状況が裂いた部屋

旅行と読書と生活

小説『オールナイトロング』

初めて小説を書いた。

オールナイトロング(高里 嶺) - カクヨム

 

学生の頃から、ずっと書きたいと思っていた。でも書けなかった。「今は忙しいから」「バンドやってるから」と、書かない理由を無限に積み上げていた。結局、一作を書き上げるほどのモチベーションを保てないまま時間だけが過ぎていった。

以前、このブログで小説を書く、と宣言した気がするが、結局その時書いた原稿もすぐにボツにして何も起こらなかった。

それでも時々、ふと思いついた物語の断片的なメモをiPhoneに書き溜めていた。

 

今年の1月頃、今書かないと一生書かないだろうな、それは嫌だな、とやや後ろ向きな動機でプロットのリストを見返した。映画の『グーニーズ』や『IT』、スピルバーグの『super8』みたいな「この街の裏で大きな出来事が進行していて、それに気付いているのは俺たちだけだ!」みたいな、少年たちのひと夏の冒険活劇的な物語のプロットが目についたので、それを書き進めることにし、すぐ挫折した。

次に昔読んだ『フランチェスコの暗号』という小説を下敷きにした、学生生活の最後の数日を舞台にした青春ミステリを書こうとし、また挫折した。それでもこのアイデアはまだ生きているので、なんとしても近いうちに書きたい。学生時代の思い出が薄れつつある今が書ける最後のタイミングだと思ってる。

こうやって没にしたアイデアを転用しつつ、「学生たちが部屋で一晩中語り合う、仄暗い青春モノ」というメモを元に書いたのが本作『オールナイトロング』だ。

 

タイトルが一番最初に決まった。2、3年前から温めていたもので、このタイトルで何か書きたいと思っていた。

アメリカン・グラフィティ』が大好きなので、ワンナイトものをやりたいと思った。しかし群像劇は書くのが大変だし自分には無理だ、と消極的な理由でやめた。いつか書く。

それでも「一晩の中で様々な出来事が同時並行している」という状況はやってみたかった。そこで、以前から別の短編のアイデアにあったBBSでの議論、の要素をぶち込んでみた。mixiの「〇〇好きな人集まれ」的なコミュニティの雰囲気が大好きだったので。某自転車部の掲示板とか何度か覗いたりして参考にした。あと『電車男』的な共通の話題でPCのモニター越しに盛り上がってる感じが好き。小さなコミュニティ内での内輪ネタ、深夜テンションのグルーヴ感。そこまでの描写は出来なかったが。

一箇所でずっと駄弁る、というシチュエーションはひとつの話題をじっくり掘り下げるにはいいのかもしれないが、間が持たないというか、変化がないので短編でやるのが限界な気がする。映画『キサラギ』のような密室の会話劇をやってみたいとも思った。が、あれはストーリーは勿論、演技が凄すぎる。あと映像ならでは、といった過去の回想シーンを多く入れている。

小説で会話劇的なことをやるのは難しかった。2人の対話であればカギ括弧の連続でも会話シーンを書けるが、3人以上だと誰の発言か分かりづらい。説明臭い文体にならないよう工夫したつもりだけれど、解決編というかオチはまどろっこしくなってしまった気がする。

明確な結末のない、ストーリーもあってないような、雰囲気だけの小説も書けるようになりたい。それは本当に文章が巧い人しか書けないので。

 

自分でここ数年考えていたことは、全て本編の第3章で語らせた。一番クサイ台詞を喋らせているが、このシーンの二人は酔っている設定なので。結末は3パターン作って一番しっくり来たものにした。

拙い文章だけれど、なんとか一本書けて嬉しい。年内にもう一作仕上げる予定。

 

 

