正月で暇なのでゼミの思い出話を書く。
大学では日本史のゼミに入っていた。日本近代史の専門。
ゼミは楽しかったので真面目に取り組んでいたし卒論もそれなりに頑張った気がするが、勉強した内容を覚えていないところからしてそういうことなんだと思う。文系のゼミとは大体そんなものかなとも思う。
大抵のところは毎回ひとりが文献の要約をレジュメにまとめてきて、その読み合わせで終了、というパターンが多いと思うけれど、うちは大体全員に毎回何かしらの役目が与えられるので毎週のゼミの前に作業が必要だったし、ディスカッション的なことも行われていたのでまだマシな方かもしれない。大学図書館にない文献はよく県立図書館や文書館へ探しに出た。フィルムで保存されている当時の新聞を読むのが好きだった。
先生が個性的な人だった。主に近世の日本と諸外国の貿易や文化の伝来など、国際関係がメインらしい。研究熱心でしょっちゅうロシアなど海外に出張するので、ゼミがひと月まるっと休講になることもしばしばあった。おみやげは決まって不味いチョコを買ってくる。
先生は、大学教授が本来やらなければいけない事務手続きに非常に疎く、学生がどの単位を取れば卒業できるか全然把握していなかった。もちろんそのあたりは学生が自分で把握しとくべきはずなんだけれど。しかし先生は自分の開講しているゼミの正式な講義名や受講している学生の名前・人数すら把握していなかったので(総勢15人くらいだった)、相当な部類だと思う。どうしても必要な事務は代々ゼミの院生が引き受けていた。半期ごとに課される一万二千字のレポートを書き上げて見せに行くと、「どの単位が欲しい?」と聞かれ、欲しい単位の講義名を紙に書くとそのゼミ以外の講義のものでも単位をくれるのだった。なんでもありかよ。
それでも解説は丁寧で、質問にも逐一調べて答えてくれたので、本当によい先生だったなと今更感じる。学部のほかの学生からは人気はなかったようだけど。というかそもそも存在をあまり認知されていなかった。
大学教授に時々いる、妙に子供じみたところがある人間にまさに当てはまる人で、ゼミ旅行で行った熱海では学生よりはしゃいでいた。尋常でなく酒が強く、乾杯のビール以外ひたすらウイスキーかバーボンをダブルで飲むのでそれに付き合うと次の日のゼミは出れなくなる。
他にもエピソードはたくさんあるのだけれど、先生ネタはあまり書きすぎると簡単にバレそうなのでやめておく。
ゼミ室は学部棟の8階にあった。とても居心地がよい場所だったので、3年の秋~4年の夏にかけて、公務員試験の勉強のために土日も含めほとんどの時間をこの部屋で過ごした。
バイトを辞めてひどく貧乏な時期でもあったので、光熱費の節約にもなった。一時期に至っては家にいる時間より長く居たかもしれない。ボロい家電がやたら充実した部屋だった。きっと卒業生が処理に困って寄付していったんだと思う。
学生街で飲み会が終わった後、酒をしこたま買い込んでゼミ室になだれ込み、そのまま朝まで2次会、なんてこともよくやった。ソファーはさすがになかったので椅子をつなげて寝て、次の日朝イチのゼミで発見される奴もいた。
いまだにそういう阿呆なことやってるのかな、一切なくなってたら淋しいな、と思っていたけれど、最近飲んだ後輩に聞いたところ相変わらずやっているらしく、なんというか愛おしい気持ちでいっぱいになった。