的ではない訳で……と、

どんどん分からなくなっていき、混乱した頭で明日も出勤する。

Smashing Pumgkins「drown」

   最近iTunesの「トップ25」の項目を開いたところ、スマパンの「Today」とこの曲が他を引き離して圧倒的に再生回数が多かった(ちなみに3位はスイセイノボアズの「happy 1982」だった)。Todayはスマパンの入り口となった曲で、つまりは自分にとっての90年代USオルタナへの入り口になった(高校生だった当時はもちろんジャンルなど全然分かっておらず、ペイヴメントソニックユースYouTubeの関連動画で出てくるので聴いてた)大いに思い入れのある曲だ。「siamese dream」は高校生の頃から8GしかないiPodでコツコツと聴いてきたので、Todayをたくさん聴いてるのは納得だが、ではなぜ「drown」がトップに?と考えてた。

 

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   大学一年の時、このCDをハードオフで300円とかで購入したのが曲を知ったきっかけだと思う。2枚組の公式ベスト盤で1枚目がシングルを年代順に集めたベスト、2枚目が未収録曲やレアトラックなどを集めたもの。ジャケが凄く良い。ビリーの髪があるので1995年以前のはず。ディスク1の3曲目がdrownである。

 

 


Drown - The Smashing Pumpkins [1993] - Live @ Metro HD.

 

 

本当に言葉で言い表せないくらい好きだ。

書けない人間

説得力の塊のような文章を見つけたので、いつでも読み返せるようブックマークしたついでにここにも貼っておこうと思う(無断転載とかにあたらなきゃいいけど…)

文章を「書ける人」と「書けない人」のちがい

インプット過多の常にごちゃごちゃした頭で、考えを整理して文章なり会話なりで人に伝える能力が著しく低い自分は典型的な「書けない人」なので、書く作業を習慣づけたいなと思う。思うだけなら誰でもできるのだけれど。

「窮屈さ」の研究

 窮屈の原因は何なのか、と真面目に考えてみる。

 
   高校生の頃の自分は、ある意味で健全で真っ当な、どこにでもいるような男子高校生らしい悩みを抱えていた。定期考査の度に築く赤点の山、部活では上手い後輩の活躍で試合の出番が減る一方で、クラスではなんとなくキャラが定まらない。ロッキングオンがよくやる90年代特集の号を買ってはスマパンペイヴメントウィーザーあたりをひたすら聴きまくる、典型的な冴えない学生だ。
  進学校だったので、1年の頃から志望大を第3志望まで書かされ、模試もしょっちゅう受けさせられていた。大学に進学するのは当たり前、受けるからには少しでもレベルの高い大学を受けましょう、そんな流れが完全に出来上がっていたが、そこについては特に窮屈さは感じなかった。「そういうものだ」という暗黙の了解のようなものの不気味さは感じていたが、真っ当な毎日馬鹿騒ぎをしている同級生たちもそのあたりは諦めているというか、まあ大学生になればきっと一人暮らしもできて好きなことをやる時間も持てて、やりたいことはいくらでもできるさ、と大人しくコツコツ勉強していた。教師たちや親に上手いことコントロールされていたのかもしれない。それでも何人かは、中退してフリーターになった後自衛隊に入った奴や、震災をきっかけに思うところがあって、とボランティア活動をすると言い残していなくなった奴がいた。それはそれでかっこいい生き方だと思う。そうやって強烈にやりたいことなどみつからないし、専門性の高い方面に進むことは他を選ぶ選択肢を消すことになるし、あと数学出来ないし、など理由をごねた自分は文系の大学生になったのだった。
 
 
   合格したのは地元の大学だったが、なんとか親を説得し一人暮らしが出来ることになった。「学生」という一応の肩書きがあり、時間は余る程あり、ないのはお金くらい、という素晴らしい時間だったと思う。そんな誰かのお伺いを立てなくても好きに時間を使えて好きなところへ行くことができる、好きなだけ好きなことをできる環境は幸せだった、最初の2年くらいは。この時期の自由さ加減を考えるとやはり実家暮らしにうんざりしている現状は一人暮らしを始めれば解決する気がしなくもない。
  
  

客観なんて無理

http://jp.vice.com/others/who-are-you-sekiguchi

VICEというメディアがある。様々なテーマのネット記事が手軽に読めていい。その中でも「Who Are You」という企画がある。一般の方から公募し、選ばれた方にゆるいインタビューをするという趣旨だ。選んでいる基準はわからないけれど、たぶんなんとなく面白そうな人を本当に適当に選んでるんだと思う。内容としては現在の仕事の話、趣味の話、どこで生まれどう育ってきたかの経歴、初恋の人の話、今後やりたいこと、などなど。特にこれと決めたテーマがあるわけでもないので質問は思いつくままという感じだし、インタビューというより普通に会話してる雰囲気がよい。2ページの記事を読み終えた頃にはその人の人となりをなんとなくわかった気になる。

   自分がこれ出たらどんな感じになるのかな… と想像してみたんだけど、客観的に読んで面白い記事になる気がしない。第一インタビュアーさんが興味を持って深く突っ込んでみようという要素が何もないのではないか… と少し悲しくなった。

居場所の話

   今現在、自分にはいくつの「居場所」があるのかと考える。この場合の指す「居場所」とは、自分の帰属というか「肩書き」であったり、所属しているグループのことだ。誰かがこのグループに電話をかけて、「そちらに〇〇(僕)は居ますか?」と言ったときにそこの誰かが「ああ、〇〇ならウチのものです」とか言ってくれる、つまり僕の存在を認めてくれている場所。

まずは家族だろう。
次に職場。
あと、例えとは離れているが恋人もそうかも
友人のグループで2つくらい。

この中で、心から信頼できる人間しかおらず、なんでも相談できるというグループが無い。