主に参考にした作品リスト

森博嗣黒猫の三角

金城一紀『映画篇』

百舌涼一『中退サークル』

zinbei『朝まだきの中で』

恩田陸夜のピクニック』『ネバーランド』『ブラザーサン・シスタームーン』

2020年6月の短歌

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FM PORTの最後の放送を聴きながらこの文章を打っている。熱心なリスナーではなかったけれど、ここ数日は運転中や原稿を書いてる時ずっと聴いていた。6月30日の24時を以ってradikoで遡って聴くこともできないとのことで、最終日のヘビーリスナーには仕事を休んで聴く人もいるらしい。わざわざ録音機材を買った人、人生で初めてのメッセージを送る人、記念の花火を打ち上げる人。様々な感情が動く中、最終回へ収束していく感じがライブ感あって良い。昔、「週刊ストーリーランド」という番組で、ラジオの話があった。主人公はラジオDJの女性。長くパーソナリティーを務めた番組を降板する最後回、最後のメッセージを読んでいる途中、ハガキの送り主が絶縁状態の父親であるとわかり、泣きながら父に感謝を述べて最後の放送を送る、そんな話だった。いま調べたら制作協力は京都アニメーションだった。タイトルは「最後のリクエスト」。エンディングテーマがZARDだったりで時代を感じる。2001年のたった十数分のアニメでもこうして思い出す人間がいるので、20年続いたラジオはずっと記憶されると思う。島村仁のビートコースターが好きだった。

あと1時間半で閉局。リレー方式で番組を繋いでいくパーソナリティーはみんなプロだなあと聴きつつ、あの萬代橋のたもとのcozmixビル、放送局スタジオの舞台裏でどんなドラマが起こっているのか想像しながら、歴史の最後を見送ろうと思う。

野崎まど『know』

 

know

know

 

面白い。とんでもなく面白かった。一日で一気に読んでしまった。ここまで夢中で読んだ本はいつ振りだろうか。このブログでは基本的に好きな作品についてしか書かないので、言葉を尽くして絶賛することばかりなんだけど、この本は自分の少ない語彙で良さを言語化できる気が全くしない。人に勧めようともとにかく読んでくれ、としか言えないかもしれない。

 

舞台は超情報化社会を迎えた2080年代の京都。国民は情報処理デバイス”電子葉”を体内に移植することが義務付けられ、膨大な情報を脳内で処理できるようになった。6歳から電子葉を入れた人々は、拡張現実や拡張聴覚を当たり前のように使いこなして生活している。触れるものの情報を瞬時に脳内で手に入れることができ、さらには脳神経細胞の電位を操作して、実際には見えていないものや聞こえていないものも現実のように作り出すことさえ可能である世界。主人公<御野・連レル>は内閣府情報庁情報官房情報総務課指定職審議官という大層な肩書を持つ官僚であり、天才プログラマーだ。ちなみに京都大学出身。そして電子葉を開発し、15年前に失踪したのが主人公の先生である<道終・常イチ>だった。

御野が先生の遺した孤児<道終・知ル>と出会い、知ルの身を追う者たちから逃亡しつつ、知ルのある”約束”を叶える事を目的として、物語は動き始める。

 

舞台となる高度な情報化が進んだ未来の世界観の設定が凄い。しかし一番秀逸だと感じるのが、この物語が京都という街で、しかもたった一週間程度の間で完結しているという点だ。時間と場所の限定は物語をまとめる上で重要だが、この狭い中で大風呂敷を広げ、見事に収束させるのはあまりに凄い。導入でさらりと世界観の説明がなされ、ヒロイン<知ル>の登場から一気に物語が走り出す。主人公は仕事が出来てモテる国のキャリア官僚という設定だが、知ルの常軌を逸した能力に圧倒され続け、行く先々で巻き込まれる事件に振り回され続ける構図も面白い。

これだけ複雑な設定や現象を、読み手に理解させる文章。どうしてもモノローグにして「説明的な」文章になりそうなところを、主人公御野が認識する「起こっている出来事」として表現している。例えば御野と知ルが曼荼羅の講義を聴きに神護寺を訪れるシーン。御野が電子葉という拡張デバイスで情報を眺めているとき、知ルは和尚の目を見て話をただ聞いている。御野を遥かに上回る情報をデバイスで引き出せる知ルが何故それをしないか、と御野は訝しむが、彼女の取得している情報分布映像を見て息を飲む。情報量の上限を引き出しているのを表す赤色の表示で「部屋が血塗れになっている」のだ。

