状況が裂いた部屋

音楽と映画と日常について

「ただ座っている老人」についての考察

   街を歩いていると時々見かける、何をするでもなくただじっと座っている人。大抵が老人で(どちらかと言えばおじいさんの場合が多い)、普通の民家の前などで、椅子だったり、玄関の石段だったりといった場所に腰をかけて、ぼうっとしている。目の前の道を行き交う人を眺めている訳でもなく、ましてや本を読んだり煙草を吸ったりもせず、ひたすらに何もしていない。いや、生きている以上何かをしている筈であって、究極的に言えばそれこそ「生きている」とか「呼吸をしている」としか言いようが無いんだけれど、客観的に見たら彼らが何をしているかを説明しようとしたときに結局「ただ座っている」としか形容しようがない、そんな人たちがいる。

   彼らは何をしているのだろうか、いや、何もしていないことをしているのだろうか…。彼らを見かける度に考える長年の謎だったのだけれど、最近これなのかな、という自分の知らない概念を知った。

 

 

   このツイートを見た瞬間浮かんだのが、何もせず椅子に座り、ぼんやりと佇んでいる老人の姿だった。そうか、あの人たちは“ケイフ”をしていたのか…。まずこの概念が目から鱗だった。毎日を忙しく、何かに取り組んでいないと不安になるような世知辛い典型的な日本人とはかけ離れた、仙人のような生き方の極致ではないか。「何もしない」、という幸せ。欲にまみれた自分には相容れない価値観だけれど、少しわかる気がする。

   今後は街で座って何もしていない人がいたら、「あのじいちゃん呆けてるのかな…」ではなく、「ああ、ケイフを実行されてる方だ」と多少の尊敬の念を込めて捉えておこうと思う。