舞台が京都というせいもあるのか、場面が映像として頭に浮かぶような緻密な描写に、小説って、文章ってこんなことまでできるのか…。とストーリーと同じくらい文章の上手さに感動してしまった。

もうひとつ圧倒されたのが、京都御所を2人が訪れるシーン。情報庁の警備隊に包囲され、絶対絶命の場面でドレスを着た知ルは御野の手を取りダンスを踊りはじめる。隊員は確保しようとするが2人は優雅に踊りながら躱す。何十人と殺到しても捕まえられない。躍起になり、ついに警備隊は機銃掃射するが一発も当てられず、包囲を抜けた2人は無事に御所に入る。何が起こったかというと、知ルの超人的な情報処理能力で未来予測を行い、撃たれる弾丸や踏むべきステップ、足元の砂利の位置までも事前に演算して踊りながら御野を操作しつつ躱していたのだ。

ハチャメチャなシーンのように見えるが、それまでの知ルの能力がほぼ全能だということを読者は「知っている」ので説得力がある。この途方もない演算能力、御野のいう「想像を超える想像力」の描写に惚れ惚れした。これを映像で表現したらマトリックスみたいな画になってしまうんだろうけれど、完璧に文章で描き切ってしまっている。

終盤のクラス9同士の対話のシーンではテッド・チャンの短編「理解」を連想した。あとは「アイとアイザワ」とか。

人物のネーミングが近未来的なところや、章立てが人間の一生をなぞっているところも格好いい。一章から「birth」「child」「adult」「aged」「death」。

 

近未来SFであり、男女バディの逃避行モノでもある。情報とは何か、知的欲求は人間をどこに向かわせるのか、というテーマについての物語だった。この先何度も読み返すことになると思う。そして京都に行く機会があれば、進々堂の京大北門前店を訪れたい。午前10時に。

 

 

2020年5月の短歌

 

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短歌は面白い。すっかりハマってしまった。なんとかこの熱を持続させようと、1日1首ずつutakataに投稿している。そこから5首選んだ。1日に4,5首できる日もあるけど、ペースを守るためわざわざ一旦寝かせて翌日に投稿したりしている。でも短歌って瞬発力が必要な気もするので、あまり推敲しても良くなる気がしない。柔らかい表現にしたければ漢字をあえて平仮名にしたり、同じ意味の語でも別の言葉を使うなど試行錯誤している。

他の人の短歌を読むのもとても楽しい。若い歌人でも歌集を出していたりするので、気になる人のをなんとか手に入れて読みたい。どれも装丁のデザインにかなり凝っている。でかい本屋ならコーナーがある気がするので探してみようと思う。これまで知らなかったり、認識していても通り過ぎていた分野やその界隈に興味が開けるのは刺激があって良い。自分が好きな旅行や読書でも、共通して求めているのは「知らない世界に触れること」なのかもしれない。最近読んだ野崎まどの『know』に「≪知る≫と≪生きる≫は同じ現象ですよ」という台詞があった。神がかった能力を持つヒロインの人生観は独特だがとても説得力がある。エントロピーの増大にどこまでも抗う人生、知ることと生きることを等価に見る人生…。知らない情報を発見して、それに触れているときが一番楽しい。どんどん開拓していきたい。

2020年4月の短歌

 

引っ越しに

慣れた自分がすこし悲しい

大人になるってこういうことか

 


退屈に

向き合うのにも飽きてきて

なにかを始める

きっかけが欲しい

 


窓の外

陽のあたる場所に憧れて

どこにもいけない

四月の終わり

 


新しい

靴を買おうとしたけれど

馴染んだボロが

まだ捨てられない

 


どこへでも

行ける気がした

ハタチの自分

どこにもいけない

現在のぼく

 

 

5つともいま1時間くらいで考えた。短歌って楽しいかもしれない。人の作品を見るのは好きだったが自分で作るという発想がなかった。

少し前から小説を書こうと取り組んでいるんだけれど完成しない。文章を書くのが結構好きだと気付いてから、このブログに旅行記やら日々の雑感やらを書いてはいるんだけれど、やはり物語を書きたいなとずっと思っていた。学生時代から書き溜めてきたプロットを膨らまそうと手を付けるんだけれど、なかなか小説として書き上げることができない。作曲も出来ないし絵も描けないので(映像表現はまだ諦めていないけれど)、苦しんでもなんとか一本書き上げたい。しかし自分が好きな文章を書く人たちは小説だったりエッセイだったり記事だったりとどんな形態、どんな題材でも面白い文章を書いているので、小説にこだわらなくてもいいのかもしれない。もう少し粘ってみるけれど。自分が納得できる最高の文章をいつか書きたい。

SuiseiNoboAz 『HAVE A NICE DAY BABYLON TOKYO』

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ボアズのライブDVDを買った。2017年9月3日渋谷O-NESTでのライブを収録したもの。2017年から2018年にかけて、ボアズはほぼ1年に及ぶリリースツアーを行った。自分は山形と東京でその内の2本を観た。特に東京で観た回はその年観たライブの中でベストに挙げたい桁違いの格好良さだったと思う。


3曲目の「tokimekinishisu」とそれに続く「14」を聴いて、もうこのDVDの元は取ったな…と思った。凄すぎる。どちらも前体制の3ピース時代からある曲だけれどこのバージョンが格段に良い。

ブレイクのキメはもうザゼンボーイズ54-71のようなバンドの域にあるようだ。石原さんの取る独特な間を他の演奏陣が完璧にキメまくる。しかも単純な超絶技巧バンドというだけでなく、演奏の上手さが表現の手段になっているのが凄い。mizukamakiriのイントロ、ギターのハーモニクスをほぼ完璧に鳴らしていて美しい…。何故かこの曲で石原さんはストラトを2本掛けて演奏しているんだけれど、体の軸の安定感が凄くて体幹の強さが伺える。曰く「音を歪ませるのは筋肉」。

石原さんは少し歌い方が変わった気がする。これまでライブによっては全然出ていなかったハイトーンがかなり出ていて別人のようだ。特に1st収録の名曲my discoを伸びやかに歌い上げていてびっくりした。my discoのアウトロはこのライブのひとつのハイライトだ。でもT.D.B.Bやgakiamiではがなり散らすように暴力的に突き刺さる声で変わらず良い。

「新宿の歌をやります」と言って始まる「elephant you」を聴いて気付いたが、この曲のイントロで石原氏が弾いているブリッジミュートしたギターで弾いているリフは「64」と同じアイデアのものだ。そしてこのリフが自分にとっての東京、新宿のイメージになってしまっている。

環状線甲州街道彼岸花…とこのバンドが繰り返し登場させるモチーフと共に、自分の中での都会感を象徴するものとなったボアズの曲。おそらく就活や旅行で何度も東京へ行っていた大学2〜4年にかけて熱心にボアズの2ndと3rdを聴いていたから、自然とそう刷り込まれたのだと思う。

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ちなみに「14」の歌詞にある「甲州街道と井の頭通り、そして水道通りが交わりそうで交わらないそんなエアポケットみたいな地点」を調べてみた図がこれ。

赤色が甲州街道、緑色が井の頭通り、青が荒川水道道路。曲の後半で「おまえ」は群青色の気配に掴み取られながら中野方面(地図の右上方面)へ歩き出す。こういう野暮な調べものが好き…。道路上の地点オタクなのでこのエアポケットは是非訪れてみたい。「14」はボアズの中でも特にドラマチックな曲だ。


ダブルアンコールのラスト、E.O.Wで「SuiseiNoboAz from Shinjyuku,Tokyo,Japan,to everywhere. 」と台詞を吐く石原氏。かつてT.D.B.B(高田馬場)で活動していたバンドはSXSWへの出演、台湾でのツアーなど新宿から世界へ活動を展開している。こんな最高のバンドが存在しているという事実だけで胸が熱くなる。今年中に新譜を出してくれたら嬉しい、めちゃくちゃ期待している。

 

救済小説

エピソードが3つある。ひとつは高校3年の2月下旬のこと。大学の前期入試に失敗した自分は高校の図書室にいた。誰かと話をしたかったけれど、人気のない部屋には同じように辛気臭い顔をした人間しか居らず、一体これからどうしたらいいのかと気持ちはひたすら沈んでいた。

そこで気分転換に本でも読むか、とたまたま手に取ったのが金城一紀の『レヴォリューションNo.3』だった。読み始めると止まらなくて、そのまま借りて家に帰り、その日のうちに全部読み切ってしまったのを覚えている。とんでもなく面白く、笑えるけど切なくて、登場人物たちが全力で生きている姿に心を動かされた。そして何より、物語に熱中している間は全ての煩わしい事を忘れさせてくれる、そんな事実が当時の自分には新鮮な体験だった。高校生活の終わりというタイミングで読んだからあんなにも心に響いたのかもしれない。

 

大学2年の冬、完全に暇を持て余していた自分はまたしても図書館にいた。大学の図書館はそこそこ綺麗で、居心地も悪くなかった。3年になりゼミ室に居場所を見つけるまではよく通った。僅かしかない913の分類から良さそうな文庫本を選んで、少しずつ読む毎日。その中に金城一紀の名前を見つけ、『対話篇』という短編集を借りて帰った。家で読んで正解だったと思う。あまりに号泣してしまい、ページが涙で濡れてしまって乾かさなくてはいけない程だった。確か「花」という名前の短編があって、どうしようもなく泣けた。余命僅かな弁護士と主人公が南へ旅をする話。

 

社会人になってからは、あまりの忙しさに読書から遠ざかってしまった。それでもバス通勤をしていた2年間は常に文庫本を鞄の中入れ、短編集やエッセイ本などを読んでいた。そんな時にブックオフで見つけたのが、またしても金城一紀の短編集『映画篇』だった。そしてこれが、現在まで自分の中で一番大切な本になっている。

収録されている短編はどれも傑作で、読み返すたびに何度も泣きそうになるんだけれど、「太陽がいっぱい」が一番好きだ。親友との友情と、少年の頃一緒に観た沢山の映画の記憶に救われる、ある小説家の話。

自分の人生の中で、どれだけこの人の小説に励まされてきたか分からない。「太陽がいっぱい」で描かれる「良い映画や物語に感動した記憶は、何度でも人を救うことができる」というテーマを、まさにいま自分が体験しているという状況に痺れてしまう。そして、父親がいない自分の境遇を少しだけ誇りに思えるようになった。スティーブ・マックイーンにも父親はいない。同じモチーフが繰り返し登場して、短編同士が緩やかな繋がりを持っているのも美しいと思う。


金城一紀といえば直木賞を受賞した『Go』が有名だろうし、柴咲コウ窪塚洋介の映画は最高だった。2001年頃の窪塚洋介は世界で一番カッコよかったと言い続けてる。

直木賞を取っていながら、もしかしたら脚本家としての方が有名なのかもしれない。映画化までされたドラマ「SP」や、再び岡田将生主演のドラマを書いたりと凄いキャリアだ。

近年は脚本ばかりで、金城一紀は全然小説を書いていない。上の文章で名前を挙げた本が刊行されている小説のほぼ全てである。『レヴォリューションNo.3』はゾンビーズ中心の短編集としてシリーズ化されているが、やはり第1巻の3編があまりに面白く、続編はこれを超えられていないと思う。

 

作家の読書道:第6回 金城 一紀さん

このサイトで本人が作家になるまでの半生を語っているんだけれど、学生の頃書こうとしたけれどまだ今じゃない、と判断して小説や映画を観る生活をしていたそうだ。「ニムロッド」書いた上田岳弘もそんな事を言っていた。


ちなみに今この文章を書くために本人のツイッターを見にいったところ、コロナウイルスで外出自粛中に観れる映画を30本も紹介していた。『アラビアのロレンス』『がんばれ!べアーズ』『スティング』『宇宙からの遊体X』…。どれも配信で観れるそうなので観なくては。

 

3,4年前も同じように小説を書いている、とツイートしていた気がするが、もうここまできたらじっくり腰を据えていつまでも待ちたい。ぶっ飛んで面白い小説で、また自分を救ってほしい。